人生余熱あり

いとう茂

2024年06月21日 15:58


一番好きな城山三郎の小説のタイトルです、名古屋の24時間営業のスーパー銭湯の話から始まります。
夜中から朝まではほとんどが老人で、朝の入れ替えに一旦出て再度料金を払って朝まで銭湯にいます。
読み進むにしたがって定年後に海外でのボランティアに応募して、様々な技術指導に行く高齢者の話がいくつか出てきます。
年齢からくる衰えや疲労感はあると思いますが、それでも情熱をもって社会の役に立とうとしている人がいることに頭が下がりました。
余熱と言うよりも定年後も燃え続けている、そんな印象でした。
年齢よりも若くありたい、そう考える人は多いと思います。
この前の太鼓のミーティングでも「強い太鼓を打ちたい」と言ってしまいました。
寸分違わぬリズムで打つ太鼓も魅力がありますが、それよりも強い太鼓に魅かれます。
そこで8月からは太鼓のメンバーを、叩ける方と叩けない方の2つに分けて、練習することについて意見を聞きました。
全員賛成で方針が決まったのですが、それから1週間して叩けないメンバー3人が退会すると言ってきました。
全員が私よりも年長の人間です。
「皆さんにご迷惑をかける」「やめると決めました」。
あんたらには余熱はないのか、そんな思いでしたが黙って聞いていました。
他のメンバーは慰留に努めていましたし、家に行って説得してくるというメンバーもいました。
迷惑をかけないように別の日に練習をして、何とかレベルを上げようと考えていたのに、向上する機会を自ら放棄の形です。
余熱があればわずかでも鉄は打てますが、冷めてしまえば打てません。
迷惑をかけているという自覚は裏を返せば下手で申し訳ないということになります。
申し訳ないと思いながらの練習はさぞ辛かっただろうと推察しています。
これからは違う分野で余熱を活かしてもらえれば、そう願っています。