2015年11月30日

始まりました

今日から11月通常会議が開会しました、回帰は12月22日までの
23日間、一般質問は12月7日からです。
今回の質問者は23・4名になりそうで、3日間で終わるか微妙な
ところです。

悩んでいた質問も完成し、後は提出するまでとなりました。
質問順位は水曜日の1時から抽選があり、そこで決まります。
8月の通常会議が10月までありましたので、間隔が1ヵ月半ほど、
途中で行政視察や所属しているほかの団体の行事などに追われ、
あっという間に通常会議といった感があります。

今回も12月22日に閉会してもすぐに年末、さらに大津市長選挙も
ありますので、2月通常会議もすぐにきそうです。

予算分科会での補正予算の審議、常任委員会での議案審議、
日程は決まっていますのでそれまでに議案の読み込みを行い
委員会に臨みたいと思います。
常任委員会は委員長を務めていますので進行が主で
意見を言う機会は余りありませんが、委員から意見や質問を
引き出す雰囲気を作ることが大切になってきます。

今週もかなり予定が入っています、愉しい同年会もありますが、
主に会議で明日は所属する会の理事会と例会、その後は
会議所の常議員会、水曜日は一般質問の調整と会議所の部会、
木曜日は市長選の会議、唯一金曜日が愉しい同年会、土曜日は
朝から2時間ごとに5つの会議が入っています。
今年は会議、会議で暮れそうな気もしています、そして・・・・・、
忘年会は、21日からの週に3つ入っているだけで例年になく
少ない予定です、少ないのはある種嬉しい面もあります。
飲みすぎや会費とは別の次元の話です、機会があれば、また。

最近、自分ではゆとりを持とうと努めているのですが、結構
タイトな時間のやりくりが続いています、そんな中で普段の生活で
これまで当たり前に使っていた時間が削られていないか、
これは意識して生活を振り返らない時がつかないことが多いように思います。
朝、洗面から朝食、緑のお爺さん、朝から一日を振り返って
削られていた時間は新聞を読む時間の長さ、新聞には目を通しますが、
議会のサロンには全国紙、地方紙、経済新聞、政党新聞等、多くの
新聞があります、もちろん自宅にも新聞がありますが、これらの新聞を
横断して読むことによって、各紙の考え方が見えてきます、
そうしたことで自分の判断基準ができますが、1紙だけですと
偏った判断になりかねません、最近は各紙を比較していない自分がいました。
時間にするとそれ程長くはありませんが、新聞に目を通している間に
心が落ち着いていたのかもしれません。

新聞のほかに見えてきたのは、やはり、ボンヤリの時間です。
この時間だけはこれまで、1日のうちどのくらい使っていたのか分かりません。
議員の控え室でボンヤリ外を見ている、時間にして1日で20分くらいでしょうか、
夜、駐車場に車を止めて夜空を見上げる、4・5行本を読んで行間の余韻を楽しむ、
これもそれ程時間をかけていたわけではありませんし、毎日のことでもありません。
それでも、こうしたわずかな時間で気分転換ができてゆとりを持てたのは事実ですし、
歩く速度まで速いことに気付きました、こういうときにミスが出るのも常です、
先の予定はあまり気にせずに、目の前にあることを一つずつ確実にこなしていく、
こうして振り返る時間を持てるだけでも、ゆとりがあるのかもしれませんが、
振り返ることも止まることも忘れて突っ走ってしまう、そんな自分がこれまでに
何度も失敗をした経験からの気付きと言えます。

通常会議が始まったからと力まずに自然体で臨むことが良い結果、深い審議が
できると信じて、明日から少しゆっくり歩こうと思います。

  
Posted by いとう茂 at 21:36Comments(0)

2015年11月29日

好きと大切

好きなものは何ですか、と聞かれて頭にいくつか浮かびます。
大切なものは何ですかと聞かれてもいくつか浮かびます。
好きなものと大切なものが同じ場合もありますが、好きだが
大切ではない、逆に大切だが好きじゃない、そんなものも
混じっています。

