2016年09月30日

体育祭

今日は地元の粟津中学の体育祭でした。
8時30分から開会式ということで、緑のお爺さんが終わってすぐに
家に帰り着替えて直行、これでもギリギリでした。
車で中学校までは5分足らずですが、グランドに行くと
すでに多くの来賓がお見えで、生徒も入場口に整列していました。
1クラス33名前後で各学年は5クラス、1学年は170名ほどで、
全校でも500名いるかどうかといった生徒数です。

自分のことを思い出すと団塊の世代の後の時代ですが9クラスあり、
1クラスの生徒数も50名近かったと思います。
全校では有に今の倍の生徒がおり、グランドももっとにぎやかだったと
記憶しています。
入場行進を見ながら考えていたことは、この場にいない生徒のことです、
毎年、卒業式が終わると校長室で校長から式に出席したお礼が
述べられ、その場にいない生徒が何名、この子たちは日を改めて、
3月〇日と〇〇日に校長室で卒業証書を授与しますという報告が
あります。

引きこもりや長期の病気、もしかするといじめが原因で不登校の
生徒もいるかもしれません、入場行進をしている生徒の脳裏には
この場にいないクラスメートのことを考えている子どももいるのか、
一緒に走ったり応援をしたかったと残念がったり寂しい思いを
している子どもはいるのか、そんなことを考えていました。

多少の速度差はあっても、前に進めるものだけがこうして歩いていて、
何かの理由で立ち止まったり、歩くことをやめてしまった子どもは
一緒に歩けないのだなぁ。
そう考えると複雑な思いがありました。
3年生にとってはすべての行事が最後になります、冒頭で校長が
あいさつしました、まさに、これっきりの運動会、一期一会で
すますには悲しいなぁと・・・・・・・。

競技では1番になって喜ぶ子どももいれば、ビリになって恥ずかしい
思いをする子どももいるでしょう、それでも時間がたてば多くの友達と
共有した時間がかけがえのない楽しい思い出になるでしょう。
その場にいない子どもには何も残りません、金子みすゞの星と
たんぽぽの詩ではありませんが、見えないけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
その場にいなくてもいない子どもにも思いがあります、そんなことを
感じて他者を思いやれる子どもばかりでありますように・・・・・。        






  
Posted by いとう茂 at 12:39Comments(0)

2016年09月29日

やってしまいました

女性はたいていの人が肩からかけたり脇に挟んだりして
カバンを持っていますが、男性でもクラッチバックが普通に
なり、財布や携帯などカバンに入れて持ち歩く人が珍しく
なくなりました。
貧乏性なのかわかりませんが、私はカバンに財布や携帯を
入れて持ち歩くのが昔から苦手です。

若いころは、人並みにカバンをもって手帳などを入れて持ち歩いた
こともありますが、どうもしっくりこないし性に合いません。
と、いうよりすぐに忘れてしまいます、会議などで机の下に入れて
置いたのを、会議が終わって忘れて帰ったことは2度や3度では
ありません。
傘は忘れることを前提に安物しか持たせてもらえませんし、
お酒が入ると特に忘れることが激しくなります。

飲み屋でケーキを忘れ、タクシーに携帯を忘れたことがあります、
携帯は忘れたというより落としたのかもしれませんが、飲み屋の
人がケーキを忘れていることに気づき携帯に電話したところ、
タクシーの運転手が出て、ケーキも携帯も手元に届いた
こともありますし、飲み会の前に本屋で気に入った本を買った
のを飲み屋に忘れたときは、こんな本を読むのはあいつしか
おらんと、無事に手元に戻りました。

お酒の忘れ物は仕方がないとして、昨日と一昨日の二日続きで
忘れ物をしました、昨日は太鼓の練習で上着を忘れました。
ばちを入れているリュックはしっかり持って帰ったのですが、
寝る前に何か気色悪く考えていて思い出しました。
一昨日は保護司の集いで、これも上着を忘れました、
どちらもアルコールは入っていません、この辺りは違う病気の
前兆かも知れません。

