2018年01月31日

大津社協・民児協との意見交換会

今日は大津市の社会福祉協議会と民生委員・
児童委員会と議員の意見交換会がありました。
6つのグループに分かれてそれぞれ違うテーマで意見交換を
行いました。
私は第2グループでテーマは学区社協活動、生活支援サービス、
子どもの学習支援について議論しました。

1グループが10名前後で時間が1時間余り、3つのテーマを
掘り下げて議論をするには短すぎる感がありました。
第2グループは10名で単純に時間を平均すると1人あたり
6分で3つのテーマなら各テーマ2分ということになります。
もちろん全員が均等に話をしていませんので平均には
なりませんでしたが、子どもの学習支援だけでも1時間では
短いように思いました。
学習支援の中には子ども食堂、トワイライトステイ、寺子屋事業も
入っていました。

これなら子どもの居場所づくりというテーマで括り学習支援は
現在生活保護家庭の子どもに限定している学習会のあり方や
生活困窮家庭の子どもだけでなく非行や高校中退の減少を
見据えた、学力全体の底上げについての議論でもよかったのに、
そんな気持ちでしたし、これまで高齢者を中心に活動を
進めてきた学区社協のあり方そのものについての議論が
したい思いでした。
高齢者の生活支援についても介護保険のお世話になるべく
ならない方策について他の視点からも議論ができたように
思いました。

批判をしているのではなく、食い足りなかった部分が多く
消化不良を起こしている感じです。
しかし1度や2度の意見交換で解決するような問題では
ありませんので、これからも個人的には話をしていこうと思って
います。
社協の職員からも子どもの学習会について力を貸して
ほしいこともありますので、情報交換は密にしたいと思います。
  
Posted by いとう茂 at 23:17Comments(0)

2018年01月30日

蝶番

漢字のテストではありません「ちょうつがい」と読みます。
読めても書けないのが漢字ですが、何となく見覚えのある
方も多いと思います。
説明はいらないと思いますが、開き戸や開き窓、
箱のふたなどに取り付け、これを回転軸として開閉させる金具。
2枚の金属板が軸を中心に回転して開閉するさまを蝶の羽根に
見立てていう。◇「丁番」と書くこともある。
と言うのが蝶番の解説です。

語源は「蝶の番(つがい)」であり、その形状を、とまっている
雄蝶と雌蝶のカップルに見立てたものである。
古文書の和歌などに「てふつがひ」として出てくるので、
古くから使われた日本語だと思います。

蝶番の話をしようと言うのではなくて、開いたドアの蝶番を
見ていて何となく気になりましたので・・・・・・・。

一般的な蝶番の使い方は柱に片方を固定して、もう片方を
ドアにつけてドアが開閉するように使います。
我が家もそうですが、派手な動きをするドアは風などで
勢いよく締まることもあれば急いでいる時に力いっぱい
引っ張られて開けられることもあります。
どんな時でも対応してくれるのはドアの役目ですが、
そこには片方でしっかり支える柱があることを忘れていました。

ドアは開閉の前後の動きだけでなく引力で上からの力も
かかっています、それを床と平行に動かすのも柱にしっかり
固定されていなければぎこちない動きになりますし、ネジが
外れて本来の役目を果たせなくなります。

ネジが柱にしっかり固定されていても柱がぐらぐらしていれば
ドアはスムーズに開きません。
社会で大きな活躍をする人の陰にはそれをがっちりサポート
する人が数多くいるのではないでしょうか、そんなことを
考えていました。
しっかり立つ柱の様にブレずに人を支えられたら支えられて
いる人も後顧の憂いなく活動できると思います。
時には支える側、時には支えられる側、そんな風に立場を
変えて我々は生きているのだと思います、支えるときは
ブレずに黙々と、支えられる時には支えてくれる人を信頼して、
そんな生き方ができれば、今日まじまじと見られていた我が家の
ドアも報われるのでしょうか、ドアにさえも支えられている
頼りない人間ですが・・・・・・。
  
Posted by いとう茂 at 23:00Comments(0)

