2014年06月30日

ビワイチ

6月14日と15日に20代の青年達8人とビワイチに
出かけました、7時に浜大津港を出発し近江神宮で
行程の無事を祈りました。

ママチャリありマウンテンバイクありで大丈夫かと思いましたが
今回のビワイチは1泊2日のスケジュールで例年ですと7時に出発して
日付が変わるころにゴールでしたが木之本まで約80キロのツーリングです。
私はと言うと30年ほど前に購入したロードレーサーと言うやつで
トライアスロン用のものです、今は甥っ子に譲っていますが、
この日のために拝借しました。

過去2度、ビワイチを経験していますが15時間近くはかかりませんでした、
1回目は19か20の頃に中学校から乗っている自転車で1周しました。
6時ころ出発して3時ころに帰ってきたように思います。
途中木之本のトンネルの中を走っている時に大きなファンの換気扇と
ダンプカーの轟音に驚いたのを覚えています。

2度目は31歳の秋でした、琵琶湖1周サイクルレースと言う名称だった
と思いますが今の県警本部の前から800人くらいの人と走りました、
タイムカードを押して6時からめいめいがスタートしました、
私も6時過ぎにタイムカードを押して一人でスタートしました。
結果を先に申しますと午後1時前に帰ってきました。
7時間弱平均30キロのペースで走り切りました。
私にも若いころはあったんだ・・・・・。
自衛隊の前で一人追い抜きひたすらペダルを踏んで走りました。

ロードレーサーと言う慣れない自転車、たまに練習で乗っていましたが
せいぜい近江大橋を往復したり浜大津あたりまで走る程度で
本格的に走るのはこの時が初めてでした。
その気になってペダルを踏むと50キロは有に出ますし
近江大橋の下りなら70キロ近くで走ることもできます。
ただタイヤが細く接地面が少ないので高速でカーブに進入して
砂が多かったりすると大きな事故になりますので気をつけなければ
いけません。

この時は30キロペースで走っていました。
何人か追い抜きましたが前に何人いるのか分かりません、
タイムとの競争ですのでそれほど気になりませんでしたが、
堅田のあたりで赤信号で止まっていると後ろから集団が
信号無視で追い抜いて行きました、みんなで渡れば怖くない。
さっそく私も最後尾からついていきました。

木戸の旧志賀町役場の前を通過したのはスタートからちょうど1時間でした
6・7人の集団の最後尾を走っていると風圧がほとんどかかりません、
ペダルを一生懸命踏まなくても引っ張られて走れますから
一人で走っているのとは大きな違いです、競輪でも選手の前に先導が走りますが
納得できます。

昔のことは改めて書くとして、近江神宮を出発し次の休憩は
琵琶湖大橋の道の駅です、そこまで長い列で走りましたが
ママチャリはさすがにきつそうでした。
伴奏で2台の車が付いており自転車は6台、車で3人と言う体制で
琵琶湖大橋まできました、ここで嬉しいニュースが入ってきました。

T君としておきましょう、彼が彼女を連れて参加していたのですが、
彼がトイレに行っている時に彼女が「私この前プロポーズされたんです、
16日に指輪を買いに行くんです」そういいました。
T君とは毎月ほど顔を合わせていますので何となく気心もわかります、
転勤族なのでそのうちどこかに行くんでしょうが好青年で
「幸せになりや」そういった時の彼女の嬉しそうな顔が印象的でした。

娘よりも若い子供と走っていることをその時実感し、
娘もどこかで誰かに同じようなことを言える日が来ることを
半分願いながら余韻に浸っていました。

休憩後は安曇川の風車村まで走ります、そこで昼食の予定で
あらかじめ下見をしているようで時間通りに進みました。
途中、鵜川ファームで朝食、私は食べてきましたのでニッキ水を
飲んでいました、白髭神社で記念写真を撮り一路風車村を目指しました。

土曜と言うことで風車村のレストランは混んでいて注文してから
出てくるまで40分待たされました、他に食事ができる場所もなく
ここで摂るしかありません、50分のロスでしたが仕方がありません。

実は15日に予定があったために私は今津までと言うことで
残念ながら帰らなければなりません、風車村から今津までは6キロくらいです。
ここまではほぼ最後尾を走っていたのですが、ノロノロがいやで
先頭を走りました、ペダルが軽い、思わずスピードに乗ってしまったようで
振り向くと誰もいません、先回りしていた車のスタッフから制止され
待つことしばし・・・・・。

無事今津の港に到着し皆さんに道中事故がないようお願いして
湖西線で帰ってきたのですがビワイチならぬ4分の1ビワイチくらいで
来年も機会があればトライして無事1周したいと思っています。

その後、みんなは奥琵琶湖ドライブウェーを上ったということで
若さの素晴らしさを少し羨ましく思いながら聞いていました。
  
Posted by いとう茂 at 12:40Comments(0)

