2019年03月31日

おっかさんの詩

ダスキンの創業者の鈴木清一さんの詩です。
存命なら100歳をゆうに超えている年ですが、68歳で
お亡くなりになっています。
親子の血縁は原点がどこか分かりませんが、私の両親、
その二親の両親、さらにその、またそのとこれまで脈々と
つながって現在の私がいます。
命の連鎖、このことに深いご縁と感謝です。

「おっかさんの詩」
鈴木清一

母をたたえる母の日に、亡き母を思い出します。


私は母のことを
「おっかさん」とよんでいました
私のおっかさんは びんぼうでした
家も せまい長屋に住んでいました


おっかさんは よく働き
よく食べて
体はふとっていました
だから小さい時の思い出は
おっかさんのおなかが
おもちのように やわらかでまっ白で
ただ おかしかったのは
おなかのまん中の おへそのところが
へこんでいることでした


おっかさんは よく食べるので
何でも 安いものを
たくさんつくりました
キャベツとジャガイモを
お水に塩を入れて ぐつぐつと
煮て食べるのが 大好きでした
肉も 少しは入れていましたが
高い肉より キャベツとジャガイモが
いっぱいでした


ミカンは ひと山
くさりかけなのを買いました
「くさりかけのみかんが
かえってあまいんだよ」
といっていましたが あれは
安かったからでしょう


それでも びんぼうのくせに
おっかさんは とても
人の世話が好きでした
せまい 家なのに
いつでも 誰かを泊めていました
それに 少しばかりのお金がたまると
すぐに 人にお金を貸しました
「ね あの人を 
男にしてあげようよ」と
そのくせ お金が返してもらえないと
「気の毒だねぇ
あの人は運のない人だよ
返してもらえなくても
食べていけるだけ 私たちは
しあわせなんだよ」と
私たちに教えてくれる おっかさんでした


私が ニキビのできる青年になりました
女の子の お友だちが出来て
夜 遅くなってから 家に帰り
ガタリ と戸を閉める私の音に
「あ せっちゃん 帰って来たかい
おなかが すいているんじゃないかい」と
いつまでもやさしい おっかさん
叱ったことのない おっかさんでした


あれから 四十年
私は社長となり 時には
先生などと よばれるようになりましたが
今 しみじみと思うことは
おっかさんのことです


もしも今 おっかさんがいて
この私を 見てくれたら
どんなに喜んでくれるだろうか
生きているうちは
親孝行らしいことも 出来なかった私
今 涙を流して おっかさんを思い出す


あなたにも おっかさんがあるでしょう
なければ 私が
おっかさんの役をしたい
あなたが 立派に この人生を
生き抜いて行ってほしい


私は聞きたい
「おなかが すいてないかい」
「お金が ほしくないかい」
「いい人が 出来たかい」と


どうか どうか
みんなが しあわせに
なっていただきたい
  
Posted by いとう茂 at 23:20Comments(0)

2019年03月30日

水道の蛇口から・・・・

水道の蛇口から水以外のものが出る、ご当地の
特産品が蛇口から出るのがマスコミを賑わせていたことが
あります。
例えば、愛媛ではミカンジュースが蛇口から出てくる、
これは有名な都市伝説ですが、松山空港で国体のPRに
期間限定で、ポンジュースが出る蛇口が設置されたことが
あり、その後は常設されているようです。
ちなみに、ポンジュースの名前は、愛媛県知事が発売当時に、
「ニッポンイチ」のジュースになるようにとの願いを込めて
つけられたということです。
今から66年前、私よりも歴史があるジュースです。

ポンジュースと並んで有名なのが、青森のリンゴジュースです。
こちらも三沢空港やリゾート施設で提供されたり、北海道新幹線の
開通記念イベントとして新青森駅に蛇口が設置されました。
愛知県の東海市では東海市トマトで健康づくり条例を定しています。
これは、明治36年からトマトの加工製品が製造されてきたことを
踏まえ、トマトを活用した健康づくりを推進することにより、
市民の健康づくりに対する意識の向上と健康の増進に
寄与することを目的としています。
期間限定ではありましたが、蛇口からトマトジュースが出る・・・・・。
これも事実です。

