2017年03月31日

年度末、3月31日

今日は年度末、明日から新年度になり市役所も人事異動で
職員の顔ぶれも変わります。
地元の支所も支所長が変わり新しい支所長が市民病院から
赴任します。
伊藤茂、同姓同名の支所長でしたので複雑な思いがあります。
10時からは特別会議がありました。4月1日から国の法律が
変わり、それに即した条例の改正など毎年この日は特別会議が
招集されます。

今日はエッフェル塔の落成式があった日だそうで、エッフェル塔の日
になっています、ちなみに東京タワーの完工の日は天皇誕生日と
同じ12月23日ということです。
学校教育の6・3・3・4制が1947年に発足したのも今日でした。

私の今日は、午前中は特別会議、午後からは消費税の申告と
政治収支報告書の提出に行きました、保護観察所にも用事が
ありますので、そちらも済ませてきました。
申告期限と提出期限は今日、ギリギリになりますが一応義務を
果たすことができました。
追い詰められてからの起死回生打は今日に始まったことではありません、
陸上選手としては3・4流でしたが、2度の優勝は中学校の最後の大会と、
高校3年の時の夏の県民体育大会、これも高校最後の大会でした。
高校卒業時は立派かどうかは別にして、答辞を読んで卒業しましたし、
長じてからは、商工会議所の青年部会長を拝命したのも卒業年度、
後がない状態の時でした、そして、今年1月に献血回数が100回に
到達したが60歳を超えています、普通は60歳までですが、健康な
おかげで協力できる体に感謝です。
さらに、前回の市議選も定員38名の最後、38番目の当選でした、
次点の候補者とは14票の差、こうして考えると追い詰められないと
力が出ないタイプ・・・・・・。

いえいえ、ただのズボラかもしれません。

申告と報告が終わってもうすぐ退職職員の見送りに参加してきます。
長年勤めた市役所と今日で別れを告げる人もいれば、
再任用や嘱託で引き続き市民のために働いていただける
人もいます、議員になる以前からお世話になった職員も
何人かおいでになりますので、名残惜しい気持ちでいっぱいです。
今後のご活躍とご健勝をお祈りしたいと思います。
  
Posted by いとう茂 at 16:49Comments(0)

2017年03月30日

健さんを覚えていますか②

今日は、午前中に議運と勉強会、会派総会がありました。
明日の10時から特別会議が開会して議案の審議を行いますので
それの準備です。
明日と明後日二日続きの特別会議です、それが終わると
日曜日は地元のさくらまつりです。
どうやら今年はほとんど花のないさくらまつりになりそうですが、
それもご縁です。

昨日に続き、過去のブログの再掲載です。
健さんと小百合さん、どちらもファンですので幻視行を試みた
文章です、自分ではそれなりの出来栄えだとひそかに思って
いるのですが・・・・・・。
存命なら健さんが86歳、小百合さんは3月13日で古希を
2歳過ぎられました。
いつまで覚えていられるか分かりませんが、忘れたら
思い出せばいい・・・・・そんな気持ちでいます。

2010年のげんき通信に健さん、小百合さんと鼎談をしたつもりで
勝手に文章を作ったことがありました。
かなり長いものですが、スキャナーのお蔭で編集は楽です。
読んでいただく方は・・・・・。

伊藤  本日は、お忙しい中、遠路はるばるお越しいただき、
ありがとうございます。限られた時間ですがどうかよろしくお願いします。

高倉  こちらこそよろしくお願いします。

伊藤 早速ですが昨年、高倉さんの「あなたに褒められたくて」
と「南極のペンギン」を拝読しました。
意外だったのは高倉さんが「自分は形から入るタイプ」だと
おっしやっていた部分です 。

吉永 私も以前に拝読しましたわ。私は、海外旅行で
いただいたウサギのお守りの話に高倉さんの熱い心を感じました。

高倉 恐縮です。お守りを入れる革ケースまで作って、
自分でもおかしいくらい、あのお守りは大切 にしていたのですが、
中国ロケで失くしてしまって、もうニ度と出逢うことがないと思うと
たまらなく切ない気持ちでした。

伊藤 私も、「ウサギのお守り」には心がキユッと締めつけ
られました。
人が人を傷つける時、自分がいちばん大事に思う人を
いやむしろとっても大切な人をこそ、深く傷つけてきたような気がする。
この人はかけがえのない人なんだ。
もうこんな人には二度と会えないぞと思うような人に限って、
深く傷つけるんですねぇ。
傷つけたことで自分も傷ついてしまう。
こんな書き出しでしたよね。

