向かっていくもの、向かってくるもの
午前中はスバルまつりで太鼓叩く子どもを引率して
昭和会館に行ってきました。
オープニングを飾る太鼓です、15名ほどの子どもたちが
力いっぱい?叩く太鼓の音がホールに響き、演奏が終わると
大きな拍手をもらいました。
小学校の校長先生も見えていましたので、
普段と違う子どもたちの顔を見ていただいたと思います。
次は来月9日の膳所小まつりが出番になります。
もっと多くの先生に普段と違う子どもたちの顔を見ていただき
新しい発見をしていただきたいと願います。
台風24号で被害を受けて、伊豆大島では多くの人が亡くなりました。
崩れるはずのない、そう考えていた山が崩れ、予想しなかった
土砂が流れ込みかけがえのない命が一瞬で失われる。
亡くなられた方に心からお悔やみ申し上げます。
この世に人間として生を授かり、これまで元気にしていた人が突然
いなくなる、残された家族にしてみればまるで神隠しにあったような
気持ちかも知れません。
同じ日本で台風24号を経験した人にとって自分が住んでいる所が
大きな被害を受けなかったことは幸運というべきかもしれません。
例えば、病気で亡くなる人にとって、自分が病気と
闘いながら死に向かって行くという感覚があるでしょう。
かたや今回の台風で突然、死が訪れた人にとっては
死が向かってきたという感覚かもしれません。
自分が向かって行くにしても死が向かってきたとしても、
自分の意思ではどうにもならないのですが、今までは私の中で
人間は死に向かって生きているという思いが強かったので
死が向かってくるという感覚は非常に薄いものでした。
病気がちな人が長生きし元気な人が若くして突然死んでしまう。
無常とはそういうことを言うのでしょうが、それが現実なのです。
当たり前のことですが、どこか傍観者の視点でいる自分がいました。
阪神淡路大震災、東日本大震災、ゲリラ豪雨、台風それらの被害で
多くの人たちが亡くなる現実で無念の死ともいえる、死が向かってくる
事も想定に入れて生きなければいけない、人生は足し算ではない
しかし、日々、コツコツとした積み重ねという足し算は疎かにしてはいけない、
たとえ明日死が向かってこようとも……。
明日、地球が滅びても最後までりんごの木を植えると言った人のように、
そのことに生きる意義があるような気がします。