2015年10月31日

ないものねだり

曽野綾子の小説に「ないものを数えずあるものを数えて生きていく」
というタイトルの本があります、内容はともかくタイトルに惹かれて
買った覚えがあります。
ともすると日常生活の中で、ないことや満たされないことに不平・不満を持ち、
何かに八つ当たりをしてみたり、誰かに無理難題をぶつけてしまいます。
自分で自分の心のコントロールができない未熟な人間、そういってしまえば
それまでですが、どこまで心をコントロールしなければいけないか分かっているのか、
そのことを自体を自覚しているのかにも大きな疑問符がつきます。

たら、れば、ゴルフをする人から良く聞く言葉ですが、ゴルフに限らず、
あの時こうしていたら、あの人がこう言ってくれていれば、ないものねだりです。
流れた時間は戻りませんし、ドラえもんもいません。
見栄を張らずに、目の前の現実を受け入れる、その中で自分ができることを
精一杯する、結果が周囲の人と比べて劣っていても、それが自分の実力であり
現実なのです。

海や大きな川に行くと石を拾う癖があります、持って帰る時は重さを考え
目を凝らして石を見ています、拾うのは決まって丸い滑らかな石、
自分の能力が足りない、心に傷や闇、荷物があるから丸い滑らかな石に
手が伸びるのかもしれません、自分もこうありたい、思うことは自由ですが
そうなれるとは限りませんし、なりたい自分になる努力をしているのか、
日々流されて努力する前に、そもそも、なりたい自分像は明確なのか。
自問自答をすることすら忘れている気がします。

ふんだんにお金と時間があり、欲しいものは何でも手に入る、
やりたいことは何でもできる、何不自由ない人などいないでしょう。
高度成長期には、多くの日本人がカラーテレビが欲しい自動車が欲しい、
クーラーが欲しいと懸命に働きました。
同じ目的を持つ人が周囲にいれば同じように頑張ることができますが、
自分だけのことですとなかなかそうはいかないことが多いものです。

同じ目的に向かって頑張ることを夢と呼ぶなら、自分だけのことに
頑張るのは欲と言うのでしょうか。
一概には断言できません。

今ある現状の中でやるべきことを行い、足りないものがあれば手に入れるなり
作り出す努力を惜しまない、不平、不満を言う前にまずそれが先ですし、
自分の可能性を試しもせず、自分の力が足りない、自分はこの程度と
開き直っても何も生まれないし何も変わらない。

ないものねだりとわかっていて、それでもねだっている、自分の中にあるものを
磨こうとせずに、ねだっている、そんな自分に気づき、これも気づかないふりを
していたという方が適切かもしれません。
そんな自分と対峙して少し凹んでいる自分。

足るを知る、案外難しく気付かずに見落としてしまうことが多い気がします。
凹んだ気持ちを直すすべは知っています、卑屈になり殻にこもる自分も知っています。
1年に何度かこの迷い道で時間をつぶすことがあります、孤独を楽しむ自虐的な
方法かと、自分では思っています。

  
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2015年10月30日

バリアフリー

バリアフリーの定義の中からわかりやすいものを紹介します。

障害者や高齢者の生活に不便な障害を取り除こうという考え方。
道や床の段差をなくしたり、階段のかわりにゆるやかな坂道を作ったり、
電卓や電話のボタンなどに触ればわかる印をつけたりするのがその例。

膳所駅周辺でバリアフリーの取り組みが進められています。
高齢化が進むと道路の整備や維持にかかる予算も減ってきます。
しかし、高齢者が歩くには歩道がなく事故に巻き込まれる可能性や
歩道があっても幅が狭い、うねりがある等で歩行に支障をきたす
こともあるかもしれません。
自動車に乗れない高齢者にとっては移動の手段の確保が
大きな問題になってくるのは事実です。

段差やへこみ、道幅などは目に見えるバリアフリーですが、
私たちは心の中に障害物を持っています。
差別や偏見、まちづくりで障害になることの一つに、昔から住んでいる人と
新しく住んだ人の軋轢、新しいマンションに新しく入居した人同士の
コミュニケーション不足、昔から住んでいる人の中での序列等、
人間同士のつながり方にも段差や凹みがあると思います。

企業でも地域でも一番難しいのは人間関係かもしれません。

市役所にほとんど毎日行っていますが、高校時代もよく
5階の食堂に出入りしていました、何を食べていたのか覚えていませんが、
5階から見える景色が好きでした、競艇場の建物も高層マンションもなく
市役所が一番高い建物で、琵琶湖が一望できました。

