知的障害者が人生を教えてくれる工場
日本理科学工業の最終回です、自立支援とは
社会からお金をもらって生きることが最終目標だと
思います、自立が難しい人は介護支援で、その人の
人生を生き切られることを行う、事務的な処理でその人の
人生を決めてしまわないで周囲も支える、そこに、新しい
輪ができると思います。
どうすれば新しい輪ができるか、それを考えるのが共に
今を生きる者の役目だと思います。
「チョークというのは小さな業界です。
チョークはまだ学校で結構使われていますが、将来性がある
市場とは言えません。
そのため大企業は参入してこないんです。
また、チョークは景気に関係なく学校の先生が使ってくれます。
だから中小企業でもやってこれた。
そうしたことが前提となっていたからこそ、障害者を雇用できたんだと思います」
そうだとしても、健常者なら簡単に理解でき、学べることが、
知的障害者にはできない。
どうやって教育し、仕事を覚えてもらったのか。
その疑問に対し、大山会長はこう答える。
「彼らの理解力に合わせて仕事のやり方を変えたのです」
例えば、チョークの原料の粉を、決められた重さだけ容器に
取り分けるという仕事がある。
重さを測るために秤を使うのだが、知的障害者は材料袋の文字が読めず、
秤の数字が分からない。
どうすれば粉の重さを測ってもらえるのか。
解決策となったのは、色合わせにより計量する方法だった。
あらかじめAの材料は大きな缶に袋ごと入れて、ふたの色を赤く塗り、
必要量の重りも同様に赤く塗った。
Bの材料は缶のふたを青く塗り、必要量の青い重りを用意した。
赤い缶に入ったAの材料を量る時は秤に赤い重りを乗せて、
ちょうど釣り合うようにすればいい。
これなら知的障害者にもできるのだ。
この方法は、大山会長と健常者の社員たちが頭を絞って考え出した。
「彼らは1人で信号を渡って会社に通ってくることができる。
だから色は分かるんだということに、ある時気がついたのです」(大山会長)
こうした様々な工夫や改善を積み重ねることで、知的障害者でもミスすることなく、
一定品質のチョークがつくれるラインを築き上げた。
大山会長は「一度仕事を覚えてもらえば、彼らは集中して仕事してくれます。
健常者よりむしろ定着率もいい」とその仕事ぶりを賞讃する。
「幸せ」の本質を見せてくれる学校
社員の7割以上という高い割合で知的障害者を雇用し、
戦力としているのは、それだけで十分に経営の常識を覆す
「偉業」と言えるだろう。
だが私には、日本理化学工業という会社はもっと大きな
価値を生み出しているように思える。
それは、同社が人間の「本質」を浮き彫りにしているという点である。
仕事に励む知的障害者の姿を通じて、「人が幸せに生きるために
必要なこと」を私たちに鮮明に見せてくれているということだ。
大山会長は自著『利他のすすめ』(WAVE出版)の中でこう記している。
<人間が生きていくうえで最も大切なことは何か──。
それは、とてもシンプルなことです。
「人の役に立つことこそ、幸せ」
この一言に尽きます。>
人の役に立つこと、すなわち「利他」こそが幸せに生きる根本原理なのだという。
チョークをつくる知的障害者たちは、なぜあんなに一生懸命働くのか。
それは職場の仲間の役に立ちたいと思うからだ。
そして、彼らはなぜあんなに生き生きと、幸せそうに働くのか。
それは、職場の仲間の役に立っていることが嬉しいからである。
彼らは自分の意志とは関係なく「知的障害」という苦難を
背負ってしまった人たちだ。
本人はもちろん、両親や周りの人たちの苦労は大変なものがあっただろう。
彼らを「不幸な星のもとに生まれついた」と憐れむのはたやすい。
しかし、毎日、にこやかに誇りを持って仕事をしている彼らと、毎日、
「いやだ、いやだ」と憂鬱な気分で出社し、誰かを呪いながら働く
健常者を比べると、どちらが本当に「幸せ」なのか分からなくなってくる。
かつて禅寺の住職は大山会長に、人間の究極の幸せは4つだと説いた。
その教えが正しいことを、工場の知的障害者たちは身を
もって示してくれている。
彼らは社会のことを知らない分、世俗的な野望や邪念がない。
だからこそ私たちは、純化された幸せの本質を彼らの中に見出すことになる。
同社を社会見学した小学校5年の生徒が、大山会長に手紙を送って寄こした。
「神様は、どんな人にでも世の中の役に立つ才能を与えて
くださっているんですね」と書いてあったという。
おそらくその小学校5年生は、「チョーク工場」という名の学校で、
これからの人生で一番大切なことを学んだのだ。