面白い話⑤
日本の森は、世界でも特殊な照葉樹林を形成しているという。
森の匂いというのは確かに一種独特のものである。
それは、朽ちかけた落葉の体臭である。
私は森が好きである。
そこに一人立つと、人間の運命を思う。
声もなく、ひそやかに生きる厳しさを思う。
若葉が芽吹き、それが木を完成させる力となる。
しかし、葉はやがて散らなければならない。
木が人間社会の歴史とすると、個々の葉である人間はそれより
ずっと早く、散り朽ちていく。
しかし、落葉は散ってもなお土となって若葉を、ひいては木自身を
育てる。
人間には二つの時期がある。
育てられる時代と、育てる時代と。
私たちは食物と知識を与えられて一人前に育つ。
それから徐々に他人を育てる側に回る。
まだ老境に入り口にある者としては、私は充分に私より高齢の人を
立てたいと思う。
しかし、年をとるにしたがって、しだいに若い人にその立場を譲る気持ちを
持てるようになりたい。
私は、そのような行為の美しさを、実際に何人もの先輩から
教えられたのであった。
その方々は、今でも、冷や汗の出るような、私の青くさい行動を許し、
包み、守ってくださった。
そしてそれとなく私を、前面に押し出すようにされた。
私がただ、若いから、というだけの理由で、私に人々が注目するように
しむけ、私の才能が、少しでも伸びやすい素地を作ろうとしてくださった。
そのようなことほど通常、さりげなくされるものだから、私は何と言って
お礼を言っていいかわからず、けっきょくは何も言わないままに
なってきてしまった。
理由はないが、私はそのようになりたいのである。
しかし老人になっても、あらゆることについて自分が前面に
出たがる人がいる。
それは前向きでいい生き方なのかもしれない。
しかし、大人気がない。
老人が真っ先に失うのは実に「大人気」なのである。
正しい日本語としては、「大人気」という言葉はない。
「大人気ない」という否定の要素を含んだ形容詞だけである。
しかし、いつの間にか「大人気のある」などという言い方も、口語として
使われるようになってしまった。
その「大人気」と解釈していただきたい。
老人は一見誰も諦めよくなっているようにみえるが、決してそうではない。
「大人気」とは、大局に立って、自分は引くことであると私は考えている。
他人にとっていいことのために、自分を少々犠牲にして、さりげなく
していることである。
私は「大人気」の美学を大切にしたいのである。
誰でも一度は若く、誰でも一度は老いる。
これほど公平ななりゆきを嫉妬するのは、強欲である。