吉永  ああ、私もその部分はっきり覚えています。
高倉さんの質問に答えた、山田洋次監督の「愛するということは、
その人の人生をいとおしく想い、大切にしていくことだと思います」
この言葉も重いですね。

高倉  お二人とも拙い文章を丁寧に読んでいただきお礼の言葉もありません。

伊藤 吉永さんは、高倉さんと何度も共演されていますし、
「夢一途」の中でも書かれていますが、役になりきっている
高倉さんをご覧になってどう思われますか。

吉永 「動乱」 という映画のロケで1980年頃に鳥取砂丘に行った時の事です、
風がすごくて、目も開けていられないくらいの砂が舞って、
ロケどころではなかったのですが、高倉さんだけは、外でじっと風が
おさまるのを待っていらっしゃったし、他の映画の時もそうです。
どんなに寒くても、一人で役を演じ続けていらっしゃると聞いています。
「鉄道員」のロケの時もそうだったと、この前、小林捻持さんが
おっしゃっていましたよ。
「八甲田山」の時はもっと過酷な条件だったとか。
根っからの役者だなぁといつも感心しつつ、
私も高倉さんのようになれればと憧れています。

伊藤 動乱で吉永さんが、高倉さんに着物を羽織らせて、
仕付け糸を抜きながら、泣き崩れるシーンは強く印象に残っています。

高倉  自分は不器用ですから、共演者やスタッフの方とバスやホテルに
避難すると、気が弛んで撮影が再開されてもすぐに役に入って
いけないんですよ。

吉永 高倉さんらしいですね。

高倉  吉永さん、映画って人生とどこか似ていると思いませんか。
縁あって、多くの共演者やスタッフと出逢う、
そして、映画の中で死んでいく人もいれば、遠くに行ってしまう人もいる、
どれだけ一緒にいたいと願ってもストーリーの都合で辛い別離もある。
スクリーンに映る人だけでは映画はできない。
メイクさん、大道具さん、カメラに衣装さん、そんな人がいて映画ができるのです。
その時、その時に周囲の人に生かされている自分がいる。
これってありがたいことだと思うのです。

吉永 本当にそうですね。実感します。

伊藤 吉永さんは「映画女優」の撮映のとき、女優をとるか、
女をとるか悩まれたとか、その時の決断は大変だったでしょうね。

吉永 あのときは随分悩みましたが、今から思うと、ホテルにチェックイン
した時、明日の朝食は和食か洋食どちらにしょうか迷うこと位にしか
思っていないのです。
私はもしかしたら感受性が鈍いのかも知れません。

高倉 そんなことはないでしょう。「第二楽章」を何度も聴かせて
いただきましたが、感受性の鈍い人では、そこまで表現できませんよ。

伊藤  そうです特に「慟哭」は何度聞いても心が張り裂けそうです。

吉永 第二楽章をはじめ原爆詩の朗読は私のライフワークです。
でもおかしいでしよう、あの原爆詩は母親が息子を待ち続ける詩なのですが、
私には子どもがいませんもの。
でも、私もなぜかあの詩が一番心に響くのです。
伊藤さんに褒めていただいてうれしいわ。

伊藤 ・・・・・・・・・・・・・・・・・。

高倉  ところで伊藤さん、さきほど映画は人生に似ていると
申しましたが、伊藤さんはどんなことが人生に似ていると思われますか。

伊藤  はい、私は山登りやマラソンが人生に似ていると思っていたのですが、
それも実は人生なんです。
人生そのものなんですね。
最近になって思うのですが、バス旅行ってあるじゃないですか、
人間はこの世に旅をするために生まれてきたのではないのかと思うのです。

吉永  この世に旅をするためですか、あの世に旅立つということはよく口にしますが、
逆の発想みたいで面白いですね。
先を聞かせてくださいますか。

伊藤  はい、バスに乗って旅に出る、一泊でも二泊でもいいのですが、
色々なところから見知らぬ人が集まって目的地に向かう。
美しい景色を見たりおいしいものを食べたり、見知らぬ人同士が打ち解けワイワイ
ガヤガヤ、でも全員が自分とウマか合う人ばかりではないと思うのです。
こちらが合わせている人がいる以上、周囲の人も私に合わせて
くれていることを感じないといけないと思うのです。

