高体連の思い出②
高校に入って棒高跳びに出場したのは1年生の
秋の新人戦でした、ここで2位以内に入れば3県大会という滋賀、和歌山、
奈良で会場を持ち回りで開催されている試合に出ることができますが、
私には無縁の大会です。
結果から言いますと滋賀県で5位、記録も平凡なものでしたが、
引退した3年生にも棒高跳びの先輩がいましたが、一度も入賞が
できなかったので初めて出て5位という結果に2年生の先輩も喜んで
くれましたが、いただいたポールではなく柔らかいポールでしたので
自分では満足できませんでした。
この試合が終わるとシーズンは終わり冬季練習に入ります、
2年生の高体連は気持ちが空回りして記録なし、ポールは柔らかい
ポールしか使えず握力も筋力も強くなりましたが体重が増えて
柔らかいポールをこのまま使い続けるのは折れる心配があり、
卒業した先輩が置いていった少し硬いポールに切り替えて夏と秋の大会、
合計で3試合に臨みましたがすべて3位、そして高校最後の冬季練習、
その先にはインターハイへの道がある春の高体連があります。
この冬は自分でもよく練習したと思います、3度とも負けた彦根東と、
甲賀の選手に勝つことだけ考えていたように思います。
いただいたポールも春先にはしっくり手になじんで、期待は膨らむ
ばかりでした、それでも本番で使うのは不安があり春の高体連でも
今まで使っていたポールで出場して、自己記録を30センチ更新した
もののやはり3位、上位の二人との差は縮まりましたが、3位は3位です。
それでも二人は目いっぱいの競技ですが、私には硬いポールがある、
二人の使っているものより硬く、インターハイ予選の近畿大会までは
時間がありましたので落ち込んだりはしませんでした。
好事魔多し、夢が水泡に帰したのは高体連から2週間ほど後だったと
思います、硬いポールが何とかコントロールできるようになった矢先に
気の緩みからか上から落ちて左足ねんざ、立つこともできませんでした。
踏切り足ですので近畿大会では助走もままならず記録なし。
陸上人生が終わったと思った瞬間でした。
人間万事塞翁が馬、高校生活最後の試合は夏の県体です、完治していない
左足ですがけじめのつもりで出場しました。
当日は大雨、グリップが滑るので棒高跳びに雨は大敵です、
私は柔らかいポールで低めのグリップですので他の選手のように
雨でも滑りません、自己記録にはには遠く及びませんでしたが、他の選手の
自滅で優勝することができ、陸上選手としてはハッピーエンドで競技人生を
終わることができました。
それがあるので議員の控室に届く歓声に心が躍るのでしょう。
やるだけやって、悔いのない競技人生を終わってほしい、そして、競技とは
喧嘩別れはしないでください、それが願いです。