悪い癖
最近、メールが来ることが多くなりました。
議会局もそうですが友人、知人から多くのメールがきます、
携帯の契約をした時に、通話は多くでメールはしないので
それに適した契約をお願いしました、私のアドレスを知っている人は
ごく少数、議会局を除けば指を折って数えられる人数で、
10名いるかどうかです。
その人たちからメールがよく来ますが、料金は1件ずつにかかりますので、
プランの見直しをしてきました、3年9ヶ月前に携帯を新しくし、
プランも設定したのですが、これは、以後電波が届かずもっている携帯が
使用できなくなるので交換したものでした。
当時も二つ折りの形態は数種類しかなく選択の幅はありませんでした、
防水・防塵、これが選択の決め手で機能を聞いてもわかりませんので、
あっという間に決まりました。
先ほど行った携帯ショップもスマホの天下でガラケーは、隅に追いやられていて
4機種しかありません、周囲の人の多くがスマホを持っていますが、
私には無関係な道具で、ガラケーでも不要と思っているのにスマホが
目に入るわけがありません。
少々、バッテリーがヘタリ気味なので機種変更も一瞬考えましたが、
見かけはほとんど同じですし、機能を聞いても理解できません、
なにより、機種変更しなかった大きな理由はストラップです。
居間の携帯には高野山の金剛峰寺と奥の院のストラップがついています。
見かけは同じで、どちらが奥之院かは私にしか分かりません。
そのストラップをつけるときに穴が細くかなり苦労をしました。
その作業をまたすることが面倒くさくてやめました。
代わりに新しいバッテリーを注文しました。
考えてみれば1日の半分以上胸ポケットに入って行動をともにしている
携帯です、物に心があるかどうかわかりませんが、それを感じるかどうかは
こちらの心次第です、4年近く一緒にいればペットなら愛着も涌き、
手放す時には悲しみや辛さがあるでしょう、携帯やスマホは物だと
割り切ってしまうから新しい機種が出ると買い換えてしまう、
便利さや使い勝手だけを追求すると、人間、少しの我慢をすることも
できなくなります、多少不便であったり使い勝手が悪い方が
こんなものだ、と寛容になれる気がします。
バッテリーを交換してもいずれ寿命が来るでしょう、
私の寿命が携帯より長ければ、一つの命をいただき、生かされてきた、
よく今日まで働いてくれました、そういえばお前はあんなことも、こんなことも
伝えてくれましたね、ありがとう、そんなことを感じ感謝する日が来るかもしれません。
それが人間関係でも耐える、許すにつながりはしないのか、
そして、至らぬ自分も誰かに受け入れられ、許される、
これは私の思い過ごしでしょうか、携帯一つでこんなことを
考えなくてもいいのかもしれませんが、秋は物を思うことが多くあります。
良きにつけ悪しきにつけ、内容もともかく・・・・・。