2020年11月30日

思い出し遍路㊽

京都駅を夜の9時か10時に出発し、途中、大阪にも立ち寄り
終点の宿毛を目指して高速バスは走ります。
宿毛に着くのは翌朝の8時前だったと思います。
駅前の食堂で朝食をとり松尾峠を越えて高知から愛媛に入り、
40番の観自在寺を目指しますが、松尾峠の上りは高知県で、
松尾大師跡を過ぎると、今度は道が下ってそこから愛媛県になります。
驚いたのは上りは石ころが転がる未舗装の峠道ですが、
下りは整備された舗装道路で県をまたぐとこんなに
道路の整備状況が違う、ということでした。
ただ、道路を整備しても自動車がどれほど何もない松尾大師跡まで
来るのかという思いがありましたし、両県が協議をして道路整備を
行って行き来ができるようにしなかったのだろうか・・・・・・。
大きな税金が使われていたことは確かで、現在は高知県の方も
整備ができていることを願います。

この日は午前中から雨が降り出して、レインコートを着ての
歩きになりました。
1日に歩く距離は35キロ弱で、それなりに疲れる距離ですが歩き
出した時間が遅かったので観自在寺にお参りをして民宿に着いた時には
すっかり夜になっていました。
宿毛から宇和島までは鉄道が走っていませんので、公共交通機関は
バスしかありません、バスで宿毛から宇和島まで行きコインロッカーに
不要な荷物を置いて再び宿毛に戻って歩き出す計画も立てましたが、
時間のロスが大きくリュックを抱えての歩きです。
民宿は1階が居酒屋で食事のための移動時間はありません。
歩いたのは当たりの山に白い花が咲いたようにビワの実に白い紙袋が
かぶせられたころですので5・6月頃だったと思います。

昼は観自在寺に向かう途中の喫茶店で済ませましたが、濡れたレインコートは
店側にすれば迷惑な話だと思いますが、いやな顔もせずに親切に応対
してもらった記憶があります。
ちなみに道路沿いに飲食店が立ち並ぶ地域ではありません、とにかく
食事ができる場所・・・・それが選択肢でした。

二日目は歩くだけで目的地は宇和島、宿毛からバス移動なら途中で
いくつかのバス停に寄っても2時間弱で宇和島に到着します。
それが歩けば丸二日、なんでこんなことしてるんやろ・・・・・・。
ここでもまたこの疑問が出てきましたが、歩くしかありませんでした。
  
Posted by いとう茂 at 13:29Comments(0)

2020年11月29日

せっかくご案内をいただきましたが・・・・・

大津商工会議所の青年部創立30周年の式典の
案内をいただきました。
青年部を作るという話は、32年前からだったと思います。
準備委員会から出席していましたので、ほぼ人生の半分前と
いうことになります、時代もよかったようで、バブルが
はじけた後もそれなりにイベントやら大会が各種団体で
開催され、まだまだ活気がありましたし、青年部も年齢が30代前半
から40代前半と構成員も一番元気な時で、右肩上がり、足し算の
発想しかありませんでした。

同時期に京都商工会議所でも青年部が発足し、京都、奈良、大津で
すぐに交流が始まりました。
奈良だけが先輩で、近畿ブロック大会も経験しており、OBもたくさん
いましたし、次の目標は全国大会でその準備や誘致活動にも
影で大勢のOBも動いていたのを記憶しています。
大津の青年部は創立から6年で近畿ブロック大会を主管しましたが、
同じ年には奈良が全国大会を主管して、3青年部の交流はいっそう
盛んになりました。
この頃の口癖は、京都はH16、大津はH20というもので、全国大会の
主管を京都は平成16年、大津は平成20年にしょうというのが目標で、
近畿2府4県と福井県が持ち回りで、毎年開催されるブロック大会に
大挙で繰り出して、全国大会主管をPRしていました。

私が青年部の会長を拝命したのが平成12年、創立から10年がたって
いましたが、この辺りからどこの青年部でも世代交代が始まり、
全国大会の約束も薄れていったようで、平成16年に京都が大阪に
負けて全国大会の誘致ができなかった時には、平成20年を
目指すという話も出ました。
この話は奈良や事情を知っている京都のメンバーがいて、大津の
応援が決まり無事に開催してくれました。
そこから12年がたち30周年を迎えました。
20周年の時は式典に出席しましたが、残念ながら30周年はえこーの
面談と重なって行けません。
お父さんと一緒に活動し、会を盛り上げてきましたので、今の青年部の
会長は、その子ども世代になります。
ここでも、菊づくり菊見るときは影の人・・・・です。
  
Posted by いとう茂 at 12:50Comments(0)

