造花のイメージは・・・・・
造花について調べると・・・・
自然の花,生花に模して作られ,その代用として使われる
人工の花のこと。
その歴史は明らかではありませんが、生花の歴史とともに
始まったと考えられています。
生花の利用は,古代エジプト時代,古代ギリシア時代の
遺品の中にも見られ、古代ギリシアでは祝祭日の儀式の中で、
花を神々の像の頭に花冠として付け、みずからもかぶるなど
当時のギリシア人の生活の一部になっていたが、そのころから、
金、銀などを用いて花が作られたと記述されている。
ということでした。
この前テレビでガーデニングをしている場面が放映されていて、
世話をしている女性が、手前の植物は生ものですが、奥の方は
すべて造花で、それが奥行きを出していますし、生ものをより
引き立たせる役割も演じています。
水やりも肥料もいらず手間が省けて一石二鳥ですと、造花の
効用について話していました。
お隣の大津商業の桜や道路のケヤキの並木からは、
落ち葉が舞い落ちて税金を使って清掃が行われていました。
人間が作ったものは自然が作ったものには及びません、そのことは
譲るつもりはありませんが、造花に例えると叱られるかもしれませんが、
映画やドラマの群衆や通行人を造花だと思います、主役を引き立てる
ために、ほとんどセリフもなく立っているだけだったり、黙って
歩いて去っていくだけ、そんな人がいるから作品に深みが出ると
思います。
昔、議員になる前に「議員は目立ってナンボやで」そんなことを言った
OBの議員がいました、露出度や知名度が当選回数に比例すると
言いたかったのだと思います。
言っていることは理解できますが、納得できませんでした。
実際自分が議員という立場に立ってみると、OBが言っていたことも
実感できましたが実践はできません。
市民の中で誰かが議員になるわけですが、議員は市民を引き立てる
造花であるべきではないのか、そんな思いでここまで来ました。
もちろん黙って動かない造花ではなく、どうすれば市民を主役に
できるか自分で考えて行動できる造花です。
体育会系から文科系に生き方を変えて、いつの間にか20年近く
経ちました、時々、体育会系が顔を出しますが、人との競争から
自分との競争へと進む道を変えるということは、誰かに勝って
主役になろうと思うことではなく、自分の責任を果たし続ける、
その結果主役になることはあるかもしれませんが、目的は
主役ではなく自分の向上です。
まだまだ道の途中ですが、周りの人の生き様を見て、こうすればいい、
これは真似をしたらダメ、そんな教師の多いことに気づきます。
その気づきだけでも向上の手掛かりになります。
自分が生ものの花を求めているのか造花を目指しているのか、
テストする方法を見つけました。
自分に諸々の欲があるか、ないか。
役職、何かの賞、名誉、そんなものに反応するかどうか・・・・。
欲は年齢に関係あるのかどうかは確認できていませんが・・・・・・。