では好きなものと大切なもの、重要度はどちらが上か、
言葉の意味に対する価値観で変わると思いますが、
一般的には大切のほうが上のように思います。

好きと大切が同じものや人だとして、好きだから大切なのか、
大切だから好きなのか、そういうことはあまり考えません。
人が人を好きになる、大切に思うのも、好きだから大切なのか
大切に思うから好きなのか、このあたりは個人差があるでしょうし、
心の動きは理屈では説明できないという意見もあるでしょう。

ただ、好きだから大切にしょうという感情はあると思います。
大切だから好きでいようというのは、どこか無理や我慢が入るようで・・・・。

好きにもなぜ好きなのか理由があります、大切にも理由があります。
たとえば、カレーが好き、理由はおいしいから、ではカレーは大切か、
子どもなら大切と答えるでしょうが、大人の大切はもう少し重く
深いと思いますので、生きていく上で考えたら、必ずしも
大切とはいえないでしょう。

子どもの頃急性腎臓炎にかかったときには、医師から過激な運動、
刺激物はダメだといわれました、好きなカレーが食べられない時期がありましたが、
それはカレーが腎臓に悪く、体が健康になる方が大切だからです。

健康のために好きなカレーを食べない、これを拡大解釈していくと、
大切なもののためなら好きなことをやめられる、あきらめられる、
そういうところに行き着くようです。
中には好きなものや人のために大切なものや人を疎かにする場合も
あるでしょうが・・・・・・。

好きだが大切でないという場合はどんな時があるでしょう。
少し、好きなものという意味合いが違うかもしれませんが、お金が好き、
亀裂の入った夫婦で考えた場合、お金は好きだが、それを稼いでくる伴侶は大切でない。
悲しい現実はそれなりにあるのかもしれません。

逆の好きではないが大切とはどんな状況か。
子どもの頃にんじんやジャガイモが嫌いで食べられない、そうした人は
多かったでしょうが、親から野菜は体にいいから食べなさい、そう言われて
無理に飲み込んだ経験は大人になっても残るものです。

ともあれ、大切だと思う要因の一つに好きと言う感情がある、
卵を産む雌鶏は、飼っていて自分の生活の役に立つから大切、
この人が隣にいれば知らないことを何でも教えてくれるから大切、
大切の要因には損得もはいるようです。
お金では買えない安らぎをもらえる、風景でも人でも、だから大切。
損得や役に立つ、他にも要因があるでしょう。

最強の大切があるとすれば・・・・・。
大切だから大切。どんな欠陥や欠点があっても、他にもっと性能や
性格がいい人がいても関係なし、何があっても無条件ですべて込みで大切。
一般の人が享受している、便利さや快適さ等々の文明社会に
背を向けて生きることを選択するようなものかもしれません。
大切だと思うかは別にして、そういう価値観も持ちたいと願います。

  
Posted by いとう茂 at 17:57Comments(0)

2015年11月28日

夜空の色

今日は朝から会議が3つありました、朝に一つ昼から二つ、
中身が薄い頭でも使うと結構お腹がすきます。
別にダイエットをしているわけではありませんが、昨年から
比べると5キロほど減っています、人間ドックにもいきましたが
ほぼ正常で悪いところは加齢によるもので、生きてきた証しの
ようなもので、年明けに念のために再検査を受ける予定です。
医師の方からそう指示を受けましたので、安心しています。

最後の会議が終わった時には、すっかり暗くなっていました。
東の空には丸い月が出て星もパラパラ見えました。
ここで気がついたことがありました、それは空の色です。
中秋の名月の時の空の色はこんな色だったか?
今夜の空の色が特別変ったものだったわけではありません。
中秋の頃の空の色を思い出せませんでしたが、季節によって、
地域によって空の色も違うかもしれません。