2018年01月29日

その人を笑えますか㊶


「木こりと松の木」

木こりが松の木を割って、まきを作っていました。
松の材木でこしらえた台に乗せて割るのですが、
こうすると割りやすいので、どんどんまきが出来るのでした。
そこで、松の木は言いました。
「わたしは、わたしを割るオノよりも、わたしから作られた、
あの台の方が憎らしい」

知らない人からひどい事をされる方が、身内からひどい事を
されるよりも、ずっとましだと、このお話しは教えています。
誰が信用できて誰が裏切るか、そのことを見極めるのは
難しいことですが、こちらが信用しないと相手も信用しない、
そんな部分もあります。
人を見る目を養うことは自分の人間性を高める以外にないように
思います。


「セミとキツネ「」

セミが、高い木の上で鳴いていました。
 キツネがそのセミを食べたいと思って、ある作戦を思いつきました。
「セミくん、きみはいい声をしていますね。いや、本当にいい声だ。
そんなにいい声で歌う方と、是非ともお友だちになりたいので、
どうか降りて来てくれませんか」
キツネの悪巧みに気づいたセミは、木の葉を一枚むしって
キツネの前に落としました。
キツネはそれをセミだと思い、飛びついて食べてしまいました。
それを見たセミは、
「やっぱりね。おあいにくさま。わたしが降りて行くと思ったら、
大間違いですよ」
騙されたキツネは言いました。
「この前はこの作戦が成功したのに。どうして、わたしがきみを
食べようとしている事がわかったんだ」
セミはそばにあるキツネのフンをさしていいました。
「だって、きみのフンの中に、セミの羽が混じっているじゃないか」

身近な人の失敗は、わたしたちを利口にしてくれます。
利口になったつもりでも、思わぬところで失敗するのも人間です。
同じ失敗を繰り返す人もいれば、同じ失敗は二度としないが、
新しい失敗をする人もいます。
痛い目にあったことを忘れずにいたいものです。

「難船した男 」

アテネのお金持ちが、他の船客と一緒に航海をしていました。
ところが激しい嵐が起こって、船がひっくり返ってしまいました。
乗っていた人たちは一生懸命泳いで、何とか助かろうとしていました。
ところが、お金持ちの男は、
「アテネの女神さま、もしわたしの命が助かったら、
立派なお供え物を差し上げます。いくらでもお供えしますので、
助けて下さい」
と、叫ぶだけでした。
そばで、せっせと泳いでいた人が言いました。
「あなた、アテネの女神に助けを求めるのは良いけれど、
自分の腕にも助けてもらったらどうですか?」

不幸な目に会った時は、何よりもまず自分の力で
切り抜けようと努力しなければなりません。
神さまの助けを求めるのは、その後です。
依頼する癖がつくと依頼しても叶わないと、怒り出す人を
知っています、トイレや食事は自分でできるのに……ね。

「ヘビとイタチとネズミ」

ある家の中で、ヘビとイタチがケンカをしていました。
いつもヘビにもイタチにもいじめられて、食べられているネズミたちは、
そのケンカを見て、安心して穴から出てきました。
ところがネズミたちを見た途端、ヘビとイタチはケンカを止めて、
そろってネズミに飛びかかりました。

人間も同じ事です。
力のある人たちのケンカに首をつっこむ人は、
その両方から攻められるのです。
攻められても動じない、そんな人間になることは
難しいのでしょうか。
自己の確立、それは自分の意見を持つ、自分で考える、
自分の足で行動する。
頭では分かっているのですが………。
  
Posted by いとう茂 at 23:20Comments(0)

2018年01月29日

第二期和太鼓講座修了式

今日は第二期の和太鼓講座の受講生の修了式を
行いました。
第一期の講座は22名を受け入れましたが、和太鼓が6台で
指導するほうも2名ということで3班体制で講座を進めましたが、
3交代で太鼓を叩くとどうしても時間が足りなくなり、4か月で
月2回、合計8回の講座ではこちらの指導も粗くなりがちで、
今回は2交代にしましたので合計で12名に絞りました。