高倉 孟子の惻隠の心、思いやりですね。

伊藤 そうです。金子みすゞさんの詩にもありますが、見えないけれどもあるんだよと
気づくことで相手への思いやりが生まれると思うのです。

吉永 「見えないけれどもあるんだよ」素敵な言葉ですね。
その詩、教えていただけます。

伊藤 全部は覚えていないのです、半分くらいなら
星とたたんぽぽ

青いお空のそこふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまでしずんでる、
昼のお星はめにみえぬ
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ

ここまでしか覚えていないんです、すみません。

高倉  う一ん、深い言葉ですね、自分なんかまだまだです。
話の腰を折ってしまいました続きをお願いします。

伊藤 バスの集合時間とか宴会の時間とかありますよね、
あれも約束なんです。
私たちは人生の中で周囲の人と衝突しないように、いくつかの
約束事を自分なりに決めて生きている部分があると思います。
しかし、何十人の中には、いつもマイペースの人がいるものです。
出発時間が迫っているのに朝風呂に入っていたり、
散歩から帰ってこないとか、そんな人に限って謝ることをしないし、
拳句には金払っているから文句を言われることはない、
なんて開き直ったりするんですね。
たぶん、価値観という物差しの長さは同じでも、目盛りの
粗さが違うのではないかと思うのです。

吉永 よく分かります。役者って自己主張の強い人が多いから、
決まりごと守らない人は結構います。

伊藤 そして、旅に出た以上いつか家に帰らなければいけません。
ここだったら、名神の大津インターを降りて、一人また一人とバスは
参加者を降ろしていきます。
「じゃ」「ありがとう」とか「また行きましょう」「さようなら」って、
いつか自分の番が来て降りなければいけない、
バス旅行がこの世だとしたら家はあの世と言えないでしょうか。
だったら、往くとか逝くではなく、あの世でも浄土へでも帰る、
還ると考えるのです。

高倉 バスに乗り続けることはできない。年末ジヤンボはほとんどの人が
ハズレだけれど死は全員当選ですからね。

吉永 伊藤さん、だったら一度きりのバス旅行、素敵なお土産
いっぱい持って帰らないといけませんね。

伊藤 そういうことですね。

吉永 今、バスの話が出たからではありませんが、私は、
自動車が人間そのものではないかと思うことがあります。
人は生まれた時から、あなたはクラウン、君は軽自動車、
そこのあなたはトラックとか決まっていて燃料もどれくらい
入っているのか知らされていない、せっかくベンツに生まれたのに、
数キロ走ったところで事故を起こしてリタイア、そうかと思うと
ボロボロの車でも楽しそうに走っている、車内は整然としていて
ゴミーつ落ちていない車もある。

高倉 吉永さんはどんな車なんでしょうね。

吉永 私にはわかりませんが、若いころはスポーツカーや
レーシングカーに憧れたり、いつぱい人が乗れるバスもいいな
と思ったりしていましたが、結局、自分は自分なのだと気が付きました。
与えられた車を大切にして燃料が切れるまで悔いのないように走るしかないと。
大先輩の女優の田中絹代さんが「楢山節考」の中で老婆を演じられた
のですか、まだ年が若くて、いくらメイクしても老婆にはなれなかったそうです。
そこで、自分の歯を全部抜いて役を演じられたと聞いています。

高倉 私たちの世界では有名な話ですね。

吉永 女優はやはり容姿を気にします、言い換えるなら自分の車は
いつまでもきれいにしておきたいと思うのが本心です。
田中さんはどんな車に乗っても自分は自分、その責任は自分にあると
思っていらっしゃったのではないでしょうか。
自分にとって正しい生き方と得な生き方なら、正しい生き方を選ばれた。
とても自分に厳しい方でした。
とこか高倉さんに通じるものがありますね。

高倉 自分なんかまだまだです。

伊藤 燃料がどれだけ入っているのかわからないというところも人生と同じですね。

吉永 ええ、だから、伊藤さんと同じように素敵なお土産をいっぱい残さないと
いけないと思っています。
いろんな所へ行ったり、いろんな人とドライブしたり、仕事、仕事だけでなく、
自分の心が満たされるような走りも心がけていますし、
道路の上でガス欠になったら他人の迷盛になるからそのあたりも気を配
っています。

高倉 人間に生まれてきたのが運が良かったのか悪かったのか
自分には分かりません。
生きることは喜怒哀楽の連続、むしろ哀や苦、辛の方が多いかもしれません。
そんな中で、人と自分を比べず生きる、上を見るとキリがないし、
下ばかり見ていると上から目線で傲慢になってしまう。
誰も代わってくれないし、誰とも代われない自分だけの人生だったら、
あるがままを認め、謙虚に受け入れるしかないような気がします。

