2021年03月31日

思い出し遍路73

大窪寺をまだ暗いうちに出るのに。民宿のお婆さんは
朝の5時に食事を用意してくれました。
炊き立てのご飯とみそ汁と漬物があればご馳走ですが、干物とか
海苔、卵・・・・・何があったか忘れましたがしっかりご飯を食べて
出発です。
2月の末ですのでまだまだ暗く懐中電灯を持っての歩きでした。
香川から徳島に向いての歩きで5・6時間かけて10番の切幡時の
参道の入り口を目指します。
途中はほとんど人が住んでいないような所でしたが、道路は舗装されて
歩くのには暗い中でも何の心配もなく歩けました。
切幡寺の参道入り口まで行けば歩いてきた道がつながります。
四国4県が徒歩でつながった、そんな感慨がありました。

切幡寺の参道から1番の霊山寺まで歩くと1日が潰れてしまいます。
この日は高野山まで行く予定でしたので切幡寺の入り口からタクシーに
乗って霊山寺へ、歩いてきた道の逆走です。
見たことのある風景もいくつかありました、懐かしさがこみ上げてきます。
歩けば1日、車だと40分くらい霊山寺の門前で降りてお礼参りです。
納経帳には二度目の重ね印ではなく、墨字で出発と同様に揮毫してもらいました。

お参りを済ませて移動です、目的地は鳴門パーキングエリア。
距離にすると1キロ余りでしょうか、ここから高速バスで難波まで移動です。
難波からは南海電鉄で高野山まで行きます。
初めて乗る南海電鉄、つい先ほどまで四国にいたのがウソのようでした。
今日は高野山の宿坊に泊まり次の日に金剛峯寺、奥の院にお参りを済ませて
四国遍路の完結です。
高野山の駅に着いたのは夕方でした、駅からすぐのところに南院があり
ここにも太龍寺のように天井に龍の絵が描かれています。
歩いた距離は二日でそれほどでもないのに足腰に疲れが溜まっていました。
日暮れが迫る中、当日の宿泊をお願いしていた福智院の門をくぐると
和歌山県とは思えない気分、遠くに来たんだなぁ、そんな気持ちになりました。
  
Posted by いとう茂 at 23:33Comments(0)

2021年03月30日

気がつけば年度末

年号の印象が昭和、平成、令和と変わるたびに
薄くなっていくのは私だけなのか、いつまでも昭和を引きずって
いるからそうなのかは分かりませんが、気がつくと今日は3月30日、
令和2年度も明日1日になりました。
新年と違い4月から始まる年度は小さい時から馴染みがなかったので
気持ちを新たにして・・・・・そうした部分が少ないのが実態です。
しかし、社会では新年とは違い、実生活では大きな節目に
なっています。
学校の学年、会社の定年、会計の締め切り、契約の更新・・・・・。
まだまだあるように思います。

えこーも3月31日までが会計年度で4月1日からは新しい年度に
入ります。
多くの賛助会員と2つの助成金で資金繰りには苦労をせずに
新年度を迎えられます。
事業では苦労の連続でしたが・・・・・。
自分が選択した道です、泣き言や愚痴は言えません。
2日後に散る桜の花びらは、新年度最初の花びら・・・・・。
どうでもいいことですが。
4月になるまでにこれだけ桜が開花するのは久しぶり・・・・・、
それとも例年、自分にゆとりがなく桜を見る時間がなかったのか。

今日は保護観察所での面談をしてから、この春で定年を迎える方に
花束を持って行ってきました。
花束を持ち歩くのはどうも照れ臭く、もらっても贈っても視線が
うつろになっている自分がいます。
もらう方は家まで持ち歩かなくてはいけませんが、贈る方は先方に
渡すまで、少し照れくささもマシだった・・・・・かな。

