思い出し遍路76

いとう茂

2021年04月18日 12:20

一の橋を渡りいよいよ奥の院への道が始まりました。
杉木立が両側に並びそれを囲むように墓石が並んでいます。
一般の墓地のように長方形の墓石ではなく、大きさも形も様々で
高いものになると2メートル以上にもなります。
奥の院まで2キロほどでしょうか、人が歩いていてもどこか荘厳な
空気を感じました。
知覧の特攻記念館とは違う空気ですが、どちらも張り詰めたものを
感じます。
20万基以上あるといわれる墓碑や供養塔ですが、戦国武将をはじめ
歴史上の有名人のものが数多くあります。
中の橋がほぼ中間にあり、右、左の墓碑や供養塔を見ていると
一の橋から1時間ではとても足りないと思います。

奥の院で一番気に入っている場所は、本堂の裏手にある御廟で
弘法大師が今も生きて修行をしているという場所です。
中には入れませんが、本堂の裏のちょっとした出っ張りに腰かけて
ぼんやり時間を過ごす、至福という言葉が頭に浮かびます。
前は通路になっていますのでお参りの人が絶えることなく通りますが、
それが苦にならないゆったりした気分になれます。

1巡目は納経帳に御朱印をいただきこれで結願ですが、
・・・・・すぐにB5の納経帳を買ってもう一度御朱印・・・・・・、
さあ、2巡目の始まり。
そんな気分になりました、そこから3巡目、そして今は進みませんが
4巡目に入り、それも残すところは4分の1くらいでしょうか。
最近はお大師さんに呼ばれることがありませんので、四国に向かう
足が遠のいています、いつになったら呼ばれるのかなぁ・・・・・・。
四国も高野山も車以外なら結構遠く感じます。
感じるだけでなく距離もあるのですが、行こうという気になったら
この距離が出かけているという実感に変わり心が弾むから不思議です。
同じ距離でも違う場所ならこうした気持ちにはならないと思います。

これで88か所と高野山へのお礼参りが終わり結願になりましたが、
2巡目の出発はそれから2か月と立っていなかったように記憶して
います、呼ばれる人はすぐに呼ばれる、来なくていい人は徳島あたりで
縁が切れてしまう。
これもお大師さんの思いだと信じている自分がいます。
仏教への信仰とは全く違う気持ちですが、これも一種の信仰心。
自分の心が平らになるならよしとしましょう。