吉永 日本中が貧しかった頃には道徳とか人情があっちこっちにありました。
貧しくても盗みをする人は少なかった、貧富の差がはっきりしてくると、
引ったくりや殺人までが増えてしまいました。
周囲が自分と同等だと人々は安心し、周囲が自分より上だと
被害者意識を持って加害者になる。
私たちは、どこかで意識せずに他人と比べなから生きている、
比べずに生きることは本当に難しいのかも知れませんね。

伊藤  お二人の根っこは同じですね、たぶん自分と向き合う姿勢、
他人と接する姿勢が同じなのだと思います。
華やかな世界で永年活躍され、今なお多くの人の心をつかんで離さない
魅力を垣間見た気かします。
私は次の世があるのなら、どこかのお城の濠の底の石垣がいいと思っています。
人の目に触れることはなくても、それでもそこにあるんだよ。
山頭火ではないですが、ここ何年か「買いかぶられる決まり悪さ、見下げられる気安さ」
ということを実感しています。

吉永 お城の石垣って発想が面白いですね。
お魚が話し相手なんて言うのもいいですね。
私も考えてみようかな。

高倉 それ、いいですよ。自分は話が苦手なんで。
どうです、次の世は三人で石垣になるというのは。

  
Posted by いとう茂 at 19:07Comments(0)

2017年03月29日

健さんを覚えていますか

いつも持っているカバンについているお守りを見ていて
高倉健さんを思い出しました。
2014年11月10日、もう2年半近くになります。
亡くなられた当時は写真集、週刊誌の特集、DVD、テレビの
追悼番組と、賑やかでしたが今ではそれも影を潜めて
日常に戻っています。
それでいいのでしょうが、自分の中では切ない思いがありますので、
過去のブログの再掲載です。

ウサギのお守り

人が人を傷つけるとき、自分が一番大事に想う人を、
いやむしろとっても大切な人をこそ、
深く傷つけたような気がする。
この人はかけがいのない人なんだ、
もうこんな人には二度と出逢えないぞと想うような人に限って
深く傷つけているんですねぇ。

傷つけたことで深く自分も傷ついてしまう。
そしていつの頃からか、本当にいい人、のめりこんで
いきそうな人、本当に大事な人と思う人からは
できるだけ遠ざかって、キラキラしている思いだけを
ずっと持っていたいと考えるようになっていますね。
くっつかなければ別れる事はない。
全然その人と会うことはできない電話すらできなくても
自分の胸の想いというのは、全くなにかタイムカプセルにでも
入ったように変わらないのですよね。

人には、それぞれ、いろいろなしがらみとか事情とかあって。
そのときは自分はこうですと言えないというのがありますよね。
何年かたったとき、今なら言えるんだけどと思うこともあるんですが、
時の流れが早すぎて、向うはもう切り替えて違うパートナーを
探してるとかですね難しいですね。世の中。

男と女の話を語る資格が、僕にはありませんが、
でも女性を想わないわけではないんです。
うまくいかなかったことがみんな嫌な思い出かというと
そうでもなくて、うまくいってない、
いやいかなかったんだけどちょっとした瞬間、
昔よく聴いた曲とか、立ち止まった景色とか、
目をつぶって思い出すとジンとしてくることがあるんです。

そしてこれからお話をするそのウサギのお守りは、
ある人からのお土産でした。
その人が海外へ出たとき、空港の売店で買ってきたものだという。
このお守りをその人が僕だけに買ってくれたものなのか
それとも何本も買ってそううちの一つを僕に
くれたものなのか、僕は知らない。
でも僕にとってそれは

ただのお守りとはどうしても思いたくなかった。
いつも身近なところに置いておきたいと思っていつも使うカバンに取り付けた。
どんな丈夫な毛皮でも毛がぬける。
それがたまらなく勿体なくて、考えたあげく、
お守りをすっぽり包むカバーを
皮革屋さんに頼んで作ってもらった。

何をやっているのか、めめしいことをして、と
自分自身可笑しくも思った。
でもそのときは、ただの一本の毛もその人の気持ちを
減らすような気がして惜しかった。

そのウサギの女性となんとかなりたいなんて思って、
そのお守りを持ち歩いてるわけではないのです。
ええ、そのかけらもないんですよ、そんな気持ち。

でもあのときのあれをもらったときの僕の想いは
僕にとっては宝石のように
キラキラしているということです。
アメリカ、ヨーロッパ、南極、北極、アラスカ、アフリカ五カ国、
辺境の国々への数十回を越す旅で、乗った飛行機の
離着陸する瞬間などは、無意識のうちに
そのお守りを握りしめたりして、ずいぶん一緒に旅をしました。

