作る・育てる・叶える
作る・育てる・叶える、主語をつけるとしたら「夢」です、願いでも
いいと思いますが夢としておきます。
46歳で体育会系から文化系に生き方をシフトし、スポーツや
体を動かすことがめっきり減りました。
歩くことだけは日常から心がけていますので、足腰が極端に
弱るということはありませんが、総合的な筋力は衰えていました。
疲れやすい、疲労が抜けない、重いものを持てない・・・・・。
加齢の影響もあるでしょうが、自分なりに気にはなっていました。
そんな時に知り合いの子どもさんが「世界一になりたい、いくつになっても
何かで世界一になりたい」そんなことを言いました。
頑張ってスポーツをしているのですが世界一には程遠いレベルで、
自分なりに工夫をして練習もしています。
笑って済ますのは簡単ですが目の高さをその子に合わせて考えた時に、
見えてくるのは持ち時間の長さです、学生時代、社会人時代、さらには
マスターズ大会と夢をかなえる機会はいっぱいあります。
それに引きかえ私は残るはマスターズくらいですが、それもこれまで
スポーツを続けてきた人間ならともかく陸上競技とは20代前半で
ご縁がなくなり、後は半分お遊びで野球をしていたくらいで、今から
100メートルや幅跳びで世界一を目指そうというのは夢というより
無謀、砂上の楼閣でしかありません。
ここで諦めると世界一の言葉に感化された甲斐がありませんので、
何かできないか考えました。
世界一は無理だとしても、何がしかのステージに上がることはできないか、
とは言え、体育会系の体作りからやり直さないといけません、15年の
ブランクに加えて衰えてきた体に無理やり鞭を当てても体を壊すのが
おちですので、目指そうとする方向よりも基礎体力をつけることを
当面の目標に掲げました。
問題はトレーニングの時間が取れるかということですが、世界一を
目指す子どもの手前、忙しくてトレーニングができないとは言えません。
週に2・3時間の時間は捻出しています。
これで夢につながるのかと不安もありますが、始めなければ始まりません、
蒔かぬ種も生えません、ようやく夢を作る入口に立ったという状況です。
前向きといえば聞こえがいいのですが、ある種自虐的な性格なのかも
知れません、負けん気が強いことは悪いことではないと思っていますが、
子どもの夢と張り合う、お爺さんと孫のような年齢ですが、自分で自分を
窮地に追い込み、それを楽しんでいます。
夢の種が芽を出すのはいつかわかりませんが、長い目で自分を見てやろう、
そしていつか、蒔いた種から出た夢を収穫します。
夢を収穫できるのは蒔いた人だけの特権です。