一生に2・3年と考えれば

いとう茂

2025年04月18日 15:28

関西の桜のシーズンは終わり、舞台を東北、北海道に移しています。
今年は例年よりも長い間、花見ができましたが桜の花は1週間から10日くらいでしょう。
1年のうち1週間か10日、残りの350日以上はひっそりと活動を続けています。
もし、これが人間の一生なら花の時は2年から3年、人生100年の中で周囲からちやほやされたり能力を認められ脚光を浴びるのは、たったそれだけです。
残りは平々凡々とした変化のない年、退屈であくびの年、苦しさ辛さしかない年になります。
果たしてそうした年月に人間は耐えられるのか、自分なら希望とか目標とかがなくなり、無気力な人間になりそうです。
脚光を浴びる年が近づくと慌てて準備をしても、日々の積み重ねができていないので、薄っぺらい内容しかなく周囲を失望させてしまい、得られる評価は「期待外れ」そんな図式が見えます。
そう考えると日々の退屈さや苦しさの中に、小さくても楽しみを見つける努力が必要かも知れません。
難しいことですし、想定外のことかもしれません。
しかし、そのことを試みることが毎日の微妙な変化に気づく心の細やかさを育てるように思います。
とは言っても・・・・凡人には遠い道のり、酒かテレビで気持ちを紛らせてふて寝をするのが関の山かも知れません。