2015年12月31日

残りわずかだから思うこと

今年もいよいよ残すところあとわずか、紅白歌合戦が終わると
除夜の鐘が響きます。
大晦日には紅白という発想は古いのでしょうか、最近はボクシング等の
格闘技もあります、もっとも、大晦日は家でテレビという考えそのものが
昭和の人間なのかもしれませんし、家にいてもテレビよりスマホでゲームと
いう人も多いのが現実かもしれません。

紅白歌合戦を私個人は必ず見るという人間ではありません、議員になる前は
大晦日も仕事でした、議員になってもそれは同じですが、議員になる前は
紅白が始まるころは店の掃除、洗車などサラリーマンの家庭なら29日か30日
までに済ませていることが残っていました。
窓ガラスを拭いてシャッターを下ろすころには新年が近づいていました。
そんなわけで、紅白が始まる前からテレビの前に座って待っているという
経験が成人してからはありません、子供のころなら親が掃除をしているのを
横目で見て、こたつでみかんを食べながら紅白を見ていた覚えがありますが、
ここ40年近くは大晦日の夜にテレビをじっくり見たことはありません。

そんな個人的なことはどうでもいいのですが、日本人の価値観、不易と流行では
ありませんが、新年の挨拶である年賀状も数が減っています、それはメールなどの
代用で済ませる人が多くなったのが理由だと思いますが、新年の挨拶そのものは
それほど減っていないと思いますし、日本人の中に節目として正月という意識が
残っている証しだと思います。
これは不易といってもいいと思いますが、気になるのは、テーマパークのイベントです、
世界初、世界最長などとの触れ込みで毎年、毎年新しい企画が登場します、
そうすることで客足が落ちるのを防いでいるわけですが、かつて、流通業の
両雄と言われた、ダイエーと西友、そのほかのニチイや八百半などの大手スーパーは
出店競争と価格競争で数多く淘汰されました。

売り上げでは既存店の伸びが見込めず、新規出店で売り上げを確保、その新規出店も
年を重ねると既存店になり売り上げは頭打ち、そこで、さらなる新規出店、
まさに負のスパイラルといってもいい現象が全国で展開され、売り上げ不振の店は撤退、
地域の零細商店を淘汰した大型店が撤退するわけですから、地域に穴が開き、
買い物に電車やバスを乗り継いでいくという現象が起こりました。

それに追い打ちをかけているのが高齢化です、電車等が使えない高齢者が増加し、
買い物に行けない事態が起きています、宅配というシステムもありますが、場合によっては
店舗と宅配というコストがかかり、増加したコストは価格に反映されて、消費者の負担と
なります、テーマパークも競争でこうした負のスパイラルに陥りつつあるのではないか、
そんな心配と日本人の価値観は刺激を与え続けないと維持できないのか、
そんな疑問というより不安を感じています。

「ふるさと」「わが家」「ほっこり」「くつろぎ」「安心」そうした安らぎよりも、わくわくドキドキ、
を求めるのは、戦後70年という平和の反動なのか・・・・・・。




  
Posted by いとう茂 at 17:43Comments(0)

2015年12月30日

暮れていく一年

もうすぐ今年が行きます、364日目もあと1時間足らずになりました。
今年はまだですが例年は手帳のスケジュールの差し替えをしながら
今年をゆっくり振り返るのが常です。
1月から順に振り返ると、毎年の恒例行事、新しいイベント等、
過ぎ去った時間がよみがえります、行事やイベントの内容だけでなく、
誰と一緒だったとか、どんな話をしたとか案外覚えているものです。

振り返ってこれからの糧にしょうと思うことは意外と少なく、
反省はその都度、まではいきませんがそれなりに自分でしているのか、
この時はこんなことがあってこう感じた、あの時の気持ちはこうだった
だから流れがこうなってと・・・・・・。
振り返るだけでいいのです、嫌なことより楽しい時のほうが多かったと
感じられれば振り返った一年はいいものになります。
少なくとも自分ではそう思い新しい年を迎えている気がします。

昨夜はこの時間は湖西道路を北へ走っていました。
私の用事ではなかったのですが、休むわけにいかず、代役もいないので
私を含めて3名でのドライブでした。
帰宅したのは日付が変わってからになりましたが、私には大きな
楽しみがありました、比良山のふもとまで行きましたので外気は
結構冷たく感じました、風がなかったのが幸いでしたが、
二人が用事を済ませている間に私は夜空を見上げてぼんやり、
少し雲がかかっていて360度星空とはいきませんでしたが、
それでも90度くらいの範囲で星空を見ることができました。

高校生のころ、北の方の友達の家に遊びに行ったときに琵琶湖岸から
見上げた夜空は星、星、星、圧巻でした。
友達は見慣れた夜空なのか、感動している私の反応にも無関心でした。

昨夜は周囲が少し明るかったので、かつてこのあたりで見た星空とは
少し違いましたが、それでも自宅から見上げる夜空とは見える星の数が
違います、明るい星をじっと見ていると目の端あたりにある星が
またたき、こちらも見てくれと言っているようです。
見上げてすぐは明るい星が目に入りますが、ずっと見ていると最初は
見えなかった小さな星が見えてきます。

