もう8月です
また1枚カレンダーが薄くなりました。
そう言えば、夜明けの時間が少し遅くなり、日暮れも早くなったのを実感します。
昼間は相変わらず暑さに苦しめられていますが、
77年前の8月も暑かったのでしょうか。
大戦の末期で広島、長崎に原爆が投下されようとしていた時期です。
南方で戦っていた兵士は飢えとマラリアとも戦っていたと言います。
食糧も弾薬もなく、補給路は絶たれ援軍も来ない島で、
何を思い何を望んで亡くなっていったのでしょう。
不沈艦と言われた大和が東シナ海で沈められたのは4月、
沖縄が米軍の支配下になったのは6月、
日本はこの時期は片肺飛行どころか座して死を待つだけの国であったと思います。
とどめは2発の原爆、結果からならどうでも言えると思いますが、
もう少し早く白旗を上げていれば・・・。
蝉や地虫取りにも飽きて・・・かといって暑い時に釣れる魚も少なく・・・・
もちろん夏休みの宿題などする子どもでもない・・・。
8月に入るとウナギ釣りが佳境に入ります。
夜行性のウナギですが、遊びで昼間に引っ掛けた鮎をエサにして
琵琶湖に投げ込んでおいたら・・・偶然大きなウナギが釣れた。
初めての体験で大慌てだったのを覚えています。
それからは昼間に鮎を引っ掛けて冷蔵庫で保管して、
夕方の6時ころから釣りに出かけて3時間余り波の音を聞いて過ごす日が続きます。
お盆になると親から殺生したらアカンと言われてウナギ釣りも終わりを迎えます。
今なら貴重品の天然ウナギが普通に釣れました。
釣り上げてバケツで泳ぐウナギを見て、真似をする大人もいましたが・・・へたくそ。
大人が子どもに教えを乞う、それでも釣れないのは・・・やっぱりへたくそ。
そういえばこの頃から一人遊びが性に合っていたのかも知れないと思い返したりもします。
あれから半世紀以上が経過しました、この先8月は何をしょうかな。
と、考えても子どもの頃のように多くの選択肢があるわけではありません、
年を重ねるということは選択肢を一つずつ捨てていくということかも知れません。