これまでに一番大変だった忘れ物は、もう35年以上前に
妻と京都の高島屋に買い物に行ったときに、私は時間つぶしで
本屋に行きました。
本を探すのに夢中になっていたのでしょうか、欲しい本がなく
そのまま帰ってきました。
妻は・・・・・・・?。
二人で京都に行ったことをすっかり忘れていた次第です。
家に帰って普通に仕事をしていました「嫁さんはどこかに行って
るんや」そんな感覚だったと思います。
当然、後から帰ってきた妻は・・・・・。

必要なものは身に着けておくというのが私の場合は大原則ですし、
誰かの物を持ってあげるということも厳禁です、とにかく手ぶらで
動いていないとダメなようです。
3人に1人が認知症になるといわれている時代ですが、形ある
物はよく忘れますが、数字や人の話はよく覚えている方ですので
そちらはまだ大丈夫と思っているのですが・・・・・・。
物欲が減ったと思うことにします。
  
Posted by いとう茂 at 12:36Comments(0)

2016年09月28日

見えない時間・見えない世界

夫婦でも親子でも、どんなに親しい、また近い人でも
こちらには見えない時間や見えない世界があります。
その人が信用できないとか罪を犯しているという
ことではなく、普通の日常生活を送っている中で
見えない時間、世界は存在するでしょう。
すべてを把握していないといけないということでは
ありませんし、把握できるものでもありません。
それに、こちらにも誰かから見ると見えない時間や世界が
存在しているのですからお互いさまといえばそれまでです。

いじめや虐待も周囲には見えない時間や世界があるから
起こるのでしょうし、久しぶりに見る親せきや友人の子どもが
大きくなっていて驚かされるのも見えない時間のなせる業かも
知れません。

不信感とかがなくても見えない時間や世界を知ろうとする
気持ちは思いやりや心配から出るものですが、半面、
管理、束縛といった自由の制限にもつながります。
子どもが何をしているか、恋人がどこに行っているか、
そんなことを知ろうとして思わぬあつれきや反発があることは
よくあることです。

何もかも信用して何も聞かないことは、時には無責任、放任といった
批判を受けることがありますし、取り返しのつかない結果になることも
あります。
「信じているから見えないものを見ようとする」「大切に思っているから
教えてほしい」。
自分が安心したいからというのではなく、相手に自分のことをちゃんと
見てくれている、自分のことを心配していてくれる、大事に思って
くれているんだ、そうした信頼感を得るためにも、見えない時間や
世界のことを、恐る恐るでも尋ねることは時々、必要なことだと感じるのは
私一人ではないと思うのですが・・・・・・。
  
Posted by いとう茂 at 18:09Comments(0)

2016年09月27日

図書館視察

23日の金曜日は各常任委員会が開催され、議案審査や所管事務
調査が行われました。
所属する教育厚生常任委員会では午後から旧志賀町の
和邇図書館と浜大津の市立図書館の視察を行いました。

市立図書館には何度も足を運んでいますが、和邇図書館は
初めてでした、周辺に体育館、市民センターなどの公共施設も
あり、相乗効果が出ているようですが、スペースが狭く、プレハブの
駐車場を書庫にしている状況で課題があります。
市立図書館は老朽化が進んでいるのと駐車スペースがなく、
車社会への対応も課題です。

視察の後説明を受けて質疑の時間がありましたので、
基本方針等について質問をしました。
基本方針は、①市民の求める図書を自由に気軽に貸し出すこと
②児童の読書要求に応え、児童サービスに重点をおくこと
③あらゆる人に図書を貸し出し、図書館を身近な施設とするため、
市民サービス網を形成すること

これでは図書館業務の説明ではないかというのが質問の
主旨です、読書の効果、人間形成や知識の拡充、そうしたものの
ために基本方針があるのなら理解できますが、いきなり業務の
ことが基本方針では納得できませんでした。

