誰かに出す手紙②

いとう茂

2021年06月01日 15:25


もう50年近く前になるのですね、同期入社とはいえ
君は大学を2年留年したといっていましたから、随分
おじさんでした。
同期だから親しみを込めて君と呼ばせてもらいます。
お寺の息子と言っていましたが、仏教やお経の話は
聞いたことがなかったし、好きなものはお酒・・・・。
まさか、お寺を継いで僧侶・・・・それはないですね。
運転免許を持っていない君は会社を途中で抜けて、教習所に
通って何度か試験には落ちたものの免許を取得しました。
免許をもらうとすぐに中古車を買ってきました。
車の知識はまるでない君が、いきなり車を買ったと言ったので
びっくりした覚えがあります。

もっとびっくりしたのは山科から大津に帰る道が怖いので
横に乗ってくれと言われた時でした。
君の実家は稚内でしたね、こちらに知り合いがない君にとっては
同じ職場にいる私くらいしか頼む人がいなかったのでしょう。
君が怖いと感じていた以上に助手席の私は怖いと感じていました。
右、ブレーキ、指示器とまるで教習所の教官のように、声を出して
いたのを覚えています。
大津に着くと君は一人暮らしの社宅によく誘ってくれました。
ある時、稚内から送ってきたと言ってホッケの干物を焼いてくれたのを
君は覚えていますか。
洗っているのか分からない皿に少し焼きすぎたホッケが並んでいました。
2人で日本酒を飲んで仕事のことを話していました。
酔いが回ると人との会話が苦手な君は、営業で得意先回りをするのが嫌だと
いつも言っていましたが、あれは君の正直な気持ちだったのでしょう。
あの時に、生まれて初めてホッケを食べ、その後も居酒屋に行くと
時々ホッケを頼むようになりました。

社員旅行で皆生温泉に行った時だったと思いますが、酔っぱらった君は
一人で大声を出してダンスホールで踊っていました。
日常で発散しきれない何かが君をそうさせたのでしょうが、多くの社員が
おかしな顔をして遠巻きに見ていたのを君は気づいてなかったでしょう。
私は3年で会社を辞めましたので、その後は君がどうしているかも
分かりませんが、どこかで元気に暮らしていることを願います。