そんなに大切にしていたものなのに1990年の7月、
映画祭で中国へ行ったとき、失くしてしまいました。
自然に取れてしまったのか、誰かが持っていったのか、
あんなもの盗る人はいないはずだから、落としたに違いない
懸賞金をつけるから探してください、などと
同行の人たちに冗談めかして頼んだがついに出てこなかった。

そういうことなんですね。
自分でもどうにもできない心。
・・・人を想うということは。

愛するということは、その人と自分の人生を
いとおしく想い、大切にしていくことだと思います。

幸福の黄色いハンカチの北海道ロケに僕が山田洋次監督に
愛するということはどういうことでしょうかと、その質問に対する答えでした。








  
Posted by いとう茂 at 22:41Comments(0)

2017年03月28日

その人を笑えますか⑰

今日は久しぶりに所属しているか会の例会に
出席してきました。
毎週火曜日に例会が開催されていますが、今年に入って3回目の
出席で、皆さんからご無沙汰という挨拶をいただきました。
監査委員の仕事もようやく終わります、多忙でしたが随分と
知識も増えた感があります。
この知識を次年度以降に活かしていこうと考えているところです。
議会も3月31日と4月1日の特別会議が終わると一休みですが、
5月15日の招集会議で正副議長、監査委員をはじめ常任委員会、
特別委員会の人事がありますので、各会派の代表は多忙が
続きます。
それが終わるとすぐに勉強会があり、6月通常会議が開会します。
新年度の予定を手帳に記入していると、1年が終わったような
感覚があります。
今年はなんとか時間を捻出して、四国遍路の3巡目を結願したいと
思っているのですが、あと残る札所は5つ、歩きなら2泊3日の
行程ですが、お大師さんに呼ばれたらご縁をいただけると
思っています。

「ライオンとカエル」

カエルが「ガァー、ガァー」と鳴いているところに、ライオンが通りかかりました。
「あんなに大きな声を出すのは、きっと大きなけだものだろう」
と、思って、ライオンは立ち止まって振り返りました。
しばらく見ていると、カエルが沼から出てきました。
ライオンはそばへ来て、カエルを踏み潰しながら言いました。
「なんだ、こりゃあ。こんな体であんな声を出すなんて、あきれた奴だ」

このお話しは、口ばかり達者で、他の事は何も出来ない、
おしゃべりな人の事をたとえています。
巧言令色少なし仁、剛毅木訥仁に近し、君子言に訥にして、
行ひに敏ならんと欲す。
弱い犬ほどよく吠える・・・・・・。


「野ネズミと家ネズミ」

野ネズミと家ネズミとは、とても仲良しでした。
家ネズミは友だちの野ネズミに呼ばれて、ご馳走になりに、
いそいそと野へ出かけました。
ところがオオムギとコムギばかり食べさせられたので、こう言いました。
「これじゃあ、きみ、まるでアリの生活だ。家へ来れば、
うまい物がいっぱいあるから、一緒に来て、何でもおあがりよ」
そこで2匹は、すぐさま出かけました。
そして家ネズミが見せたのは、マメやムギの他に、ヤシの実や、
チーズや、ハチミツや、果物のでした。
そこで野ネズミはビックリして、家ネズミの暮らしをたいそう褒めて、
身の不幸せを嘆きました。

さて、いよいよごちそうに手を出そうとした時、急に人間が戸を開けました。
ネズミは臆病ですから、2匹ともその音に驚いて壁の割れ目に飛び込みました。
しばらくして、今度こそごちそうを食べようとしましたが、
また別の人が部屋の中へ入ってきました。
それを見て、ネズミはまた穴に飛び込んで隠れました。
そこで野ネズミはお腹の空いた事など忘れて、
ためいきをつきながら家ネズミに言いました。
「さようなら。きみは、危ない目や、怖い目にさんざん会いながら、
腹一杯食べて機嫌良くそれを味わっているが、わたしはいくらみじめでも、
怖い目に会わずに、オオムギやコムギを食べてのんきに暮らしていくよ」

