目盛り、メモリ
目盛りと言えば何を連想する人が多いのだろう。
ものさし、計量カップ、体重計、秤・・・・・・。
色々と目盛りのついた物が身の回りにあります。
思っていたのは自分の生活の目盛りです、生活レベルではありません。
感じる力、読み取る力、考える力、感性とか感受力と表現
するものかもしれません。
単純な繰り返しの仕事、掃除とか家の施錠確認、洗車も入る
かもしれません。
他にも単純な繰り返しの仕事や作業はありますが、長く続ける
ことで慣れてきますので効率は良くなるのが当然ですが、慣れだけでなく
「これはこんなもの」「ここはこうすればいい」セオリーがあるもの
ならそれでいいのでしょうが、そうしたものがない場合には時として
手抜きに近いものが出てくるように思います。
それを慢心と言うのかは別にして、最初にした時よりは丁寧さに欠ける、
それに気づくことが少なくなったように思います。
自分の中でそのことに対する目盛りが粗くなっている、初心忘るべからず、
言うは易く行うは難しだと改めて感じています。
別に大きな失敗をしたということはないので、この段階で少しでも気がつく
ということは失敗に備えているとも考えられるのですが・・・・・。
一つしか知らない者は傲慢で、多くを知る者は柔軟である。
そんな言葉もありました。
予定が多く入り忙しく時間の経過も忘れて動いていると、次はあれ、
その次はあれ・・・・・・と目の前のことよりも先の段取りを考えてしまい、
ついつい、今しなければいけないことの詰めがおろそかになってしまう。
今日はえこーの賛助会費を払いこんでいただいた方に礼状を発送した
のですが、封入するものをあらかじめ考えていたにもかかわらず、
肝心の賛助会員の規約を入れ忘れてしまいました。
礼状を受け取った方は、賛助会員の規約があることは知りませんので、
何も感じることはないと思いますが、スタッフとしては大きな失敗です。
これも慢心、傲慢の影があるのかもしれません。
最初の頃なら封入するものを机に並べて一人ずつセットにして
封筒に詰めていた自分の姿を思い出しました。
あ~あ、目盛りが粗くなってるやん。
そんなに急いでしなくても郵便局は閉まらないのに・・・・・・。
コロナでも後の祭りはあります。