2015年12月29日

近くて遠い

近くて遠い、物理的な距離の場合、新幹線や飛行機なら数時間で
行けるところも、わざわざ出かけるとなると億劫になりますし、
急なときや夜中には、すぐに駆けつけることができません。
地図で見ると距離がなくても鉄道などの公共交通機関がない所は
車でしかいけませんし、高速が走っていなければ時間もかかります。

昔から言われるのが、田舎の道、歩きしかない土地で地元の人に
道をたずねると、歩いてもう少し、そんな答えが返ってきても
歩き慣れていない都会の人にとっては10分15分の歩行は
行けども行けども到着しない、そんな感覚でしょうし、普段から
通いなれている田舎の人にとってはすぐそこでも、
移動手段のほとんどが徒歩以外の人には、長い道のりと感じるのでしょう。

価値観の差といえばそれまでですが、1日の時間の流れが違うように感じます。

人間関係で言うなら、同床異夢そんな意味になると思います。
夫婦の間によく使われる言葉ですし、広く男女の関係で言えば、いつもそばにいても
心が離れている、そんなことを指して使うのかどうか・・・・・。

近くて遠いの反対の遠くて近いは、男女の中が一番耳にしますが、
船の道とか極楽という言葉も覚えがあります。
男女の中は源氏物語か枕草子に出てきたような・・・・あいまいな記憶です。
距離的なものでは「急がば回れ瀬田の長橋」これも遠くて近いものでしょう。

もとに戻ります、近くて遠い、言葉の響きはもどかしい、寂しい、もっと言うなら
絶望、断絶そんなことを感じます。
実力がありながらタイトルが取れずにいる人間に対して使うこともあります。
金メダルに一番近い男、そんな男が敗れたときに、メダルまであと少し、
しかし、メダルは遠かったなどと耳にします。

これが、付き合っている男女ならどんな情景が浮かぶか・・・・・・・。
付き合っているのですから互いに好意は持っているのでしょう、
高校生なら、どちらかがクラブをしていて、もう一人がクラブが終わるのを
校舎の影で待っている、出てきた彼氏か彼女は異性を含めたクラブの
仲間と愉しそうに談笑しながら、片方の前を通り過ぎていく、
もちろん校舎の影にいる人には無視かどうか気付かない。
「おかえり」そういえない片方は、自分といるより愉しそうな顔をしている、
そんな片方に声もかけられずに黙って帰っていく。

あんなに近い距離だったのに、気付いてもらえなかった、それに
あんな愉しい顔をしていた、愉しい顔が輝けば輝くほど、
片方の落ち込みは激しいものになるのでしょう。

ここで次に会った時の対応が、二つに分かれると思います。
落ち込みを抱えたまま少し距離をおく人、距離をおいて、
相手の様子を見ながら、本当はこの人が自分のことをどう思っているのか、
壊れ物に触るように対応する人と、会えた嬉しさで、この前無視されたことなど、
どこ吹く風、子犬が足にじゃれ付くように嬉々とする人。

ここで、問題になるのは校舎の影にいる人に気付かなかったのか無視したのか、
心が不安定だと無視だと感じるでしょうし、安定していれば気付かなかったと
思うのでしょう、自分の前を通り過ぎた片方の心境をどう考えるかで
対応が変わりますし、自分の心のありようでも大きく変ります。
高校生の二人によらず、自分の心をどうコントロールするか、相手をどれだけ
信頼しているか、そこから生まれる手応えをどれだけ確かだと思えるかで
近くて遠いと感じるか、近くて近いと感じるかが決まるように思います。

決定権を握るのは自分の心のコントロール、これが一番厄介で難解、
高校生に戻れるのなら、ここのところをしっかり・・・・・。
大人になってもままならないのに、できっこないか。


Posted by いとう茂 at 00:02│Comments(0)
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