他には静岡では学校の蛇口から緑茶が出るところもあり、
風邪の予防にうがいをする子どもが多いそうです。
珍しい所では、香川県の高松空港にはうどんの出汁が出る
蛇口があるそうです。

そして、そして、私が住んでいる大津市では、蛇口から琵琶湖の水が
出ます、そして、そのまま飲めるんです。
このことを当たり前だと思うか、すごいことだと思うか。
世界で水道水をそのまま飲める国は15か国しかありません、
母なる琵琶湖、日本一の湖、観光客の誘致に一役も二役も
買っている琵琶湖ですが、その琵琶湖の水を飲んでいるという実感は
あまりないという人も多いと思います。
考えてみるとリンゴやミカン、うどんの出汁も緑茶もそうですが、
人間が作ったもので、ある種安全性が担保されていますが、
琵琶湖の水は自然の産物です、これを普通に飲めることの幸せ、
そのことのありがたさに改めて感謝したいと思います。
  
Posted by いとう茂 at 21:36Comments(0)

2019年03月29日

義を見てせざるは勇なきなり・李下に冠を正さず

仮に彼のことを正雄としておきます。
正雄は岐路に立たされています、ある組織の未来の姿を
議論する委員会に所属しています。
ある組織に正雄も役員として名を連ねていますが、
委員会での議論の中で、より発展した組織にするには
現在の組織の会長が専務理事を兼任という形は正常な
形ではなく、会長職と専務理事職は分離すべきだと、委員会の
メンバー全員が確認したところです。

組織には会長の上に代表と副代表がいますが、組織の運営は
実質、専務理事と会長にゆだねられています。
そもそもこの委員会が組織されたのは、専務理事を兼ねている
会長の放漫な運営からでした。
委員会からの報告で代表が会長に専務理事を辞めるように
勧告したところ、会長は組織そのものを辞めてしまいました。
代表と副代表が奔走した結果、会長候補が見つかり候補も
会長就任を承諾しましたが、問題は専務理事です。
専務理事候補が見つかりません、専務理事は事務全般にわたり
事務員に処理を命じて、その監督を行う要職です。
年間の会計規模はそれほど大きくはないのですが、外部から
監査を招いてますので厳正な会計処理を求められます。

そこで、代表は委員会の構成員でもある正雄に専務理事の
就任を依頼しました。
ここから正雄の苦悩が始まります。
組織の危機的状況は正雄も十分認識していますが、自分たちが
議論をして会長と専務理事を分離すべきと結論を出したので、
これではまるで自分が専務理事になりたいと思っていた、
周囲からそう見られても仕方がない結果になってしまいます。
危機的状況を救うために、義を見てせざるは勇無きなりの姿勢か、
周囲に誤解されないために李下に冠を正さずの姿勢か。

迷った挙句に、正雄は筋を通す選択をしました、「代表に、
私は未来の姿を議論する委員会のメンバーです、そこで会長と
専務理事の分離について他の委員よりも大きな声でその必要性を
訴えてきたつもりです。
その私が専務理事に就任したら前会長や事情を知らない組織の
構成員は、私が肩書欲しさに前会長を退会に追い込んだ、
そう思われると思いますし、私以外にも代わる人はいるはずで、
この話はお受けできません」という結論に達したようです。

皆さんならどちらの選択をするでしょう、ちなみに私は正雄の
決断を支持したいと思います。
  
Posted by いとう茂 at 23:38Comments(0)

2019年03月28日

一頭の狼と一頭の羊

一頭の狼に率いられた百頭の羊の群れは、
一頭の羊に率いられた百頭の狼の群れにまさる。
ナポレオン

好きな言葉の一つです、リーダーの資質の重要性を
説いた言葉ですが、一頭の狼に率いられた百頭の狼が
果たして最強かと考えると・・・・・・。
目標を一つに定めて、それに向かっていく百頭の狼の群れなら
最強に違いないと思いますが、どこかに私利私欲が入ると
たちまち群れが崩壊する危険もあります。
事実、権力争いで泥沼化した組織や団体の様子がマスコミで
取り上げられることもあります。

