つくしへ

いとう茂

2021年11月10日 22:53


つくしへと言っても文字が読めるわけでもなし、言葉を完全に
理解できるわけでもなし・・・・飼い主の自己満足とお前への詫びです。
お前がうちに来てもう10年、上の娘が子どもができたから
飼えないと強引に置いて帰ってから、ずっとうちで暮らしている。
あの当時は、これも上の娘が拾ってきた大きい犬もいて
表と裏で飼っていた。
来た当時からキャンキャン鳴いて、うるさかったけれどそれは
今もそれは変わらない、大きい犬と対照的だった。
この10年、お前は私といる時間が一番長いのだけれど、
お前はそれで満足なのか。
と言っても、お前に選択権はない、ドッグフードも勝手にこちらが
買ってくるものしか口にできないし、走り回るにしてはお前のいる部屋は狭い。
散歩と言っても首輪にリードをつけられて自由に動き回ることはできない。
最近はやりのドッグランとも無縁で、首輪を外して自由な時は私といる時だけ。

お前を見ていて寝たいときに寝て、お腹が減ったらキャンキャン、
気楽でいいなぁ、と思うけど人間が与えた空間と時間の中だけの
気楽さしかないんだなぁ。
こちらはかまいたいときにだけかまって、好物のエサをやって、
用事があればお前の事そっちのけで用事をして、
かまってくれというキャンキャンコールがあると「やかましい!」・・・・。
お前もたまらんやろ。

お前にはいつも申し訳のないことをしていると・・・詫びないと。
私にできることは・・・・、頭から首筋、体を撫でてやることと、
1年に数回一緒にふろに入って体を洗ってやること、
誰もいなくても飽きないようにと犬の玩具を買って与えること、
好物のエサを小出しにやること・・・・そんなことしかできていない。
それでもお前は尻尾を振って私を見上げてくれる、
何を訴えているのか・・・・分からないけど、
癒しとか気分転換の時間を与えてくれる、
ありがとう、おかげで救われる時があるよ。
願うことはお前が1日でも長生きしてくれること・・・
人間の勝手な願いだよ。
こんな私でも帰ってきて声が聞こえると、
キャンキャン呼んでくれる、いつまでもそのキャンキャンを
聞いていられたら・・・・。