暮れていく一年、大きな出来事や目立つ人は印象に残っていますが、
静かに考えると一瞬の出来事がよみがえったり、すれ違いざまに
交わした何気ない会話が浮かんできます。
小さい星のほうが多いんや、忘れてることがいっぱいあるわ、
体は震えがくるほど冷えていましたが、気持ちはほのぼの。
そんなことを考えたり、世界のどこかで自分と同じ星を見ている人が
いるんだろうか、いるとすれば、その人はどんな気持ちで見ているのだろう。

私のようにぼんやり、いいことがあって飛び切りの笑顔で、生きることに疲れ
絶望の淵で、明日こそは希望に胸を膨らませて・・・・・。
ぼんやりの中にも悩みや願いそんな・・・・・
あっ、二人が出てきました、運転手は急いで車に戻りました。

  
Posted by いとう茂 at 23:11Comments(0)

2015年12月29日

近くて遠い

近くて遠い、物理的な距離の場合、新幹線や飛行機なら数時間で
行けるところも、わざわざ出かけるとなると億劫になりますし、
急なときや夜中には、すぐに駆けつけることができません。
地図で見ると距離がなくても鉄道などの公共交通機関がない所は
車でしかいけませんし、高速が走っていなければ時間もかかります。

昔から言われるのが、田舎の道、歩きしかない土地で地元の人に
道をたずねると、歩いてもう少し、そんな答えが返ってきても
歩き慣れていない都会の人にとっては10分15分の歩行は
行けども行けども到着しない、そんな感覚でしょうし、普段から
通いなれている田舎の人にとってはすぐそこでも、
移動手段のほとんどが徒歩以外の人には、長い道のりと感じるのでしょう。

価値観の差といえばそれまでですが、1日の時間の流れが違うように感じます。

人間関係で言うなら、同床異夢そんな意味になると思います。
夫婦の間によく使われる言葉ですし、広く男女の関係で言えば、いつもそばにいても
心が離れている、そんなことを指して使うのかどうか・・・・・。

近くて遠いの反対の遠くて近いは、男女の中が一番耳にしますが、
船の道とか極楽という言葉も覚えがあります。
男女の中は源氏物語か枕草子に出てきたような・・・・あいまいな記憶です。
距離的なものでは「急がば回れ瀬田の長橋」これも遠くて近いものでしょう。

もとに戻ります、近くて遠い、言葉の響きはもどかしい、寂しい、もっと言うなら
絶望、断絶そんなことを感じます。
実力がありながらタイトルが取れずにいる人間に対して使うこともあります。
金メダルに一番近い男、そんな男が敗れたときに、メダルまであと少し、
しかし、メダルは遠かったなどと耳にします。

これが、付き合っている男女ならどんな情景が浮かぶか・・・・・・・。
付き合っているのですから互いに好意は持っているのでしょう、
高校生なら、どちらかがクラブをしていて、もう一人がクラブが終わるのを
校舎の影で待っている、出てきた彼氏か彼女は異性を含めたクラブの
仲間と愉しそうに談笑しながら、片方の前を通り過ぎていく、
もちろん校舎の影にいる人には無視かどうか気付かない。
「おかえり」そういえない片方は、自分といるより愉しそうな顔をしている、
そんな片方に声もかけられずに黙って帰っていく。

あんなに近い距離だったのに、気付いてもらえなかった、それに
あんな愉しい顔をしていた、愉しい顔が輝けば輝くほど、
片方の落ち込みは激しいものになるのでしょう。

ここで次に会った時の対応が、二つに分かれると思います。
落ち込みを抱えたまま少し距離をおく人、距離をおいて、
相手の様子を見ながら、本当はこの人が自分のことをどう思っているのか、
壊れ物に触るように対応する人と、会えた嬉しさで、この前無視されたことなど、
どこ吹く風、子犬が足にじゃれ付くように嬉々とする人。

ここで、問題になるのは校舎の影にいる人に気付かなかったのか無視したのか、
心が不安定だと無視だと感じるでしょうし、安定していれば気付かなかったと
思うのでしょう、自分の前を通り過ぎた片方の心境をどう考えるかで
対応が変わりますし、自分の心のありようでも大きく変ります。
高校生の二人によらず、自分の心をどうコントロールするか、相手をどれだけ
信頼しているか、そこから生まれる手応えをどれだけ確かだと思えるかで
近くて遠いと感じるか、近くて近いと感じるかが決まるように思います。

決定権を握るのは自分の心のコントロール、これが一番厄介で難解、
高校生に戻れるのなら、ここのところをしっかり・・・・・。
大人になってもままならないのに、できっこないか。

  
Posted by いとう茂 at 00:02Comments(0)