コロナがなければ今日あたりは送別会で盛大に見送ってもらえる人も
多かったでしょうが、現状ではそれも出来ません。
去っていく者は・・・・・多くの思い出を噛みしめてそっと去っていく。
送る方にすれば・・・・それの方が楽でいいや。
そんな人間関係もあるのでしょう、去り際にその人の価値がわかる、
肩書があるから周りに人がいたのか、その人の魅力で周りに人が
いたのか・・・・・そんな踏み絵の日が年度末かもしれません。
  
Posted by いとう茂 at 15:35Comments(0)

2021年03月29日

昨日はえこステ

昨日は今年度最後のえこステでした。
昨年6月から開始して10回目を迎えました。
12月から続けてきた和太鼓を楽しむイベントも最終回、
練習してきた曲をグループを何度か組み替えて、叩くパートを
かわるがわる叩く発表会も無事に終わりました。
発表会の演奏は、これまでで最高の出来栄えで当事者も
参加していましたが全員が満面の笑みで、次年度もぜひ続けて
欲しいと和太鼓の楽しさを満喫してくれたようです。

近況報告では当事者の状態が不安定な家庭があり、行きつ戻りつの
ひきこもり生活のようで、相談者の苦しみが伝わってきました。
夫婦で参加の家族もあり、報告の中で夫婦げんかのような
言葉のやり取りもあります。
本来はえこステに来るまでに解決しておく問題なのだと思いますが、
当事者がいる家の中ではそれも思うようにならないのか、他の参加者に
ぜひ聞いて欲しいと思ってのことか、判断がつきませんがえこステなら
何でも話せると心を許している証しかもしれません。
吐き出すことで気分が軽くなれば、ゆとりも生まれますし他の相談者も
親身になって話の中に入っていく様子を見ていると、10回の
積み重ねの結果から生まれた信頼感だと思っています。

次年度の事業計画は次回に参加者の同意で決定したいと考えて
いますが、今年度の事業に加えて参加者自身が調べて学ぶコーナーとして
発達障害の勉強会を4回シリーズで計画中です。
講師をお願いしての勉強会なら聞く方が多くなり、ふんふんと
うなずくことはあっても身に着く部分が少ないのではないか、えこーの
スタッフ会議で議論して出した結論です。
我が子の日常の状態がどこから来ているのか、そのことをわかろうと
する姿勢が一番強いのは親であり、講師から聞いたことを鵜呑みに
するのではなく自分たちで調べて、納得して対応を考える。
学びの歩みは遅いかもしれませんが、着実に知識を増やして
試行錯誤があっても寄り添っていく方法を考えるには、自分たちで
頭を痛めて調べていくことが効果的だとスタッフの思いが一致した
結果の勉強会です。

6月5日に変更になったひきこもり講座も参加者が心待ちにしている
もので、親亡き後の我が子がどのような社会資源を利用して生きて
いけるか、ひきこもりの子どもを抱える親の共通した大きな課題です。
相談者一人では気づかなかったことが、家族の会で溜まっているものを
吐き出すことで、誰かがヒントをくれる、そのヒントをえこーのスタッフも
考えて改善、解決に向けた方法を模索する。
10回と言ってもわずかな歩みでしかありません、先が見えない家族の
不安感、絶望感に針の先ほどの希望でも灯せたら・・・・・・。
そんな思いのえこステでした。
  
Posted by いとう茂 at 14:56Comments(0)

2021年03月27日

この時期だけ

家から一番近い山と言っても1キロくらいあるでしょうか。
それが国道1号線を走ると、そこに山があります。
山と言ってもせいぜい200メートルまでなのでしょうが、緑の木々に
おおわれていたのが、この時期だけ「あそこに桜がある」
そんな景色が見えます。
これが5月になると青葉若葉の新緑に変わり、桜は姿を消します。
そして秋になり山が紅葉に染まると、ポツンポツンと黄葉が見え
「あそこにイチョウがある」となりますが、冬を迎えると落葉して
イチョウも姿を消します。
毎年この繰り返しです、年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず。

