今日という日
今日という日は午前0時に始まり24時で日付が変わる、
そういうこともありますが、今日という日は今、我々が生きている瞬間で、
生きた日は昨日から以前の日です。
これも当然のことですが、今日会う人に明日会ったとしても、
今この瞬間に会った人と同じ条件では会うことができません。
鴨長明の方丈記ではありませんが、
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
今日吹いている風にも今この瞬間しか出会えません。
人だけでなく出来事や感情も同じだと思います。
同じ顔ぶれで連日同じ議題で議論をしても、服装も違えば、
それぞれの心のありようも違うと思います。
服装は自分が我慢すれば同じものを着ることはできますが、
心は日々変わります。
いつも同じ心でいることは結構難しいですし、努力がいるものです。
カレーが好きだと言って毎日カレーでもいいという人は少ないでしょう、
ちょっとした言葉に反応して素直さや自信を失ったり、
相手の本意を理解せずに勝手な解釈で落ち込んだり、秋の雲のように
心は形を変えてしまいます。
それも大切なことほど心は敏感に反応してしまい、枝葉末節には
ほとんど動きません。
亡くなった健さんが、著書の中で「大切な人ほど深く傷つけてしまう」
そんなことを書いていますが、これも実感するときがあります。
今日という日、特別何が書きたいということではありません、
ぼんやりしながら、ああ今日で・・・・・・。
1年の終わりには振り返って今年はどんな年だったか、
来年はこうしょうという反省と決意のようなものを考えますが、
私にとっては、今日という日は人や事柄について振り返ることが
多いように思います。
大切なもの、大切な人、それがあることが嬉しいことですし、
大切さを毎日変わらずに感じていられたらと思いますが・・・・。
身勝手さや勝手な思い込みで振り回されている周囲の人たちに
謝罪と、懲りもせずにお付き合いしていただけることに感謝です。
このことは今日という日が来るたびに心しておきたいと願います。
午前中は生活産業の決算審査を傍聴してきました、活発な質疑があり、
予定以上に時間がかかっています、1時40分から午前中の続きがあり
引き続き傍聴に行きます。
明日から二日は施設の決算審議です、じっくり時間をかけて
密度の濃い分科会にして慎重な採決をできればと思います。
毎日出会う人にも初対面のような初々しさと緊張感をもって
接することができたら、ずいぶん違う人生になるような気がします。
遠くにいるおばさん、今、そちらに雲が流れていきました、
今日の雲は今日しか見られません、しっかり見てください。