平成7年

いとう茂

2013年01月18日 14:57


二日間の研修も無事終わりました。
スクリーンとテキストを交互に見て
目がショボショボの昨日でしたが、今日は電卓と
細かい数字のにらめっこ。
もっと目がお疲れです。
おかげで、新しい知識を吸収することができました。
これが力に変わることを念じています。

昨日は阪神淡路大震災から18年目の日でした。
早朝に揺すぶられた記憶ははっきり残っています。
庭の大きな灯篭が倒れて無残な姿で転がっていました。

テレビからは立ち上る煙とヘリコプターの音が響き
情報は遅れ、何度も同じ映像が流れていたのを覚えています。

そして、その日は親父が自分の家で過ごす最後の日でした。
次の日の朝、もう何度目の入院だったか忘れましたが、
最後の入院のために送って行きました。

本人も家族も最後の入院だとは知る由もなかったのですが・・・・。

それからおよそ70日、親父は家族に看取られて安らかに逝きました。
4月6日の夕方のことです。

24時間の点滴が始まり本人も家族もそろそろ・・・・・。
それから何日後だったでしょうか。
もう記憶にありませんが、4月6日はやってきました。

さようなら親父。
もう18年です。

心に傷を負った人はその時間の倍をかけて心の傷を癒していく
そんな話を聞いたことがあります。
だとすれば親父がいつ死んでもおかしくない、
そう聞いたのは17の時でした。
その24年後に亡くなったのですが、そこからまだ18年。
あと30年しないと心の傷は癒えることはないのでしょうか。

まだあと30年、自分自身の寿命に自信がありません。

もうすっかり親父の年を抜いてしまいます。
天はそこまで私に生きろと背中を押すのでしょうか。

それもこれも、未熟な私故のことと甘受しなければ。

平成7年はある意味、人生の分岐点だったのかもしれません。

いいこともあったんですよ。
でも自慢しても帰らないあの年だからやめておきます。

かけがえのないもの。
たった一つの大切。

今噛みしめています。
失ったものの大きさや大切さに気がつくのは
愚かな人間故・・・・・失ってから。


あささん
コメントありがとうございました。
犬には飼い主を選ぶ権利はありません。
うちに来て、おなかが満ちてメタボにもならず
飼い主に安心と癒しを与え、それで命を
終わっていくペットという玩具。
人間の傲慢さも垣間見えますが、ペットはそんなことを
感じず食べて寝てじゃれています。

大きい犬だけでなく小さな犬もそうです。

あいつらが死んで私がまだ生きていたらごめん、ありがとうと
言ってやろうと思います。





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