2014年06月29日

一斉清掃

昨夜の雨で一斉清掃があるのか心配でしたが
目が覚めて外を見ると快晴で、まずは一安心。
7時前から清掃を始めましたが昔と違い
側溝もゴミが減り30人ほどで草むしりが
主な清掃でした、背丈ほどの草が茂っていた
団地側の原っぱも舗装され草そのものが
生えるスペースが減っています。

それでもゴミ袋30個くらいの草が集まりました。
タイヤ、バッテリー、空き缶、ペットボトルそんなものも
捨てられていた時期から見れば一斉清掃といっても
談笑しながら草むしりで町内の人のコミュニケーションの場
ともいえます。

小さい自治会ですが普段はあいさつ程度の付き合いが多く
一緒に汗を流す経験は貴重なものだと思います。

何とか毎日更新しているブログですが、来月初めには
1000回を数えます、稚拙な文章の積み重ねで恥ずかしいものが
ありますが、断片の積み重ねの結果が自分自身であることは確かです。
いろんな状態の中で書いたものですから、その日の感情の起伏があります、
エッセンス、他に適当な表現が浮かばないので、そう呼びますが
感情の起伏を除いて客観的な見地で内容をまとめると
私になりそうな気がします。

6月も明日1日で終わります、手帳を見ると7月も中ごろまでは
知事選挙で予定がいくつか入っていますし、それ以後も送別会
政策検討会議、視察、老人ホームの慰問、市政報告会、
保護司の研修会などで詰まっています、8月に入ると研修、
政策検討会議、保護司の研修などが入っていて、お盆の何日かは
フリーですがそれ以後は何やかと行事があり、ボーとできる
時間はあまり期待できません。

時間は作るもの、9月2日から通常会議で10月9日までの39日間は
多忙になるのが目に見えていますからそれまでに時間を作って
ボーとして来ようと考えています、1年で一番ゆっくりできる7・8月ですから。



  
Posted by いとう茂 at 13:21Comments(0)

2014年06月28日

控室の本より⑲

佐藤一斎の言志四録からの抜粋です、と言うより
佐藤一斎に傾注した西郷隆盛が好んだ言葉として
紹介されていました。

「凡そ事を作す、すべからく天につかうるの心あるを要すべし。
人に示すの念あるを要せず」

すべて何事を行うにしても、必ず天に仕える心を持って、
人に見てもらおうなどと考えてはいけない。
第一期卒業生の某君が、ある東京の会社に入社し、
初めて工場に配置された時、工場の便所があまりにも汚れて
いるのに驚いて、翌日の朝、まだ誰も出勤していない頃に出勤して、
汚れた便所の掃除をした。
掃除した後の便所は以前よりだいぶきれいになった。

某君は気持ちの良いのに勢いを得て、
それから毎日、便所掃除を行った。

二か月もたったであろうある日、社長が工場視察に来て、
偶然この便所に入ったが、たいそうきれいなのにびっくりして、
工場長に「どうしてここの便所はきれいなのか」と尋ねた。
工場長は主任に尋ね、主任は係長に尋ねたがさっぱりわからない。
その翌日、係長が早朝に出勤してみて初めて某君が掃除している
ことが分かったという。

某君は現在、入社後十年にしてその会社の営業所長となっているが、
便所掃除をしていることが社長に報告されて所長になったのではなく、
万事を自己の良心、つまり天に恥じない態度で勤務しているから、
若くして営業所長になり、同僚部下にも信望が厚いのだ。

私は某君の勤めている会社、工場、営業所を
訪問して学校に帰った時、生徒に某君の話をした後で、
「天に仕える心を持って会社に勤めれば、私心私欲が起こらず、
公明正大で、邪心悪心の生じるすきを与えない。
人に知ってもらおうとすれば、そこに私心が湧き、
外観を飾ろうとして自己宣伝に陥る恐れも生ずるのである。
君たちも人を相手にせず天に仕える心を持って「天衣無縫」を
心がけてもらいたい」とつくづく話したのであった。


天に仕える意識はなかなか持てない所です。
評価を気にしたり自分の仕事ぶりを自慢するのが
凡人の性であり悲しさでもあります。
その人がした仕事の究極の評価は、そのポジションから
その人がいなくなった時のような気がします。

大切なものに気が付くのが、それを失った時のように・・・・。

仏様の弟子にも似たような話が合ったように思います、
お経や説教はとても下手で、悟りとは無縁の弟子が
懸命に掃除をし続け、仏様に認めてもらうという話だったと思います。

一灯照隅、お金をもらってする仕事もこれが人のためになるという
無償の仕事も分け隔てなく一心に行う、健さんの背中を見る思い
この感想は私だけ・・・・・たぶん。
  
Posted by いとう茂 at 15:08Comments(0)

2014年06月27日

町田忍の昭和レトロ紀行

水曜日の11時からBSで昭和レトロ紀行と言う番組が放映
されていました、特別な思いがあって見ていたわけではなく
どのチャンネルもワールドカップばかりで何度も同じシーンの放映で
食傷気味になり違う番組を適当に見ていたという所です。

