回復、快復、癒える
気になる言葉でいまさら人に聞けない、そんな単語や熟語が
時々出てきます。
回復と快復もそうでした、多くの人は使い方が分かって
ちゃんと使い分けをしているのでしょうが・・・・・・。
回復とは悪い状態になったものが、もとの状態に戻ること。
また、もとの状態に戻すこと。
ケガが回復した、景気が回復した、病気が回復した・・・・・。
快復は病気やケガが完全に治る場合にのみ使います、
全快、快気祝いなどは、病気が完全に治るという意味です。
快方に向かうも同じ意味での使用になるのでしょう。
狭い意味での健康、体に傷や病気がなく日々の生活で
体を動かしても、それほど苦労しない状態の人を健康と
呼びます、ありがたいことなのですが、逆説的な諺もあります。
健康な人は自分の健康に気がつかない。
病人だけが健康を知っている。
健康な人には病気になるという心配があるが、
病人には回復するという楽しみがある。
好事魔多しを再確認させるためのものだと認識している方が、
大きなケガをせずに済むように思います。
回復、快復と似たような意味の言葉に癒えるがあります。
癒えるは病気や傷がよくなる。なおる。
悲しみや苦しみがおさまる。
景気が癒えるとは言いませんので、回復とは違う使い方ですし、
病気に限定されている快復とも違います。
個人的な印象は見た目よりも内部がよくなる、深い心の
キズが癒える、側にいてほっとする人を癒し系と呼んだりもします。
ただ、快復のような全快、完治のイメージはありません。
そこに触ると傷口がジクジク痛む、まだ全力で何かをすることは
できない、自分を振り返っての客観的な判断、そんなところです。
今日は「えこ~」の日でした、不登校対策に取り組んでいる方が
顔を出してくれ、いろいろと話をしました。
不登校になった理由は人それぞれ、いじめや虐待もあります。
そうした人がもう一度社会で出番を迎える、その人の心の
傷は癒えたのか、決して快復したとは言えない不安定な心を
持って前向きに生きる道を選んだのだと推察します。
心は厄介なものになることもあります、こうすればいいと頭では
分かっていても心が邪魔をしたり制止させてしまう、そして、
そうした状態から抜けるのは自分の気づき、意識しかない
それもちゃんと分っている場合が多く、周囲の対応もそのあたりが難しい
ところで、気長に、急がず、慌てず、見守る姿勢を貫く、目も心も
離さない気持ちをもって・・・・・。