春夏秋冬
人生100年を春夏秋冬に分けると、25歳までが青春、50歳までが朱夏、75歳までが白秋、そして100歳までが玄冬になります。
実際には白秋の期間がもっと長く玄冬は5年余りかも知れません。
昨日は白秋の真っただ中の人の告別式に行ってきました。
71歳という年齢です、長い闘病生活のせいか死に顔はもっと老けて見えましたが、表情は穏やかな顔でした。
新聞の死亡欄で100歳という年齢を目にすることも珍しくなくなりました。
ご主人は「本人はやることをすべてやったと言っていた」と話していましたが、人間はいくつになってもやり残したことがあるようにも感じます。
和太鼓を34年やっていますが、この会から3人目の故人になります。
このうち2人は70歳と71歳、その2人に昨年に追いつき今年で並びます。
2人の止まった時計は動く事はありません、人は時計を一つ持って生まれてくるのかも知れません。
大きさも形も違う時計で、長針が1周すると365日で短針が1つ進みます。
高村光太郎の「僕の前には道はない 僕の後ろに道ができる」ではありませんが、歩いただけ長針と短針が時を刻んでいく。
若い頃は辛い仕事もこなし、人間関係にも悩み、ようやく多くのしがらみから解放されて、のんびりできる白秋を迎えた矢先に、神か仏は時計を止めてしまう。
そう考えると、ある一定の年齢に達したら非日常でもいい、周囲に迷惑をかけない自分だけの楽しみに浸る、そんな趣味を持って生きられたらと願います。