2015年12月26日

今年最後の満月

一昨日は、もう少しで満月になる月が頭の真上にありました。
時々、外に出て月を眺めることがありますが、はじめは寒さが気持ちよく
ボンヤリ眺めながら物思いにふけっていますが、少し時間がたつと、
寒さが全身を覆い身震いが始まり、背筋がゾクゾク、時間にすると
それほど長くはないのでしょうが、秋の終わりから冬にかけて身が
キュッと締まる感じがする時期に夜空を見上げるのも好きです。

そして昨日は東の空の雲の切れ間から大きな月が顔を出す瞬間に
出会えましたもちろん、しばし見とれてボンヤリ・・・・・。
この時期は日の出は東を向いて1時の方向ですが、月は11時の方向から
顔を出しました。
雲から抜け出すまでは10分足らず、大きな月は1時間もたつと小さくなり
10時頃には頭上近くにありました、空には雲もほとんどなく、
夜空を独り占めしているようでした。
今年最後の満月、29日周期ほどで満ち欠けを繰り返しています、
次の満月は1月20日過ぎ、どこかで震えながら満月を見られたらと思います。

年の瀬が近づくと、頭に「今年最後の」という言葉をつけて表現したり
することがよくあります、1年で12・3回の満月ですが、あと何回の
満月を眺めることができるのでしょう。

今夜の月は雲が絡んで昨夜とは打って変わって、物憂げな表情で
一日でこんなに落差があることを改めて感じました。
人の心も同じようなものかもしれません、絶頂の頂点から一気に
悲嘆にくれる、その原因はそれぞれでしょうが、月の場合は雲。
雲がかかるだけで月の表情が一変します。

人間で言うなら、誰かの何気ない一言、それで心が曇り落ち込んでしまう、
しかし、考えてみれば雲がかからないで、はっきり月が見えるときは
案外少なく、ほとんどは雲に隠れたり、雲が月を横切ったり・・・・・。
人の心も満月のように穏やかで雲がかからない状態、何の心配事も
ない時間は少ないものです。

月は太陽の光を受けて光っています、そして夜道や私たちを照らしています。
誰かに支え、助けられて私があり、私も誰かを支え、助けている、
でも、月と同じで誰かを支え照らすと決めても、雲と同じように、
大小は別にして問題や用事でつい支える時間を作れない、それも仕方がない
そう思うか、支えていなかった照らしていなかったと反省するか、反省しても
それが支える人の命に関わることなら取り返しがつきません。
たとえ命に関わらなくても自分の意志で支える、照らすと決めたのに
多忙を言い訳にして、支えることを怠った時に、どう対応すればいいのか。
時間が作れなかったのか、支え照らすことを忘れていたのか、
二つの間には大きな隔たりがあります。

支え照らすことを忘れていたのを時間がなかったこととすり替えていないか。

月は太陽の光を受けて地上に向けて光を届けています、雲にさえぎられて
地上に届かなくても、届かないことを雲のせいにしたりしません。
それでも、届けられないことを悔い反省しているとすれば・・・・・・。
だから、欠けてしまい新月の闇夜を作っているのでしょうか。
それを人間に当てはめるとどうなるのか、欠けることはできません、
悔い反省しても支えていなかった時間は戻りません。

次からは、そう決心しても満ち欠けのように同じことの繰り返し、
どうしようもない人間と卑下しても、支えていなかった事実は消えませんし
時間は戻らない。
支えていなかった原因を多忙などと外に求めず、自分に向け続けるとどうなるのか、
許しを乞うことも否定した人間はどうすればいい。
そこまで月は教えてくれません。
自分の命が消える日は、満月が雲に隠れている日がいい、誰も支えることは
できなかった無力な人間、そのことを思い知って消えていくべきだと・・・・・。
誰かに支えてもらったことを誰かに返せなかった、安らかになどとは
ゆめゆめ考えてはいけないように思います。
  
Posted by いとう茂 at 23:15Comments(0)

2015年12月25日

きょうの説法 2

お互いさまの心で周りの人に打ち明ける

お釈迦様の言葉の中に、「己が身に引き比べて」というものがあります。
「自分のこととして考えてみる」という智慧なのですが、
「私が相手の立場だったらこうしてもらいたい」と想像することで、
私が相手に対してどう振舞えばいいのかを決めることができるようになります。

困ったとき、相談すればいいように思いますが、
自分一人でなんとかしなければと、抱え込んでしまう人が多いように思います。
しかし、周りの人は「そんな水臭いこと言わないで」「言ってくれれば喜んで
手伝わせてもらうよ」と思っている場合が少なくありません。

想像してみてください。
もし、あなたの周りに、困っている人がいて、あなたに少しでも余裕があったのなら、
あなたはどうしますか?
喜んで助けたいと思うのではないでしょうか?
困ったときはお互いさまです。

ですから、もし今、あなたが何かで困って行き詰っているのでしたら、
周りの人に勇気を出して打ち明けてみませんか。
恩返しは後でもいいので、しばらくは手伝ってもらうようにしてみてはいかがでしょう。

今日も一日、どうぞ、あなたらしい時間を、お過ごしください。
  
Posted by いとう茂 at 22:59Comments(0)