愛媛のまちを訊ねて歩く番組で、覚えているのは八幡浜市の
ロンドンと言うレストランでお勧めのちゃんぽんを食べていたのと
造り酒屋の9000リッターの大きなタンクぐらいです。
1升瓶に入れて毎日1本ずつ飲んで15年かかるという大きなタンクです。

9000を1,8で割ると5000、5000日は15年より短い・・・・・。
そんなことはどうでもいいのですが、言いたいことはそれだけの時間が
かかるから飲めないということより、5000日かければ一人でタンクを
空にできるんだという、へんに前向きな気持ちでした。

実際に飲めと言われたら1週間も続かないと思いますが、やる前から
諦め、できない理由ばかり並べるなと言う深層心理の叫び
ではないかと思っています。
知っているようで本当は知らない自分がまだいるのかも知れません。

そんな自分と対峙できる機会はそうそうありませんので
ぼんやりテレビを見ているのも悪くはないのかも知れません。
人生はいつも選択の連続です、言い換えるならこれまでいくつもの
分岐点で迷ったり戸惑ったりしながら生きてきた、その結果が今と言うことです。

選択がいつも正しかったわけではありません。
大きな間違いもあったでしょうし人に迷惑をかけたこともありました。
いつも誰かに支えられ、自分も誰かを支えてきた、そしてこれからも
それの連続でしょう。

論語の「吾、日に三省す」とクリスチャンの曾野綾子さんが言った
「人生の終わりに感謝と謝罪、どちらかしかできないとすれば感謝、
それが出来たらその人の人生は成功だ」と言う言葉は
どこか共通点があるように思います。

誰かに支えられて生かされている感謝、中にはあんな伊藤のために
そう思う人もいるでしょう、それでも支えていてくれる現実があります。
そう感じるとなるべく自分のことは自分でしょう、楽に流されずにしょう
人に迷惑をかけないでおこう、自然とそんな気持ちが湧いてきます。

100日余りで還暦を迎えます、100日先があるかはわかりません、
今日を生き切る、そのことが人のため、そして自分のためになる。
そんな支離滅裂なことを今日は思っています。
  
Posted by いとう茂 at 12:47Comments(0)

2014年06月26日

健康診断

滋賀県知事選挙が始まりました。
市政と国政の中間的な位置づけで県民の皆さんが
暮らしに関心を持っていただき各候補の声に耳を傾け
実行してもらえる確かな声を選んで投票していただければと願います。

投票は国民の義務であり権利でもあります。
貴重な一票に思いを込めて明日の滋賀、子どもや孫のために
棄権だけは避けていただきたいと思います。

午後からは政策検討会議があります。
来年の策定を目指して議会基本条例の検討を行います。
ルールを明確にして透明性の高い議会運営を行い
市民に分かりやすい、身近に感じてもらえる議会を目指すために
策定すると自分では思っています。
保護司会の研修会と重なり、そちらは欠席します。
保護司の研修会は来月もありますしほぼ月に一度のペースで
開催されますので次回は出席しようと思います。

時々受ける健康診断が今年は日にちが合わずに
受けられませんでした、結構献血の分析結果に
頼る所が多かったのですが、しっかり健康診断を受けるよう
勧めてくれる人もいます、でも、生まれつきの医者嫌いですので
ついつい億劫で延ばし延ばしにしてきました。

会議所の検診もあるのですが9月の通常会議中で
これもご縁がありません。
あとは直接、病院に申し込むしかありませんが・・・・・。

昔は体力に自信がありましたが、年齢を重ねるにつれ、
運動から遠ざかり体力の低下は隠せません。
それでも大きな病気もなくここまで来ることができました。
丈夫な体に産んでくれた親に感謝です。

生兵法は怪我のもと、と言うことわざがありますが、
この前、枝豆が夕食に出ましたので後で食べようと残しました、
基本的に夕食のときは晩酌をしませんから酒の肴になるものは
残すことが多くあります。
冷蔵庫に入れておいたのを出してアルコールタイムにしょうと思ったら
電話で呼び出しがあり出しっ放しで出かけました、その日は枝豆のことを
忘れて出したままでした、次の日も出したままの枝豆を見ながら
作業をしていました、その次の日は少し時間がありましたので
アルコールタイムの時に枝豆をつまむと皮が少し粘っています。

2日間常温で置いてあったのですから・・・・・。
食べてみるとやはり粘りがあります、もしかすると腐っているのか、
そう思いましたが下痢もずいぶんしていないし腐った枝豆で
下痢になれば腸の掃除にもなるか、もちろん、まだしらふの時の
判断です。

チビチビやりながら粘った枝豆を肴にしていました。
枝豆より納豆に近い感覚でした、小さい犬にも3・4粒やりましたが
あとは自分で完食、夜中に腹痛があるかなぁとほろ酔いで考えて
いましたが、無事でした2日くらいではだめなのかとも考えましたが・・・・・。

ともあれ小さい犬も私も無事で、これも健康と言うことかと
勝手に納得しています。


  
Posted by いとう茂 at 12:38Comments(0)