今日という日

いとう茂

2015年10月05日 13:19


今日という日は午前0時に始まり24時で日付が変わる、
そういうこともありますが、今日という日は今、我々が生きている瞬間で、
生きた日は昨日から以前の日です。
これも当然のことですが、今日会う人に明日会ったとしても、
今この瞬間に会った人と同じ条件では会うことができません。

鴨長明の方丈記ではありませんが、
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
今日吹いている風にも今この瞬間しか出会えません。

人だけでなく出来事や感情も同じだと思います。
同じ顔ぶれで連日同じ議題で議論をしても、服装も違えば、
それぞれの心のありようも違うと思います。
服装は自分が我慢すれば同じものを着ることはできますが、
心は日々変わります。

いつも同じ心でいることは結構難しいですし、努力がいるものです。
カレーが好きだと言って毎日カレーでもいいという人は少ないでしょう、
ちょっとした言葉に反応して素直さや自信を失ったり、
相手の本意を理解せずに勝手な解釈で落ち込んだり、秋の雲のように
心は形を変えてしまいます。

それも大切なことほど心は敏感に反応してしまい、枝葉末節には
ほとんど動きません。
亡くなった健さんが、著書の中で「大切な人ほど深く傷つけてしまう」
そんなことを書いていますが、これも実感するときがあります。

今日という日、特別何が書きたいということではありません、
ぼんやりしながら、ああ今日で・・・・・・。
1年の終わりには振り返って今年はどんな年だったか、
来年はこうしょうという反省と決意のようなものを考えますが、
私にとっては、今日という日は人や事柄について振り返ることが
多いように思います。

大切なもの、大切な人、それがあることが嬉しいことですし、
大切さを毎日変わらずに感じていられたらと思いますが・・・・。
身勝手さや勝手な思い込みで振り回されている周囲の人たちに
謝罪と、懲りもせずにお付き合いしていただけることに感謝です。
このことは今日という日が来るたびに心しておきたいと願います。

午前中は生活産業の決算審査を傍聴してきました、活発な質疑があり、
予定以上に時間がかかっています、1時40分から午前中の続きがあり
引き続き傍聴に行きます。
明日から二日は施設の決算審議です、じっくり時間をかけて
密度の濃い分科会にして慎重な採決をできればと思います。

毎日出会う人にも初対面のような初々しさと緊張感をもって
接することができたら、ずいぶん違う人生になるような気がします。
遠くにいるおばさん、今、そちらに雲が流れていきました、
今日の雲は今日しか見られません、しっかり見てください。