一番高い建物といえば、もっと子どもの頃親に連れて行ってもらった
京都の大丸を思い出します。
屋上には遊園地があり10円入れれば望遠鏡で京都の町が一望できましたし、
ワイヤーで吊られた飛行機に乗れば実際に空を飛んでいるようでした。
足元を含めて高齢者等の生活をスムーズにするためだけでなく、
視界をさえぎらないまちづくり、景観の確保を法律や条令でしばらなくては
いけない、そのことを否定する、景色を独り占めしない考え方を優先する
社会もバリアフリーと考えます。

自分の心にも段差や凹みがあります、人の好き嫌い、先入観、悩み・・・・。
本当は譲歩できるのに譲歩しない自分も知っていますし、
ズルイ自分も知っています、えっと驚く美しい心も知っています。
ある程度の縛りがなければ日常生活を円滑に過ごせないのは分かります、
立場上、周囲の目も制約になります。
これらの中で段差や凹みの部分を取り除いて生きることが理想なのかもしれませんが、
削っても磨いても尖がった角、丸くなればと言われても丸くならない、丸くする気がない角
そんな角を持った、どうしょうもない自分も知っています。
どうやら心の中の段差や凹みは全部取らない方がいいように感じます。
一つだけ角を残して生きるのも自分らしいかと思います。





  
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2015年10月29日

一億光年

光が1年かかってたどり着く距離が1光年で、 9兆4600億kmです。
地球と太陽の距離を1光年の距離で割ってみると、0.00001581 光年、
8分19秒で地上に光が届きます。
1光年というととても長いように思いますが、24時間の365倍、つまり
われわれが日常生活している1年も1光年も同じです。
1日に50キロ歩いて1年で、およそ18000kmになります。
光が届く距離は9兆4600億km、距離は違いますが時間はともに1年になります。

1億光年は1億年、地球ではティラノサウルス、トリケラトプス、イグアノドン等の
恐竜が闊歩していたのでしょうか。

昨日は十六夜、今夜は立待月、恋しい人を今か今かと立って待つ、
ソワソワした気持ちが伝わってきそうな呼び名です。
夜空に輝く星の光が、どれだけ前のものかはわかりませんが、
星の中にはすでに消滅しているものもあるでしょう。
地球までが5光年の星なら今日消滅しても5年間は光っている、
そう考えると1億光年の距離の星は今日消滅しても1億年先まで
光が地球に届いているということになります。

愛しい人が亡くなって面影が心に残るのと重なります。
去っていってほしい人が去らない、そういう場合もあると思いますが、
こちらが去るわけにはいきませんので、いつまでも残像にならない。
怨憎会苦の言葉を思い出します。

人は必ず死にます。
いつか自分の番が回ってきます、生きているうちは愛しい人と
なるべく近くにいたいと願うものですが、亡くなると星ですと近いほど
早く光が消えてしまいます、近くで短くても強い光を残すか、
遠くで弱くても長い光を残すか、残された人を思うと、
近くで短くて強い光で消えていく方が残された人の人生を考えると、
いいように思います、妻に先立たれた夫の平均余命は5年、
その逆は20年、もしかすると男性の方が近くで強い光を放ち
消えていくことが多いあらわれかもしれない、そんなことを思います。

願わくは、自分の星が消える時に自分が照らしている人を、
互いに照らしあっているのでしょうが、同時に宇宙のもくずと
消えていけたらと思います。

今日から前の皇子山陸上競技場で陸上の高体連が始まりました。
もう40年以上前になりますが、私もここで若さを謳歌していたことを
思い出しました、自分の心の中の星はとっくに消えていますが
今でも残像がよみがえる、ずいぶん長い間光を放っているものです。






  
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2015年10月28日

気分転換

10月21日は午前中に平野市民センターの移転新築のくわ入れがあり、
午後からは70年目の大津市の戦没者の慰霊式、その後は保護司の仕事と
夜は和太鼓の練習、かなりハードな一日になりました。
あらかじめ予定は分かっています、慰霊式は1時30分より始まりますので、
くわ入れが終わって家に帰り、12時過ぎに家を出て膳所公園に立ち寄りました。
会場の生涯学習センターまでは家から歩いて5分程度ですし膳所公園から
会場までもすぐにいけますので1時間以上余裕があります。