最近は冊数が激減しましたが、読書は好きですので、パソコンで
蔵書を検索して在庫を確認していました。
全国では夜遅くまで開館している図書館や宿泊ができる
図書館もあります。
1回に15冊まで借りることができますが返却は3週間後で、
延長は1度だけ、かなりのスピードで読まないと、すぐに返却日が
来ます、欲張らなければ問題がないのですが・・・・・。

人が一生に読める本の冊数は6000冊という説もあります。
これは15歳から65歳までの50年間で、1年に120冊、
3日に1冊の計算ですが、それを50年続けての数字です。
これも結構高いハードルだと思いますが、図書館に行くと
65歳以上の方も多くおいでになっています、65歳の上限を
75歳までに引き上げたとして生涯に読める本は7200冊。
かなりのボリュームになりますが、その半分くらいまでは
到達できればと願っています。

現在、図書館の在り方を検討されていますので、図書の効用だけでなく、
高齢者の方を含めたコミュニティの形成等、来館頻度が上がる
ような取り組みも考えて頂きたいと思います。
  
Posted by いとう茂 at 12:38Comments(0)

2016年09月26日

5年が経ちました

拙いブログを始めて今日で5年になりました。
1798回目のブログ、5年の月日はブログより、
フェースブックやツィッター、ラインに軸足を
置く人が増えマイナーな存在になっている
ように思います。
知り合いの中にもフェースブックを勧めてくれる
人も多く、ラインで誰かとしょっちゅう、やり取りを
している人もいます。

私には見えない世界で、入っていこうとは思いません。
コメントでつながることも可能ですが、ブログは基本的には
一方通行、波紋の広がらない池に石を投げるような
ものかもしれませんが、自分のペースでアップできるところが
性に合っていたのかもしれません。
メールやラインのように返事をしなければいけないツールなら
個人的には長続きしても、フェースブックのように、いいねを
送信するのが義務的になるのはどうも・・・・・・。

それなりに読んでいただいている人も増えましたが、
どれだけの人に読んでいただいているのか正確には
把握できません、それでも時々いただくコメントや
顔を合わせた時に「読んでますよ」の言葉に勇気づけられて
ここまで来ました。
そんな方々と黙って読んでいただいている方にお礼を
申し上げますとともに感謝します。
これからもマイペースで思ったことを羅列しながら続けていこうと
思っています。
害にはなっても益にはならないと思いますが、引き続き
よろしくお願いします。

土曜日は小学校の運動会でした、それで今日は代休です。
緑のお爺さんもお休みしました、サラリーマンや中学生が
通るのですが、あくまでボランティアです、自由意思の参加が
基本だと考えています、ねばならないという義務感が強くなると、
正しいことをしているという気持ちがわいてきて、傲慢に
なったり、指示に従えと言う命令者、管理者のように
なってしまいそうです。

人間、正しいと思うと誰にでも強制したくなるのが常ですし、
そこからは反発や軋轢が生まれ、支持を得ることが難しく
なります。
これはブログも同じで、自己主張や思いが強くなりすぎると
ほかの意見や動きが目に入らなくなり、ブログそのものが義務となり
楽しさや気分転換といった要素がなくなってしまうと思います。

いつまで続くかわかりません、特別な使命感も義務感もありません、
5年前に立ち上げてくれた議員から、始めたらやめられませんよ、
そう言われましたが、やめるまではやめないという気持ちを持っていれば
いいのか、そんな程度の考えは持っています。
始まりがあれば終わりがある、終わりがなければやることばかりで
身動きが取れなくなるでしょう、知らず知らずに色々な事が終わっていく、
だから新しいことが始められる、1日の時間も一生の時間も限られています、
そんな中の20分、とりとめのないことやくだらないことを考えるのも
無用の用だと思っています。

  
Posted by いとう茂 at 13:03Comments(1)