4月4日は膳所公園でさくらまつりが開催されます。
ソメイヨシノが生まれたのは江戸時代だと聞いたことがあります。
大島桜と江戸彼岸桜の交配種でクローン植物だということも
その時に聞きました。
寿命がどのくらいかは定かではないようですが、山桜のように
何百年ということはないようです。
公園の桜は戦後に自分も参加していた親父から聞いたことがあります。
すっかり古木の趣を醸し出している桜ですが、まだ80年足らず、
花は今が見ごろで来月の4日には散っているかもしれません。

公園の桜の木はせいぜい2・30本で、公園全体の樹木からすれば
それ程多いとは言えないのですが、この時期の主役は桜です。
自然界の中では、こうして1年のうちに一定期間だけ存在感を
感じさせるものがほとんどです。
樹木だけでなく夏のセミ、数は減りましたが赤とんぼ、外来魚に
駆逐されてしまった初夏のワタカ、これからがシーズンになる
モロコ・・・・・。
他にもあると思います、共通するの見えないところで力を蓄えて
それなりの準備をしていることではないのかと思います。

人が準備をして主役になる・・・・・。
疑り深い性格なのか・・・・・・。
裏から手を回して自分を応援してくれるように頼みこむ、正々堂々、
桜のように風雪に耐えて花を咲かせる苦労人が報われるような
社会が来ないかなぁ、この時期だけでなくよく考えることです。
  
Posted by いとう茂 at 21:28Comments(0)

2021年03月26日

浦島太郎のような

昨日は午後から大津市役所の文化・青少年課と広報課に
行ってきました。
文化・青少年課には市内の市民センターに配布するえこーの
広報紙、ひきこもり、不登校家族の会の日程のチラシ、ひきこもり
講座の案内チラシを持っていきました。
広報紙は現在印刷に回していますので入稿と同じ原稿で代用し、
広報紙の印刷が上がったら差し替えです。
市民センターにチラシなどを置かせてもらうのに、自治協働課の
許可が必要なためで、これがないと誰でもどんなものでも置けることになり
市民センターが混乱するので必要なことだと納得しています。
この他に、この心親知らず 親の心子知らずの冊子も置かせてもらいますが、
こちらは内容も多いために事前に入稿前の原稿を届けて、審査を
お願いしてあります。
それと、大津市と教育委員会の後援をひきこもり、不登校家族の会の
事業にいただいていますので、今年度の報告と来年度の計画も
持参しました。

広報課には1月に開催予定だったひきこもり講座が6月5日に
延期になったので、参加者の募集記事を広報おおつに掲載して
もらうお願いです。
えこーの面談や家族の会の事業のほかに、こうしたバックヤードの
作業もあり、結構忙しい日々を送っています。

各課とも知り合いの職員がおり、雑談も交えてのお願いですので
時間もかかりましたが、2月の通常会議が開会中で今日が閉会日で
あることを会話の中で知りました。
2年前が私にとっての最後の通常会議だったことを思い出しました。
2年前の今頃議場で退任のあいさつをしていたのだと思います。
時間の制限があり建前の挨拶だったと思いますが、人生で議場で
挨拶をするという経験は誰にでもできるものでもなく大切に
したいと考えています。

もう2年か。
この2年は色々なことがありました、議員を継続していればまた違う
経験の積み重ねの2年だったのでしょうが、一市民に戻り
議員とは違う役を演じている現在、議員の時に得た知識もそれなりに
活用して新しい役を演じている自分がいます。
議員の時が竜宮城だったとは思いませんが、浜に戻って玉手箱を
開けたら中から思わぬ道の生活、思わぬ役が待っていた、
そんな気持ちですが、これも自分の選択です。
浦島太郎でも学ぶことはたくさんあります、多くのことを身につけて
議会に対しては浦島太郎でも、新しい世界では好奇心を忘れずに
前向きに生きて役を演じきれたらと願っています。
  
Posted by いとう茂 at 15:42Comments(0)