ビクビクしながら贅沢するよりは、質素でも、のんびり生きている方が良いのです。
住めば都、炊き立てのご飯と熱いみそ汁にお漬物、それだけあれば
余は満足じゃ。

「捕まえられたイタチ」

ある人がイタチをワナで捕まえて縛り上げ、水の入っているつぼに入れて
おぼれさせようとしました。
ところが、イタチが言いました。
「何てひどい目に会わせるのです。ネズミだのトカゲだの捕まえて、
あなたの為になっているのに」
すると、人が言いました。
「それは、お前の言う通りだ。
だが、ニワトリをみんな絞め殺したり、家中を荒らしたり、肉の入れ物を開けたりして、
ためになる事よりも、悪い事をたくさんするから殺してやるのだ」

良い事は少ししかせずに、悪い事はたくさんする。
でも、自分では良い人間だと思っている人に、このお話しをすると良いでしょう。
さい銭も多ければいいというものではないのでしょう。


「借金をしたアテネの男」

アテネの町のある男が、お金をたくさん借りていました。
貸した人が来て、早くお金を返せと言いましたが、
「わたしは貧乏で、とてもお金は返せません。しばらく待って下さい」
と、頼みました。
しかし、相手は承知しません。
そこで男は、たった一匹だけ飼っていたメスのブタを連れて来て、
「見ていて下さい。これが売れたら、お金を返します」
と、言いました。
間もなく、ブタの買い手が現れました。
「このブタは、たくさん子どもを産むかね?」
「ええ、どっさり産みますとも。これは特別なブタなのです。
何しろ秋の祭りには、メスの子どもだけをたくさん産みますし、
夏の祭りには、オスの子どもばかり産むのですよ」
買い手が聞いてビックリしていますと、お金を貸した人がそばから言いました。

「あなた、こんな事で驚いてはダメですよ。この調子だと、今にこのブタは、
春の祭りには子ヤギをたくさん産む事になりますからね」

少しでもお金をもうけるために、ありえないうそでも平気でいう人が、
このアテネの男にかぎらずたくさんいます。
守銭奴、最近この言葉も聞かなくなりました、昭和以前の
言葉なのでしょうか、爪の先に灯をともす、赤貧。
半値八掛け五割引き、そんな国有地もあるようです。
  
Posted by いとう茂 at 16:48Comments(0)

2017年03月27日

監査報告

今朝は8時40分から監査報告書を市長以下の執行部に提出
してきました。
今回から監査委員の意見が付いた部署の部長も同席して、
監査報告を聞いていただきました。
総務部、都市計画部、産業観光部の事業について
代表が意見を述べました。

代表に続いて3人の監査委員が所感を話す機会があり、
私は、前期講評、決算監査報告に続いて今回も同じことを
話しました「法に則った政治、理に則った政治は大切ですが、
情に則った政治も大切にしていただきたい」そうした内容です。
具体的な例はあまり提示しませんでしたが、人の世のことは人が
中心になって進めています。
基本は人、その人が気持ちよく働くか、それとも強制されて
働くかで同じ時間をかけても成果はずいぶん違うと思います。

思い出すのが北風と太陽です、子どもじみた例えかもしれませんが、
自主的に勉強を始めようとしている子どもに「早く勉強しなさい」
その言葉は、やる気を萎えさせるだけでしょう。
これは自分の事としても経験しています、私は子どもに
勉強しなさいと言った記憶がありませんが、親になって子どもに
この言葉を発してやる気をなくさせた方も多いかも知れません。

脱ぎ着が自分でできない赤ちゃんならともかく、それなりの年齢に
達した人間の衣服を力づくで脱がそうというのは無理があります。
無理とは理がないということで、赤ちゃんの衣服の脱ぎ着も
情が大切ではないでしょうか。
よしんば脱いだとしても、それは自分の意思ではなく剝ぎ取ったと
いう方が適切だと思います。
自分の意思で脱ぐには、脱ぐ環境がいるでしょう、脱ぐ意思が
あるということは考える力があるということです、脱ぎやすい環境を
作るのが脱ぐ人を管理する人間の仕事だと思います。

もうすぐ咲き誇る桜も北風や外気の影響を受けます、ただ咲き
ただ散っていくだけの桜ですら、複雑な感情はなく、周囲の気温が
高くなれば咲き、低ければ咲くまで時間がかかります。
人間はもっと複雑な感情を持っています、すぐに反応する人、
言葉を飲み込む人、無言で反発する人・・・・・・・。
切り裂くのが理、包み込むのが情、そこまで言うと言い過ぎでしょうか。
  
Posted by いとう茂 at 13:43Comments(0)