昭和の思い出 高見山大五郎

いとう茂

2021年07月16日 14:58


大相撲の名古屋場所佳境に入ってきました。
今日は高見山が外国人力士で初めて幕内優勝をした日だそうです。
1972年と言いますから50年近く前になります。
若いころの印象しかありませんが、高見山と言えば上半身の
大きさと下半身のアンバランス、もみあげ、ハスキーボイス、
引退後に寝具のMに出ていたことが残っています。
力でねじ伏せる取り口で、小技は苦手、四つ相撲も苦手だったと
思います。
成績も上下の幅が大きく、番付が上がったり下がったり。

それでも横綱の輪島には善戦していた覚えがあります。
輪島にまわしをとらせずにのど輪で押し出した取り組みもあったと
記憶しています。
ハワイ出身の陽気な力士で大相撲以外のファンも多かった
のではないかと思います。
現在は外国人力士と言えば、モンゴル勢が多いのですが、
高見山以外には幕内に当時は外国人力士はいなかったと思います。

物珍しさで観戦する人も多かったのかもしれません、これが
右肩上がりの成績を上げて大関から横綱まで上り詰めていれば、
もしかすると違う評価が出ていたかもしれません。
あの頃は、今とは違う相撲ファンが多くいたようにも感じます。
相撲だけでなく、他のすべてのことがゆったりした雰囲気で
時間が流れていた、おおらかな時代だったのではないでしょうか。

高見山に限らず力士は土俵で生活の糧を得ています。
これは日本人も外国人も同じですが、高見山が優勝したのは
日本が高度成長期にある最後の時代です。
そうした時代背景にも支えられて、高見山が勝っても負けても
大相撲という枠だけでなく、外国から来てよく頑張っている。
そんな日本人の寛容さを感じていたのは私だけでしょうか。