2017年07月31日

知的障害者が人生を教えてくれる工場①

以前、唐崎の研修所で日本理科学工業の話を
会長から直接聞いて非常に感銘を受けました。
半世紀前に障害者の雇用を決断した会長の人柄が
にじみ出た話でした。
昨夜、ニュースで同社の特集を見て改めて、あの時の
気持ちがよみがえりました。
人間の尊厳、人格、それは障害者も健常者も等しく
扱われなければいけません、障害者だから、健常者だから、
そこで過剰の扱いも過小の扱いもあってはならない。
そんなことをいつも思います、チョークで業界のトップを
走る会社の生きざまというか、経営方針を紹介します。

「知的障害者が人生を教えてくれる工場」
日本理化学工業が成し遂げた本当の「偉業」とは
鶴岡 弘之 氏の記事の引用です。


 その工場では、十数人の作業者が1つのラインに沿ってチョークづくりに
励んでいた。ラインに立つ作業者たちは全員、知的障害者である。
ここは日本理化学工業の川崎工場。訪れる前は、おぼつかない手で
ゆっくりゆっくり作業しているのだろうと思っていた。
しかし、実際に作業をしている姿を見たら、まったくの思い違いであることが分かった。

日本理化学工業・川崎工場のチョーク製造ラインの様子
棒状に押し出された練り物状の細長いチョークをカットし、
板の上に並べる人、乾燥機から出てきたチョークをコーティング工程に送るために、
12本ずつひとまとめにしてクリップに挟む人・・・。
一つひとつは単純な作業なのだが、動きに無駄がなく、素早い。
みんなてきぱきしている。そして何よりも、誰もが自信にあふれた表情で、
堂々と作業している。
「知的障害者が働く工場」に対する私の誤ったイメージは、
実際の作業場を見てものの見事に粉砕されたのだった。
意外な発見はそれだけではなかった。大山泰弘会長にインタビューして、
実際にチョークをつくっている様子を見学させてもらっているうちに、
どうもここは「工場」という枠には収まらない別の場所だということに気づき始めた。
工場というよりも、本当は「学校」なのではないか。
もしかしたら知的障害者は私たちの「先生」なのではないかと思えてきたのだ。
養護学校の先生が連れてきた2人の少女、 日本理化学工業は創業して
約70年になるチョークメーカーである。
書籍やビジネス誌、テレビなど数多くのメディアで紹介されている会社なので、
名前を知っている人は多いだろう。
同社の最大の特色は、障害者雇用の取り組みにある。
同社には川崎工場、美唄工場(北海道美唄市)という2つの工場があるが、
製造ラインで働いているのはほぼ全員が知的障害者だ。
74人の全従業員のうち、55人が知的障害者である。
その比率はなんと74%に達する。
おまけに半数は重度の障害者だ。
知的障害者がそれだけたくさん働いていたら、企業として大きなハンディなのではないか
と思うだろう。
しかし、同社にそんな社会通念は当てはまらない。
主力製品である、粉の出にくい「ダストレスチョーク」は、国内トップシェアを誇る。
また、同社は労働基準法で定められた最低賃金をしっかり守りながら、
確実に利益を出し続けている。
「障害者を安くこき使っているのではないか」と邪推する人がいるとしたら、
とんでもない間違いである。
同社が知的障害者を雇用するようになったきっかけは約50年前にさかのぼる。
これもいろいろなところで紹介されており、すでにご存じの人も多いかと思う。
改めて経緯を記すと、以下の通りである。
1959年のことだ。ある養護学校の先生が「生徒を就職させてもらえませんか」と
やって来た。
対応したのは、当時、専務だった若かりし大山泰弘氏である。
本当は教師になりたかったのだが、社長だった父親が体を壊したため、
仕方がなく日本理化学工業に入社したのだった。
大山氏は「知的障害者を雇うなんて無理な相談です」と断った。
だが、養護学校の先生はあきらめず、数日後にもう一度やって来た。
大山氏が断ると、三たびやって来た。
大山泰弘会長。1932年東京生まれ。中央大学法学部卒業後、
病身の父の後を継ぐべく日本理化学工業に入社し、専務として実質的に経営に携わる。
74年に社長に就任(2008年に会長)。翌75年、川崎市に日本初の
知的障害者多数雇用モデル工場を建設した。
そして、「就職を、とは言いません。せめて働く体験だけでもさせてあげて
もらえませんか」と言う。
「あの子たちはこの先、親元を離れて地方の施設で暮らすことになります。
一度だけでも働くということを経験させてやりたいんです」と懇願してくる。
それを聞いて大山氏は「それでは、2週間程度なら」とやむなく受け入れた。
就業体験にやってきたのは、2人の15歳の少女だった。
2人は会社で最も簡単な仕事を担当してもらった。
完成したチョークを入れる箱にシールを張る仕事だ。
少女たちは、真剣に、無心に仕事に励んだ。
「もう昼休みだよ」と声をかけても手を休めようとしなかった
2週間の就業体験が終わった。大山氏は「ああ、無事に終わった」とほっとした。
しかし、「終わり」ではなかった。2人の世話をしていた社員がやって来て、こう言った。
「こんなに一生懸命やってくれるんだから、2人を雇ってもらえませんか。
私たちが面倒を見ますから」大山氏が「本当に大丈夫なの」と聞くと「大丈夫です」と言う。
「社員の総意です」と熱心に頼んでくるので、大山氏は観念した。
2人を社員として雇うことにした。
禅寺の住職が教えてくれた「4つの幸せ」とは
2人の少女を皮切りに、同社はその後、知的障害者の雇用を増やしていく。
最初は障害者雇用に消極的だった大山氏が、なぜ方針を転換したのか。
心境の変化は、やはり予期せぬ出会いによってもたらされた。
  