そんなことを考えて歩いていて、再び空を見上げると、
三方を建物の屋根に囲まれた空が見えました。
同じ地域でも見るところによって広い夜空もあれば四角い夜空もある、
同床異夢ではありませんが同所異空・・・・・。
夜空の空の色も形も違うように、見上げる人の心も違うのでしょう。
暗い夜空でも希望を持って無限の広がりを感じる人、人生の
どん底から夜空を見上げる人には絶望、失望の広がりとしか
感じないでしょう。

で、私はといえば、うーん、ただボーっと見上げていた、そんなところです。
同じところから見たら昼間の空と夜の空の広さは同じはずですが、
夜は明かりがついていない山なども空のように見えますから夜の空の
方が広く見えます、沈黙は金、言わぬが花、そんな格言に通ずると思うのは
飛躍しすぎでしょうか。

月が出ていない時はもっと暗い空かもしれません、周囲が明るい
大都会の夜の空の色は薄色かもしれません。
どの色が本当の夜空の色か、今見ている夜空の色と違うかもしれませんが、
本当の夜空の色を知ってどうなるんだろう・・・・・・・・。
いつものくだらない思い付きです、
自分がこの夜空の色が本当の色だと決めても誰にも迷惑がかからない、
少し飛躍して、人は誰かに助けられ、誰かを助けて生きていますが、
それだけではなく誰かに迷惑をかけ、誰かに迷惑している。
こうしたことから逃げ出せません、だったら・・・・・迷惑をかけている、
そのことを十分認識して自分で決める色があってもいい、
認識せずに決めるよりは認識して決める方が謙虚になれる場合が
多いと思います。

土足で人の心を踏みにじるのも意識せずになら遠慮なく踏みにじりますが、
意識してならどこかに配慮があるように思いますし、そうせずにはいられなかった
自分との葛藤があるのでは・・・・・丸い月のような心だけでは生きられない、
満ちては欠ける人の心でしょうか。

  
Posted by いとう茂 at 22:06Comments(0)

2015年11月27日

五感

五感の説明はいらないでしょうが、聴覚、視覚、嗅覚、
味覚、触覚の五つです。
般若心経の中に無限耳鼻舌身意 という部分があります。
これは、眼、耳、鼻、舌、身、意で六根といいますが
五感に意、意は心という意味だったと思いますが、入っていません。
仏教の話は難しいのでやめにしておきますが、五感の
四つは顔に集中していますし、顔も触感があります。

眼は視覚、耳は聴覚、鼻は嗅覚、そして口は味覚です。
五感以外のことをしているのは口だけです、言葉を発します、
きれいな言葉、美しい言葉、褒める言葉、汚い言葉、辛い言葉、
悲しい言葉、ののしる言葉・・・・・・。
いろんな言葉が口から出ていきます。

口では何とでも言える、時として言い訳や嘘も出てきますし、
心からの感謝、謝罪や懺悔の言葉も出てきます。
そして、目、耳、鼻、は二つ、正確には鼻は一つですが臭いをかぐ
鼻の穴は二つ、しかし口は一つしかありません。
物を食べる口と話をする口があれば・・・・・・・。
食事の時はうるさくて仕方がないように思います。

口は味を感じるための機能があるのに、言葉を発する機能も
神仏は持たせました、以下は独釈です。
目耳鼻と違い口は一つ、仏教の六根は意、心が入っている、
物事をよく見るために目は二つ、人の話をよく聞くために耳は二つ、
危険安全、かぎ分けるために鼻は二つ、物を味わうために口がある、
そして、心でよく考え責任ある言葉を発するために口は一つ。

食べたものを吐き出すすことはできますが、発した言葉は口に
戻すことはできません、言わぬが花、そんなことはよくあります。
失言は会議や公式の場だけでなく、日常生活でもよくあります。
不用意な一言が人間関係に亀裂を生じさせたり、大切な人との
未来をなくしてしまうことも、多くの人が経験しているかもしれません。

