思い出し遍路㉛
いよいよ今回は室戸岬に到着します。
前回終わったところまでは路線バスでの移動になります。
ここも前泊ですが、出発は大阪で時間も夕方の5時前のバス
だったと思います。
昔、核燃料の最終処分地で大きな問題になった東洋町の
生見まで乗りましたが、到着は11時を過ぎていたと思います。
夕食はバスの中で済ませ、朝食付きで民宿を予約しました。
この辺りは釣り客やサーフィンを楽しむ人も多く、何軒かの
民宿があります、室戸に向かう遍路客も利用しますが
この辺りから歩いて、もう1泊しないと室戸岬には着きません。
朝食をいただきバス停に向かいました、バスには若い人はほとんど
乗っていませんでしたが、白衣姿を見て皆さんが「おはようございます」
と挨拶してくれたのが思い出として残っています。
バスには30分ほど乗っていたでしょうか、三津漁港の付近で
バスを降りて残り10キロほどの歩きでした。
降りる時もおじいさん、おばあさんから「気をつけて」の言葉を
かけてもらいました。
高知の人はぶっきらぼうだと聞いていましたが、こうして暖かく
言葉をかけてくれる人もいるんだと再認識しました。
というのも、前回の室戸へ向かう道でほとんどない食堂を見つけて
ラーメンと白ご飯を食べました、店では男性が一人で食べていて、
白衣を見て「どこから」「どこまで行く」と言葉少なに質問され
「こんにちわ」とか「ご苦労さん」の前置きもないのかと思いながら
質問に答えて、食事をしていました男性は先に出ていき、食事が
終わって代金を支払おうと「お勘定は」「あ、お金はさっきの男の人が
払ってくれたよ、あんまり話をしない人だけど、お遍路を見るといつも
食事代を払ってくれる」ということがありましたので、ぶっきらぼうが
高知の県民気質だと思っていたのですが・・・・人それぞれ・・・・。
寄り道をしました、相変わらず左手には太平洋が広がっています。
前後に遍路の姿は見えません、そのうちに前方に青年大師像が
見えてきました、3時間足らずで24番の最御崎寺に着きますが、
御蔵洞(みくろど)に寄りたいので大師像は見て通るだけでした。
御蔵洞は現在は中に入れませんが、当時は暗い洞窟に入れ
二つある洞窟の一つが生活の場で、もう一つが修行の場だったと
聞いています。
ここで空海の名前が生まれたということで、いわれも読んだことが
ありましたが・・・・・・。
中は水滴がぽたぽた落ち、じめじめした感じでしたが線香の
煙が立ち込め、ろうそくもともっています。
55号線に面していますので、歩き遍路だけでなく車での遍路や
ツアーの遍路、それに観光客も立ち寄るのだと思います。
自由に入れるなら季節のいい時に1泊してみたい気分でした。
御蔵洞の前には乱礁遊歩道があり散策ができました。
休憩代わりに歩いて太平洋を間近に感じてきました。
と・・・・・室戸岬には着きましたが・・・・最御崎寺までは、
次回になります。