見えないものを見る努力

いとう茂

2016年05月28日 15:47


仏教の教えだったと思いますが「目で聞き、耳で見る」という言葉があります。
勝手な解釈ですが、物事の本質を見極める目と相手の本音を聞き分ける耳
そんな風に考えています。
人間は経験がないことは理解しにくいという一面があります。
先日、有志の勉強会で根本中堂に行ってきました、世界遺産の指定を
受けた影響か駐車場には他府県ナンバーの車が並んでいました。
滋賀県ナンバーの車を探しましたが見当たりませんでした。
近いところだからいつでも行けるという考えなのか、案外地元の人は
お参りに行かない気がします。
これは比叡山だけでなく四国遍路でも、四国4県の人は
近くの札所しかお参りしたことがない人が多くいます。
遠くから来た人にとっては自然の景色と立派な建造物を素晴らしいと
感じられるのでしょうが、地元の人にとっては行ったことがなくても
見慣れた光景かもしれません。
観光旅行の法則というのがあります、自然の景色は家からの距離に
比例するというもので、家からの距離が長いほど景色が美しく見えると
いうことです、木桶の法則は、田舎にあるものは素敵に見える、
そんな法則もあります。

横にそれてしまいました、比叡山に地元の人が行かない、四国遍路に地元の
人が行かない、それを基準に考えますと、ずっと同じところに住んでいる
人にとって自分のまちは、こんなものという考えが潜在的にあるかも
しれません、それはまちなみだけでなく、風習や習慣もこうしなければ
いけないということも含めてです。
旧住民と新住民のあつれきもこうしたところが原因になっていると、
よく耳にします。

よそのまちに移り住んだ経験がない、風習や習慣も当たり前と考える
人にとっては、新住民の気持ちはわからない部分が多いでしょうし、
逆も言えると思います。
目で聞き、耳で見る基本の一つに相手の立場に立って考える、
そのことがあるように思います、自分の考えだけでは一面的な見方ですし、
相手の見方や考え方を経験して理解することも大切なように感じます。
ただ、相手の立場や考えがわかると歯切れが悪くなることも否めません。
歯切れが悪くなることで、相手への思いやりが生まれるのも事実です、
物事の本質を見極める目は突くことばかりでなく受け入れることができて
養えるように思います。

批判するのは簡単ですが、自分に批判するだけの資質や先見性が
あるのか、そんな立派な人間か、最近この自問がいくつも胸につかえています。