季節は移ろい
世の中、コロナウイルスのニュースでもちきりですが、そんな人間界の
喧騒をよそに、自然界の時計は確実に時を刻み今年も
我が家の庭に花を届けてくれました。
その花を足を止めて見るかどうかは、住人の心のゆとり次第です。
私が生まれる前から同じ場所で毎年花を咲かせてきたツツジ、
もうすぐ毛虫がやってきて柔らかい葉を食べ始めます。
毛虫に気づかずに、ツツジに辛い思いをさせた年もあったでしょう、
ツツジの花が終わるとサツキが咲きだします。
こちらも私が生まれる前から同じ場所で根を張って花をつけてきました。
ツツジの花を摘んでお尻から蜜を吸っていた子どものころ、
大人になり花を見るゆとりもない時代があったと思います。
雨が降ると服がツツジやサツキの葉についた水滴で濡れると
鬱陶しい気分になったこともありました。
そして、ようやく時々ですが花を見るゆとりができて季節の
移ろいを感じられるようになりました。
「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」。自然の悠久さと
人間の生命のはかなさを対峙させて人生の無常を詠歎した句です。
生ある者は必ず死ななければなりません。
それは人間の「サダメ」です。
人間にとって、死別ほど悲しいものはありません。
否、人間だけではありません。
『朝日新聞』の「こころ」の欄で紹介された千葉県仏母寺の住職、
安井玉峰さんの随筆です。
ある日、お寺の壁にドスンと雄のキジがぶつかり、ひん死の重傷を
負ってしまいました。
キジの雌がコーコーと鳴いて雄の周りを回っているんです。
雄は必死に首を上げようとするんですが、ついに力尽きてしまいました。
痛ましさに胸がいっぱいになり、キジのそばにしゃがみ込みました。
が、あんなに警戒心の強い雌キジが、今はもう私のことなど意識になく
彼の周りを回っています。
そのうち彼女は彼のくちばしの付け根を軽くコツコツとつつき始めました。
コーコー。
「起きなさい」といわんばかりです。
それでも、なんの反応もないと、こんどはトサカやほおの毛をくちばしで
くわえて持ち上げようとするではありませんか。
が、黒いひとみは閉じられたままです。
ついに、彼女は彼の体に駆け上がり、必死にコーコーと鳴きながら、
ひとしきり激しく頭をくわえてひっぱりました。
キジの情愛とはこれほどのものかと、彼女の姿が涙で見えなくなりました。
・・・・・彼女はやっと事の次第を納得したのか、離れては近寄り、
それを数回繰り返して、去って行きました。
放心して見つめる私が、なきがらを始末をしてやろうとすると、
彼女が戻って来たのです。
3メートルほど離れてじっとこちらを見ています。
と、今度は決心したかのように、彼のそばにつかつかと力強い足取りで近づき、
二度、三度、彼のくちばしをつつき、声も出さず、振り返りもせず、
去って行き、戻ってきませんでした。
・・・・・・この夫婦は今生の別離をしたのです。
はかなかった、短い一生の・・・・・。
彼女は真心をささげて、別れのあいさつをしたのです。
命がけで。
キジは来ませんが、スズメ、カラス、モズ、メジロ・・・・・そんなのは
やってきて賑やかにしています。