年代も50歳を境に上下半々にして、申し込みは28名でしたが
申込者については支所長に抽選で選んでもらいました。
残り16名は第三期の講座に参加してもらうということで
抽選に漏れた方には納得していただきました。
最後の講座は4か月の集大成として短い曲ですが2曲を
演奏してもらいました。
これは第一期の講座も同じで、発表には家族や友人を招いて
全く太鼓の経験がない人でもここまで叩けるということを
経験してもらいました。

講座の修了生に毎週火曜日に第一期の練習会への参加を
呼びかけたところ6・7名が参加してくれることになりました。
おそらく太鼓を一人前に演奏するには遅すぎる年齢の方も
おいでになりますが、楽しんで和太鼓を叩いている姿は見ていて
気持ちがいいものですし、覚えるまでの時間や教える労力を
抜きにして、こちらも一緒に楽しもうというスタンスで懸命さに
引っ張られてこちらも熱が入ります。

たちまち明後日から一期生と合流しますが、一期と二期では
不思議と雰囲気が全く違います。
上手く合流してくれるか心配もありますが、案ずるより産むがやすし、
当たって砕けろです、これ以上こちらも練習日を増やすゆとりが
ありません。

今日の発表はうん、うんと頷いて聞いていられました、練習とは
違い緊張感が伝わってきましたが、大きなミスもなくそれぞれが
満足な顔をしているのを見て、こちらも嬉しくなりました。
講座の最後に指導者の演奏を聴いてもらいましたが、大きな拍手を
いただきました。
実は修了生に刺激を受けて普段以上にこちらもテンションが
上がっていた結果だと思います。
イベントでの発表は一期は4月を予定していますが、二期は
8月にできればと考えています。
少しずつでも和太鼓のファンを増やしていく、これも私の仕事だと
思ってます、どこまで伸びるかわかりませんが、誰かの役に立つ、
そのことは大げさに言えば生まれてきた者の使命だと思います。

  
Posted by いとう茂 at 00:09Comments(0)

2018年01月28日

叙勲祝賀会

今日は学区の元自治連合会長が旭日単光章を
受賞された祝賀会でした。
こうした祝賀会は何百人という人に集ってもらい大きなホテルで
国会議員や市長ら多くの来賓を迎えて盛大に行われることが
常ですし会費もそれなりに必要になりますが、ご本人の
希望で学区の人限定という形で開催され、学区外の人は
来賓ということで数人だけ出席されていました。
議員という立場で発起人に名前を連ねていましたが、もう
40年以上前から商店街で活動をしてきた間柄ですし、
母親と同じ高校の同級生ということもあり私にとっては身内と
言ってもいい感覚でした。

思い出話を語ると何時間かかるやら、それだけ共通の話題が多い
関係です。
アトラクションは石鹿太鼓でした、ステージが狭かったこともありますが、
演奏したのは25年ほど一緒に太鼓に打ち込んできた仲間5人でした。
上手い下手は別にして私はこの5人で太鼓を打っている時が
一番安心しますし思い切り打つことができます。
積み重ねた時間の長さがそうさせるのでしょうが遠慮なく物が
言える中で、厳しいことも言いあいますが後に尾を引かない、
相手を思う気持ちがあるからでしょう。

今日の演奏も完ぺきとは言えません、いくつかミスもありました。
それでも誰かが修正してくれています。
もちろん私が修正する場面もあります・・・・念のため。
平成3年に会を結成以来、尾道市への遠征や大津市の夏まつりを
はじめ大きな舞台もいくつか経験してきました。
誰が選んだ5人でもありません、ご縁のありがたさと言うしか
言葉が見つかりません。

祝賀会では発起人は招待客がお酒を勧めたり、出席のお礼を
言って回るのも役目の一つですが、舞台の設営があり回れたのは
10人にも満たない人で、多くの人に不義理をしてしまいました。
議員という立場で見ると他の議員は回っていたのにお前は
何をしていた、そんなお叱りも覚悟しています。
私個人で完結する落ち度は私の責任だと思っています。
参加していた招待客がお帰りになる時に丁寧にお礼を述べて
会場を後にされました。
体は一つ過ぎる時間も一通り、そこで何を選択するか、そして
選択に責任を持つ、その積み重ねがその人の人生であり生き様だと
思います。
  
Posted by いとう茂 at 00:01Comments(0)