認めたくない気づき
コロナでマスクが必需品になってずいぶん経ちますが、3月13日からは、
感染症法上の位置づけが変更されマスクの着用は
個人の判断に委ねられることになっています。
継続して着用することを厚労省は推奨していますが、強制ではありません。
マスクの着用で、暑い、鬱陶しい、そんなデメリットがありましたが、
それよりも髭剃りをサボってもわからないというメリットが上回っていたように感じます。
先週の金曜日から1週間、髭を伸ばしてみました。
今朝の洗顔できれいに剃りましたが、剃る前の顔を鏡で見て感じたことは、
自分の髭がこんなに白くなっている、と言うことでした。
若いころは黒々とした髭も年齢を重ねるごとにゴマ塩のように、
白い髭が増えていましたが、鏡に映るのはほぼ白い髭でした。
前期高齢者ゾーンに入り、古希も見え始めてきたのですから自然な変化ですが、
自分では高齢者という言葉がなじめずに、
膝も痛くないし体の柔軟性もまだまだ残っていると、
プラスのことだけを自分の中に取り込んで、
マイナスの部分は排除してきたように思います。
人から高齢者と指摘されると、否定する気持ちがむくむくと頭をもたげますが、
鏡に映る自分を見ているのは自分だけです。
認めて受け入れるなら今のうちだぞ、
周囲の多くの人が指摘したら落ち込むかもしれないし、
逆に曽野綾子の戒老録の
「周囲から優しくされたら年寄りだと思われている」と感じてもっと落ち込むかもしれません。
髭を剃ってさっぱりしましたが、髭がなくなっても年相応の顔は変わりません。
誰の言葉か忘れましたが、「分かっているようで一番わからぬ自分」
ではありませんが、ここは認めたくなくても高齢者のゾーンに入っていると考えた方が、
自然な生き方ができそうにも思います・・・。