視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触角の五感は外部から自分の中に入って
来るものですが、発する言葉は内部から外へ出ていくものです。
五感で多くのものを吸収し、それを言葉で外に出す、唯一の手段が口です。
もちろん、目は口ほどにものを言うという言葉があるように、
目の動きで言葉がなくても物事を理解することはありますが、
口ほど多くのことを理解できません。

五感から入った情報が感情に変わり、感情が言葉となって
相手に伝わる、相手は聴覚と視覚を駆使して情報を感情に変えて
言葉でこちらに伝える。
一度発した言葉は戻りません、日々の当たり前の営みですが、
一人で生きているわけではありませんので、発する言葉を
十分吟味して、せめて近しい人にだけは誠意のある発信を
しなければと・・・・・。

  
Posted by いとう茂 at 19:19Comments(0)

2015年11月26日

慌しい一日

今日は朝から慌しく動き回っていました。
忙しいということと充実していることは違います、
慌しくとは、バタバタと余裕がない動きを指す言葉かと思いますが、
漢字を分解すると、りっしんべんにあれると書ます。
りっしんべんは漢字では立心偏と書き心の仲間がりっしんべんです。
つまり、心が荒れる様を慌しいというのかと思います。

緑のお爺さんをすませて、大津署で免許の講習会、ゴールドですので
30分で終わりましたが、講習と同時間からスタートしている会議に
途中から合流し、昼過ぎになりました、生まれてはじめて同僚議員と
昼食で回転寿司に行きました。
孫たちと夕食には何度か行ったことがありますが、昼食では
はじめてでした、昔なら30皿近く食べられたのでしょうが、二人で
ラーメンも食べて2000円足らずでした。

昼食も急いで済ませましたが1時を回っていました。
2時からは打ち合わせがありましたのでここで同僚議員と別れて、
生涯学習センターへ向かいました。
約2時間話しこんで4時に別れて次は少年鑑別所。
昨日に行くつもりでしたが、見学があり時間的に余裕がないとのことで
今日に延びたものです、この前に所属する会から古本と花の種苗を
購入する支援を行いましたので、週報に掲載する写真の
撮影が仕事です。

今日も大学生が就職を控えて施設見学に来ていましたが、
プライバシー保護の観点から顔を合わすことはありませんでした、
これまでに何度も訪れていますが、入所中の子どもと
顔を合わせることは一度もありません。
撮影が終わり所長と少し談笑して帰ってきました。

バタバタと慌しい日でしたが、それなりに収穫はありました。
ただ、今日の出来事が10年先に記憶の中に残っているのか、
来年の今頃には忘却の彼方かもしれません。
手帳を見返して今日がよみがえることはあっても、ずっと記憶して
いることはないと思います、今日という日がゆったりした日であれば
覚えているのだろうか、これもたぶん忘れている気がします。

人間という生き物は特別な出来事がないと特定の日を覚えていない、
そんな気がしますし、そもそも忘れるよう頭脳ができているように思います。
忘れるから思い出す、人の名前や顔もそうです、おであいしてあいさつをした
程度の人は印象も薄く次にであった時にすぐに思い出せないこともあります、
そんな人に限って私のことを覚えていていただいていることが多く、
初対面のようなあいさつをして赤面することもシバシバ・・・・・。
決していい加減に思っているのではないのですが、結果から見れば
そうなりますし、そのことが評価につながることもあります。

慌しく過ごしても、ゆったり過ごしても歩留まりにそれほど差がないのなら、
ゆっくり一つの仕事を済ませる方が満足度も違う気がします。
慌しく過ごし、悔いを残したり、恨みを買ったり、惨めな思いをしないよう
改めて一つ一つを丁寧にゆっくり取り組もうと、夕食後に一息ついて
考えている次第です。



  
Posted by いとう茂 at 20:49Comments(0)