納経帳
4番札所の大日寺あたりから足の豆がつぶれ、指のあたりが
じくじくしだして皮がむけているところが痛くてたまらなくなり、
歩く姿勢もおかしな形になり余計に疲れがでました。
なんとやわな歩き遍路、今ならそう思いますが当時は痛い、痛いを
心の中で唱えながら歩いていました。
気分を変えて納経帳についてアップします。
四国88か所や西国33か所などのお参りに行く人の
大部分が持っている納経帳、お参りした証にいただく
御朱印で、四国では御朱印帳と呼んでいる人もいました。
本来は経を納めることだと思います。
般若心経を写した用紙を専用の箱に納める、あるいは
読経でもいいのかもしれませんが、真偽のほどは・・・・・。
歩きでも自動車でも、そしてツアーでもほとんどの遍路は
納め札を写経の代わりに納めます。
この納め札にも回った回数で色が変わるという取り決めが
ありますが、これは後付けのしきたりだと思っています。
もともと、札所と言うくらいですからお参りした人が、その証拠に本堂や山門に木の札を打ち付けていたことから、札所と言う名称が
生まれたということで、お参りの人が多くなりあちこちに札を
打ち付けられては大変ということで、現在のような紙の札が
誕生したのでしょう。
歩き遍路にとって辛いのは重い荷物です、少しでも荷物は少なく、
着替えも洗えるなら最低限、雨着も防寒着と兼用、いらなく
なった荷物は宅配便で送り返す・・・・様々な工夫をしながら
歩いている人が多いのが現実だと思います。
お金を節約するということで野宿を選択する人は、それなりに
大きな荷物を背負っていますが、季節のいいときに1泊くらいなら
気分転換になりますが、あまり気色のいいものではありません。
荷物を軽くするという理由で納経帳も最初は小さくて軽いものに
しましたが、これだと88か所全部の納経が収まりません。
途中で買い足し、買い足しして別格や奥の院の御朱印もいただき
ましたので、お礼参りに高野山に行ったときには3冊目になって
いました。
奥の院で前の人がB5の納経帳に御朱印をいただいているのを見て、
その場でB5の納経帳を購入して、新たに御朱印をいただきました。
2度目からのお参りは朱印だけで、4度以上同じ札所をお参りすると
朱印が重なってしまいますが、それはそれで歴史を感じることができ、また違う味わいがあるものです。
この納経帳ですが、最後はどうするということですが棺桶に入れる、
家族に残しておく、札所に納めると特別な決まりはないようです。
御朱印をいただいた半襦袢は亡くなった人にかけるのが習慣に
なっていますが、納経帳にはそうした決まりがない・・・・・・。
4冊の納経帳をどうしょう・・・・・。