回復、快復、癒える

いとう茂

2019年01月30日 22:46

気になる言葉でいまさら人に聞けない、そんな単語や熟語が
時々出てきます。
回復と快復もそうでした、多くの人は使い方が分かって
ちゃんと使い分けをしているのでしょうが・・・・・・。

回復とは悪い状態になったものが、もとの状態に戻ること。
また、もとの状態に戻すこと。
ケガが回復した、景気が回復した、病気が回復した・・・・・。
快復は病気やケガが完全に治る場合にのみ使います、
全快、快気祝いなどは、病気が完全に治るという意味です。
快方に向かうも同じ意味での使用になるのでしょう。

狭い意味での健康、体に傷や病気がなく日々の生活で
体を動かしても、それほど苦労しない状態の人を健康と
呼びます、ありがたいことなのですが、逆説的な諺もあります。
健康な人は自分の健康に気がつかない。
病人だけが健康を知っている。

健康な人には病気になるという心配があるが、
病人には回復するという楽しみがある。

好事魔多しを再確認させるためのものだと認識している方が、
大きなケガをせずに済むように思います。

回復、快復と似たような意味の言葉に癒えるがあります。
癒えるは病気や傷がよくなる。なおる。
悲しみや苦しみがおさまる。
景気が癒えるとは言いませんので、回復とは違う使い方ですし、
病気に限定されている快復とも違います。
個人的な印象は見た目よりも内部がよくなる、深い心の
キズが癒える、側にいてほっとする人を癒し系と呼んだりもします。

ただ、快復のような全快、完治のイメージはありません。
そこに触ると傷口がジクジク痛む、まだ全力で何かをすることは
できない、自分を振り返っての客観的な判断、そんなところです。
今日は「えこ~」の日でした、不登校対策に取り組んでいる方が
顔を出してくれ、いろいろと話をしました。
不登校になった理由は人それぞれ、いじめや虐待もあります。
そうした人がもう一度社会で出番を迎える、その人の心の
傷は癒えたのか、決して快復したとは言えない不安定な心を
持って前向きに生きる道を選んだのだと推察します。

心は厄介なものになることもあります、こうすればいいと頭では
分かっていても心が邪魔をしたり制止させてしまう、そして、
そうした状態から抜けるのは自分の気づき、意識しかない
それもちゃんと分っている場合が多く、周囲の対応もそのあたりが難しい
ところで、気長に、急がず、慌てず、見守る姿勢を貫く、目も心も
離さない気持ちをもって・・・・・。