ここも、のどかに時間が流れていました。
近江大橋を渡る自動車はミニチュアカーのようだし、ゆっくりした動作の
太極拳をしている人もいます、湖岸で釣り糸をたれる人もあちこちにいます、
そして、和みをくれたのは渡り鳥でした。
まだまだ数は少ないのですが、二羽で泳いだり小さな群れで泳いだりする
渡り鳥をしばらく目で追っていました、後ろでは親子連れのはしゃぐ声が
していましたが、BGMのようで30分は見ていたように思います。
もうすぐ湖上も渡り鳥でにぎわいます、何を語っているのかわかりませんが、
ゆっくり休んで春には北へ渡ってもらいたいと願います。

散歩やランニングをする人で結構往来がありますが、まったく気になりません。
子どもの頃から通いなれた公園ですが来るときのこちらの心のありようで
いろいろなことを感じさせてくれたり気付かせてくれます。
プチ自然とも言うべきスペースですが、無言で包み込んでくれる
何かがあります。

気になるのは枯れた桜と堀の中の金属管です、この前に一般質問を行いましたが
その後の動向を次の通常会議で確かめようと思います。
湧き水がありますのでそれを堀に引けないか、これも改めて確認します。

慰霊祭は戦後70年の節目の年ですが遺族の方も高齢になられ、
献花の時に戦没者の奥さんが前に出てこられましたが、母親よりご高齢のようで、
70年という歳月は色々な思いを遺族の方にさせてきたのだろうと感慨深いものがありました。

  
Posted by いとう茂 at 17:12Comments(0)

2015年10月27日

秋の研修は大当たり!

唐崎中学校の前に全国市町村国際文化研修所という施設があります。
通称はジャイアムと呼ばれている自治体職員向けの研修施設で
議員向けの研修も行われています。
全国の議会はほぼ同じ時期に開催されますので、4・5・7・8・11月は
議員向けの研修が開催されます。

今年も8月3・4日に研修があり参加してきました。
9月に11月の研修会の募集がありました、11月の4・5・6日、
12・13日、19・20日でしたのでとりあえず全部申し込みました。
このうち、19・20日は先着順で240名ほどの募集、こちらは
先着順で参加が決まりました、4・5・6日は地方分権の動向と自治体の
行政改革がテーマで5・60名の募集、募集定員が少ないと抽選になります。

これも抽選で当たり参加が決まりました、残るは12・13日ですが
当初は募集定員が少なかったのですが、人気があり募集を増やしたものの、
補欠の5番目ということで半分あきらめていましたが、欠員が出てこちらも
参加が決まりました、2年ほど前も申し込んだ研修がすべて当たり
多忙な日でしたがそれの再現になりました。

募集定員の多い研修は1泊2日で講義が中心でこちらは聞いているだけですが
それ以上長い研修は講義のほかに演習があり議員がそれぞれの考えを
発表したり議員同士で議論をして結論を出す時間がかなり多くあります、
自分の無知さを思い知らされ冷や汗をかくこともありますし、専門家顔負けの
知識を持っている議員に圧倒されたりと恥をかく場になることが多く、
気おくれしそうになりますが、これで新しい知識が身につくから不思議です。

研修は全国から議員が来ることを考えて午後からが基本です、
12日は午前中は常任委員長に聞くというBBCの番組の録画取り、
13日は研修終了後に膳所駅で録画取りの続きがありかなりタイトな
予定ですし、20日も研修終了後に11月通常会議の勉強会、
4時30分から高島議会との意見交換会があります。

研修会で来年1月25日から27日の2泊3日の案内をいただきました。
これは過去に受けた研修のステップアップの研修で、過去の受講者
限定のものです。より専門性の高い研修ですので、ぜひ受講をしたいと
思ったのですが、最終日の27日は全員協議会が入り、出席を断念しました。
ある意味、選ばれた者だけの研修会ですので少し心が残っています。
大津市議会ではおそらく一番研修に参加していると思いますが、
あそこで出会う議員との意見交換も大きな収穫で聞いているだけの研修より
実があるかもしれません。

ともあれ、研修に行くだけでは時間の無駄ですので学んだことをどう生かすか、
もちろん4年の任期中に芽が出て花が咲く研修もあるでしょうし、
即効性の研修もあります、この年になって学ばなければいけないことが
こんなに多くある、発見の嬉しさと受講の苦しみ、恥ずかしさ、その二面も
楽しんでより多くのことを血肉にできればと思います。

  
Posted by いとう茂 at 15:35Comments(0)