一月十六日の真夜中
土日で雪とはさよならかと思っていましたが、
今朝も起きると雪が舞っていました。
緑のお爺さんに行く途中、とは言っても100mほどですが、道路が
凍ててアイスバーン状態でした、滑りにくい靴を履いていたのですが、
滑って転びそうになり少し慌てました。
交差点も凍っていて通勤や通学を急ぐ人に「足元気を付けてください」
「滑りますよ」がおはようございますの挨拶代わりになりました。
それでも自転車で転ぶ学生や足を取られる人が続出で、自動車も
普段より早めに止めないとノーマルタイヤの車も多く、すぐには
ブレーキが利かない状態でした。
雨の日は学校に子どもを送る車が増えますが、雪はかえって少なく、
せめてもの救いでしたがいつもよりは気を遣い、それなりに疲れました。
かくいう私も車のタイヤはノーマルですので、雪が降ると達磨さん状態で
手も足も出ません。
いつもより遅れて家を出て市役所に向かいました、幹線道路は雪もなく
普通に走れましたが裏道や太陽が射さない道は雪が踏まれて凍って、
危険な状態でした。
それでも、手に雪の塊をもって登校する子どももたくさんいて、
自分が子どものころと変わっていないことに安心したり、ホッとしたり。
いつの時代も子どもが元気なことが世の中が元気かどうかの
バロメーターになるように思います。
今日、1月16日と同じタイトルの昔話がありましたので紹介します。
むかしむかし、陸奥の国のある村に、万次郎という、
とても気の弱い男がいました。
万次郎は村の誰かがなくなると、今度は自分かもしれないと、
いつもビクビクしているのです。
ある日、万次郎は死んだおじいさんから聞いた話を思い出しました。
『一月十六日の真夜中に、人に見つからない様に家の屋根に登れば、
その年に死ぬ人がわかる』
死ぬのが怖くてたまらない万次郎は、次の年の一月十六日、
家のみんなが寝るのを待って、こっそり屋根へ登りました。
「おおっ、寒い」
万次郎はガタガタと震えながら、あちこちを見回しました。
どの家も明りが消えていて、物音一つ聞こえません。
「寒いし怖いし、家に戻ろうかな?」
万次郎がそう思った時、村の一本道をゆっくりとこっちへ
近づいて来る者がありました。
それは白い着物を着て、ひたいに三角の白い紙をつけた死人です。
(ゆ、幽霊!)
万次郎はビックリしましたが、でもよく見ると、それは近くの家に住む老婆でした。
若者たちと一緒に畑仕事をしたり、孫の世話をしたりと、
とても元気な働き者として知られていました。
ついこの前も会ったばかりで、死んだなんて話しは聞いた事がありません。
万次郎は不思議そうに、屋根の上から老婆を見ていました。
老婆はまるで魂が抜けた様な顔で、トボトボと歩いていきます。
(いったい、どこへ行くのだろう?)
万次郎の家の前を通り過ぎた老婆は、やがて村はずれの墓場の前へ行き、
そのまま煙の様に消えてしまいました。
(もしかしてあのおばあさん、今年死ぬのだろうか?)
万次郎が首をひねっていると、今度は近くの家から同じ様に
死人の衣装をつけた娘が出てきました。
(あっ、あの娘は!)
万次郎は、もう少しで声を出すところでした。
その娘は村でも評判の美しい娘でしたが、病気になってからは
寝たきりとのうわさです。
その娘も村はずれの墓場の前で、煙の様に消えてしまいました。
(はたして、あの二人は今年中に死ぬのだろうか?)
そう思うと万次郎は、恐ろしくてこの事を人に話す事が出来ませんでした。
それからしばらくすると、万次郎の思った通り、老婆も娘も死んでしまいました。
(じいさんの話は、本当だったんだ)
万次郎は、いよいよ死ぬのが怖くなりました。
それでも毎年一月十六日になると屋根に登って、
今年は誰が死ぬかを確かめるのでした。
さて、ある年の一月十六日、万次郎が今日も屋根に登っていると、
何とそこに現れたのは死人の衣装をつけた自分でした。
(そっ、そんな、バカな!)
万次郎はビックリして、息が止まりそうになりました。
もう一人の万次郎は屋根の上の万次郎には目もくれず、
ゆっくりゆっくりと墓場のある方へ歩いて行きます。
そして墓場の前に来ると、煙の様に消えてしまいました。
「大変だー!」
万次郎は屋根からかけおりると、家の者を叩き起こして言いました。
「ああ、おらは死ぬ! 今年死ぬんだ!」
「何をバカな事を。悪い夢でもみたのだろう」
「いいや、夢じゃねえ! 実はな・・・」
万次郎は今までの事をみんなに打ち明けましたが、誰も信じてはくれませんでした。
それからの万次郎は今まで以上にビクビクして暮らし、
その年の秋、突然死んでしまったのです。
万次郎の事は村のうわさになりましたが、誰もが怖がって、
一月十六日の夜がきても屋根に登る人はいなかったそうです。