久しぶりにどうでもいい話
時間があるときに辞書を引いて時間つぶしをしていた頃がありました。
パソコンが一般的になる前で、中古の大辞林と小学校の時に
買ってもらった広辞苑の両方を見比べたりしていました。
こう書くと学者か先生のようですが、普通のおっさんです。
時刻表で普通を乗り継いでどこかへ行く時間つぶしも好きです。
最も今は目が悪くなったのと時間がないので、ともに余り
できなくなりましたが、それに代わってネットで同じような
ことをすることが増えました。
ネットの方が時間的にはずっと短くてすみます・・・・が、
ネットならすぐにその言葉に行き着きますので、辞書なら隣にある
言葉や前後のページにある漢字は素通りです、
それで寄り道ができなくなりましたし、時刻表でも出発地と到着地への
最短時間が主に表示されますので、普通電車や途中下車
してもいいなと思う駅が表示されないので、実用一点張り、
まさに寄り道禁止です。
狭い日本そんなに急いでどこに行く、です。
「ひとごこち」という言葉があります、これを辞書なら「一心地」か
「人心地」か考える時間があります、字面から意味を想像したり、
意味から漢字を想像したり、それを愉しいと思うかは個人差が
あるでしょうが・・・・正解は後者です。
その意味は、緊張が解けてほっとしたくつろいだ気持ち。
生きた心地。また、ほっと、くつろいだ感じ。
人間としての平常の感覚や意識。
「はきちがえる」は「吐き違える」か「履き違える」か、意味は
他人の履物をまちがえて履いたり、左右をまちがえて履いたりする。
意味を取り違える。考え違いをする。
ということです、個人的には吐き違えるの方が正解であって欲しいのですが、
履き違えるが正解です、そういえば親父の通夜のときに、お参りの方が
ブランド物の靴を誰かに間違われてしまい、弁償した覚えがあります。
間違えた人は自分の靴が本当に分からなかったのかもしれませんが、
もしかすると、ここは他人の履物とまちがえて履いたほうが得しそう
と考え履き違えをしたのかもしれません。
「こんにちは」と「こんにちわ」にも思い出があります。
ずっと「こんにちは」できたのですが、ある時、美人で賢い女性が
「こんにちわ」を使っていて、忠告するのも気が引け、それ以来
不本意ながら「こんにちわ」を使うことが多くなっています。
まさにどうでもいい話でした。