Posted by いとう茂 at 21:58Comments(0)

2017年07月30日

幸村組夏の陣

今日は生涯学習センターで幸村組夏の陣が
開催されました、障害者も健常者もみんな幸せに生きられる社会、
そんな世界の創造を理想とする人たちの集まりです。
当たり前のことが当たり前でないことは世の中にたくさんあります。
当たり前のことを当たり前にできる人が少ないからでしょうか、
当たり前のことを当たり前だと考えないからでしょうか、
みんなちがってみんないい、そのことは認めていますし賛成ですが、
それが、当たり前のことをしなくていいという考えにはつながりません。
何が当たり前かも時代とともに変わっていきますし、個人の
価値観の違いで当たり前だと感じる度合いも違ってきます。

今年で2回目の夏の陣は和太鼓の演奏で幕を開けました、
ロックあり、ダンスあり、大正琴に、紙芝居・・・・・。
1時から5時までのイベントで市長も開会のあいさつには
出席して、それなりにステータスと認知度を高めつつある
イベントです、関係者が多く参加しているようでしたが、
一般市民にも参加していただき会の趣旨を理解して
頂ければと思います。

様々な活動をしている人が世の中にいます、大きな目標を
持って活動をしている人、与えられた責務を果たすために
活動している人、誰に頼まれたわけではないけれど
見ていられない、放っておけなくて動いている人、人に
言われて仕方なく活動をしている人、そんな人がいますが、
ある人がいつの活動の時も仕方なくということはあり得ません。
時には前向きに、時には放っておけなくて、と臨む気持ちが
違うのは普通だと思います。

この時期はイベントが重なります、体は一つ、イベントは多数、
伊藤は顔を出してない、そんなお叱りも受けます、1時間で
移動時間も含めて3つの会場を回る人もいれば、来賓紹介が
終われば帰る人もいます、人は人、自分は自分、自分の
スタイルはあちらもこちらもいい顔はできない、そんな生き方も
支持してくれる人がいます、一緒にイベントを楽しむ、
それもじっくり、そこから見えてくるものがあります。
秋もイベントが重なります、またまた、お叱りが飛んで
きそうですが、間口は狭くても深みのある楽しみ方をして
少しずつ間口を広げられたらと願っています。
もちろん、深みはずっと追及していきます。
  
Posted by いとう茂 at 23:23Comments(0)

2017年07月29日

マザレ祭り

今日と明日は浜大津港の前の広場でマザレ祭りが
開催されています。
明日はジャズフェスティバルを中心に行われますが、今日は
和太鼓、江州音頭、よさこいなど多彩なステージでした。
石鹿太鼓も4時30分から舞台に立ちました、一昨年までは
大津総踊りと浜大津フェスタに分かれて開催されていましたが、
昨年からは一つになり名称もマザレ祭りとして開催されています。
主管は大津商工会議所の青年部で私の後輩に当たります。
今月で外国から日本に働きに来ていた女の子が母国に
帰りますので思い出に大きい舞台を経験させてやりたくて、
後輩に無理を言って出演しました。

無理を言ってとは言っても、それなりの演奏はできるつもりですので
観客に残念な思いを与えることはないと自負しています。
オープニングを飾った和太鼓のグループもありましたが、それに
比べても・・・・・・です。
いつも同じメンバーで練習をしていますが、長い目で見ると
入れ替わりがあります、何事も同じ状態では続いていきません。

それが世の常とは言え、8月2日の練習を最後に母国に帰って
しまいます、私がその日は練習に行けませんので今日で
お別れでしたが、そのことは彼女に言いませんでした。
2年ほどの短い仲間でしたが練習熱心でこちらも大きな刺激を
受けました、後二人外国からのメンバーがいますが、こちらも
いずれは母国に帰ります。
次の舞台は地元の夏まつりです、一つひとつの舞台を丁寧に
こなして、こうして一緒に舞台に上がれる喜びをかみしめたいと
今日、改めて感じました。

外国からということでこちらも特別な思いが湧いてきますが、
メンバーには来年受験を控えた子どももいます、外国人であろうと
日本人であろうと出会いと別れは同じです。
年も違えば太鼓の経験もかける思いも違いますが、こうして
一つの曲を叩くのも何かのご縁です、ご縁の積み重ねが
満足のいく演奏につながる、そう信じてそれなりの年齢の
体にげきを飛ばしていこうと思います。
  