組織でもリーダーがいて、その人が組織運営を前に
進めてくことが多いのですが、いつもいつも正解なら
組織は大きくなっていきますが、リーダー以外の人は
考える力が弱くなり、リーダーに任せておけば大丈夫、そんな
空気が漂います。
そうなると情報がリーダーに集中し、リーダーの負担が大きくなり、
それまで目が届いていた部分も見落としたりすることが出て、
組織の運営に支障が出る場合も考えられます。

若いころに聞いたか気づいたか忘れましたが、親指がリーダー、
残りの指とは違う方向を向いているし、物をつかむときは、
上からしっかり押さえる役目を果たしていますし、親指だけで
物をつかむことはまずありません、これはリーダーに私心がない
証拠で、誰かのサポートをしているということ。
指を折る時は一番に折れる、君子豹変すを実践しているので
しょうか、そして指を開くときは最後に親指が立ちます。
他の指が立ったことを見届けて、やっと自分の出番が回る、
まさに締めくくりの役目だと思います。

一頭の狼、せめて3頭できれば5頭から10頭の狼がリーダーの
狼を支えて群れを率いることができれば、まとまりも持続性もある
強い集団になると思います。
言われたことを黙々と実行する、そんな羊でいることも案外、
難しいのですが・・・・・・。
  
Posted by いとう茂 at 20:36Comments(1)

2019年03月27日

面白い話⑦


僕は、ある特別番組の撮影で、世界的に有名な登山家の
故・田部井淳子さんと一緒に三週間かけて北アルプスの
山々を縦走する経験をしたことがあります。
それは、僕のアナウンサー人生でも、最長にしてもっとも
過酷なロケでした。

富山県の立山を出発し、日本最後の秘境と言われる
雲ノ平を抜け、標高が日本第五位の高峰・槍ヶ岳、同三位の
奥穂高岳を越えて、長野県と岐阜県にまたがる「ジャンダルム」
という巨大な岩の塊をめざす、六十キロの山旅。
標高三千メートルを超す山々からの絶景は美しく、心を
奪われましたが、想像以上のアップダウン、目まぐるしく変化する
天候、膝を襲う痛み・・・・・僕は疲労で動けなくなり、息も絶え絶えに
「もう歩きたくない」と口にすることが何度もありました。

そんなとき、田部井さんはいつも「休む時は休む。それでも一歩一歩、
歩いていけば、必ず目標にたどり着く」と、声をかけてくれました。
それは「ゴールははるかでも、少しずつ自分のペースで進むことで、
目的に達成する道が開ける」という教えのようでもありました。
僕は、田部井さんの優しくも的確なアドバイスを受けながら、標高
三千百六十三メートルの「ジャンダルム」の頂という、インドア派の
僕にとっては夢のような場所にたどり着くことができたわけです。
そして、この「一歩一歩」の教えは、山から下りて歳月が流れ、
NHKを辞めた後になっても、僕を窮地からたびたび救ってくれる
大きな力になってくれています。
「いばらの道」を歩かなければならない時や「針のむしろ」に
すわらされるとき、重圧をすべて肩に乗せてしまうとつぶれてしまい
ますから、目の前の課題を一つひとつ、少しずつ解決していけばよいと
頭を切り替え、ずいぶん気が楽になりました。

今も全国津々浦々に、昼夜を問わず、終わりの見えない子どもの
ケアを続けている家族がいます。
社会のサポートが行き届かず、子どもの将来の不安を消し去ることは
難しいのが現実です。
それはまるで、どこが頂上なのか知らされずに歩き続ける、途方もない
登山のようです。
田部井さんから学んだ登山の極意は、山の世界にとどまらず、
あらゆる局面、あらゆる現場に応用できる、人生の歩き方を示して
いることを、僕はもみじの家でのさまざまな経験を通して、あらためて
感じています。
  
Posted by いとう茂 at 22:37Comments(0)