Posted by いとう茂 at 23:53Comments(0)

2017年07月28日

その人を笑えますか33

「ヘビとワシ」

ヘビとワシが、戦っていました。
ヘビがとうとう、ワシの体に巻き付きました。
それを見た農夫が、ヘビの巻き付いているのをほどいて
ワシを逃がしてやりました。
ヘビはたいそう怒って、農夫が飲もうとしているコップの中に
毒を吐き出しました。
農夫は知らないものですから、それを飲みかけた時に、
ワシが舞い降りてきて農夫のコップをさらっていきました。

良い事をした人には、恩返しが待っています。
毒を吐いたワシには何も罰は当たらない、
社会でもよくあることです。


「神さまの像を運ぶロバ」

ある人が、ロバの背中に神さまの像を乗せて町に
連れて行きました。
通りを歩いている人たちは、みんな神さまの像を拝みました。
するとロバは、みんなが自分を拝むのだと思って大得意になり、
大きな声でいなないて、先に進もうとしなくなりました。
ロバ引きはロバが何を考えているのかを見抜いたので、
こん棒で殴りつけながら言いました。
「何ておめでたい奴だ。人間さまがロバを拝むなんて事があってたまるか」

自分は少しも偉くないのに、偉い人の名前を借りていばり散らす人は、
正体を知っている人たちから笑い者にされるという事を、
このお話しは教えています。
役でもそういうことがあります、どこかの会長になったとたんに
威張り散らしたり上から物を言ったり、会長を降りても
同じ態度・・・・・・勘つがいだよ~ん。


「お百姓と、その息子を殺したヘビ」

ヘビがお百姓(ひゃくしょう)の息子の方へはい寄って来て、
噛み殺してしまいました。
お父さんのお百姓は、悲しくてたまりません。
それでオノを持ち、ヘビの穴のそばでヘビが出てきたら
すぐに叩き殺そうと待ち構えていました。
そのうちにヘビが一匹、穴から出てきました。
お百姓は、
「それっ!」
と、オノを振り下ろしました。
でもヘビは頭を引っ込めてしまい、オノはそばの岩を二つに割っただけでした。
こうなると、お百姓はヘビに仕返しをされたら大変だと思って怖くなりました。
それでヘビに仲直りをしようと、言いに行きました。
しかしヘビは首を振って、こう答えました。
「あなたもわたしも、今さら気持ち良くお付き合いする事は出来ません。
わたしはこの岩の裂け目を見るたびに。
また、あなたは息子さんのお墓を見るたびに。
嫌な事を思い出すのだから」

このお話しは、深い憎しみを持つ人同士が、
仲直り出来る事はめったにないと教えています。
あるべき姿と現実のギャップ、周囲から見ているのと当事者とは
随分感情に差があることはあります。
憎しみの正体は・・・・・・・一度考えてみます。
  
Posted by いとう茂 at 23:48Comments(0)

2017年07月27日

大津老人ホーム夏まつり

今日は大津老人ホームの夏まつりが行われます。
毎年、慰問も兼ねて太鼓を叩きに行きますが、ホームに入所
されている方だけでなく近隣の自治会やマンションにも呼びかけ、
子どもも多くやってきてお年寄りと交流しています。
演奏時間は25分、いつもステージ発表のトリを務め、和太鼓で
元気をお分けしてきました。
今年は4名で参加しますが、ほぼチャーターメンバーで、一番息が
合う仲間で叩きますので、自分たちも乗って行け、叩いていても
気持ちがいいのが何よりうれしいです。

今日が終わるとこの夏の最大級のイベントである、マザレまつりの
出演が29日にあります。
こちらは石鹿太鼓のメンバーが総出で演奏を行います。
時間的に短いので思い切りというわけにはいきませんが、
精一杯叩いてきたいと思います。

太鼓の演奏だけではないのでしょうが、拘束時間が長いのが
難点で、今日も2時間半余りですし、マザレの方は8時間以上
拘束されます。
会場に搬入がイベントの開始前で搬出がイベント終了後に
なります、手軽に持ち運びができる楽器なら、ここまで長くは
拘束されませんが和太鼓は車に積んでの運搬になりますので
仕方がありません。

物事はすべて待ち時間、拘束時間があるものです、テーマパークの
入場から乗り物に乗るのも待ち時間がありますし、花は1年を
かけて咲く準備をしています。
稲が青々と茂ってきましたが、こちらも秋の収穫までは拘束時間と
言えそうです。
反対に人間社会はスピード感とかいう言葉でも象徴されるように
なんでも速く、速く、もっと速くが要求され、忍耐とか辛抱という
言葉はいつの間にか絶滅危惧種・・・・・・。
ローマは一日にして成らず、小学校の時に覚えたことわざです、
私たちは過去の出来事の中で、忘れてもいいこと、忘れなければ
いけないことだけでなく決して忘れてはいけないこともあります。
待ち時間や拘束時間はそんなことを思い出す時間なのかもしれません、
だったら、そんな時間も楽しまなきゃ・・・・・・・フフフ。
  
Posted by いとう茂 at 14:29Comments(0)