2020年11月29日

胸のつかえがちょっと

金曜日も保護司会活動の日でした。
保護司個人ではなく会の活動の日でした。
一つは、今年はコロナの影響で上半期の活動が全滅で、
年度内に何か事業を・・・・・ということで役員会でも議論し、
中学校との意見交換会ができないかということになり、
飛び込みで中学校に行きました。
アポなしなので会ってもらえないかと心配でしたが、校長と教頭に
お会いすることができて話をしてきました。
中学校でも課題を抱えていて門前払いではなく前向きにとらえて
頂き、これから日程調整に入ります。
これで一つ事業ができます、研修事業はしないということで書籍を
配ってそれぞれが自主研修という形になりましたので、次は書籍の
発送です、これが二つ目でなんとか来年の総会で事業報告ができます。

もう一つは新任保護司の依頼でした。
午後から勤務先に行ってお願いしたところ、事前に他の保護司から
依頼がありましたので、首を洗って待っていてくれました。
と言うと少し失礼ですが、ほぼ快諾でこれから手続きに入りますが、
紹介保護司は事前に話をした保護司にお願いしました。
今後、団塊の世代が大量に75歳を迎えて実質、保護司活動が
できなくなりますので、今から・・・・遅いくらいですが、新しい保護司を
確保していかなくてはなりません。
5月と12月が入れ替えの時期ですので、これから紹介保護司が
書類など必要な手続きを進めて、来年5月に新任保護司の誕生です。

役員会で部会長から説得してくるように言われていましたので、
これでノルマが果たせました。
退任保護司が他にもいますので、その補充も進めていかなくては
いけませんが、保護司と言うと二の足を踏む人が多く進みません。
進まないからと言って放置してよい問題ではないので、人脈を頼りに
これからも保護司候補者探しは続きます。
今年度は3人の新任保護司が誕生です、警察や消防署と同じように
保護司も無くてもいい時代が来るといいのですが・・・・・。
  
Posted by いとう茂 at 00:00Comments(0)

2020年11月27日

どう寄り添えばいいのか

えこーに何度か来た相談者からスタッフに久しぶりに
電話があったそうです。
手が離せず電話に出られなかったそうで、留守電にメッセージが
入っていました。
内容は話を聞いて欲しいというものですが、以前の相談でも
こちらが話すことが気に入らないと大声でわめいて、二度と
来ないと帰ることが常でした。
ひきこもりや不登校とは無関係の相談者で、居場所がない
というのが大きな問題になっています。

私はこの相談者に嫌われています、相談に来てずっと携帯を
触ってメールを打っていましたので、「ちょっと電話置いておこうか、
今大事な話をしてるところだから」
「・・・・・・・・、何で自分の電話を触ってはいけないのですか」
こちらが「・・・・・・・」でした。
それ以来、ショートメールや手紙で数えきれないくらい非難され
半年くらいたって、ようやくなくなりました。

支援センターや支援者でのケース会議も何度か開催しましたが、
有効な策がなく今に至っています。
いくつか居場所も紹介し、そこにも行くのですが人間関係が
上手くいかず長続きしません。
今年の初めから誰にも連絡がなく、どうしているのか話をしていた
矢先に電話があり、最近は非通知の電話が1日に6・7回かかって
きます。
電話に出るとすぐに切られてしまい、こちらから電話をすると
出ませんし、出ても携帯番号を削除するように求めてきます。

スタッフ会議では電話をするところがあるだけで時間がつぶれて
ある程度満足するのではないか、そんな意見もありますが、
困っていることははっきりしています、何とか寄り添えないか・・・・・。
えこーに来ても気に入らないと大声で騒いで帰ってしまうことも
分かっています。
この繰り返しを何度もしてきました、来たときは前回は帰ってしまって
ごめんなさいと謝るのですが・・・・・・。
話を進めていくと・・・・・また帰ってしまった。

12月もえこーの相談日は水曜日、日曜日ともほとんど予約が入り、
こちらも身動きが取れません。
さあ、この相談者にどう寄り添うか、諦めないのがえこーの信条です。
無い知恵を絞りあって道を見つけたいと思います。
  
Posted by いとう茂 at 14:32Comments(0)

2020年11月26日

思い出し遍路㊾

40番の観自在寺から宇和島までは遍路道を通れば
30キロ余りですが、上りを避けて海岸沿いの道を選択しました。
円の直径を遍路道だとすれば、海岸沿いの道はその円の
円周を歩くイメージで距離はかなり長くなります。
それでも宿泊所に入る前に宇和島駅の近くにある別格の
龍光院にお参りをしていますので5時まではかかっていません。
朝の6時ごろから11時間、ほぼ歩き通しでここまで来ました。
11時間の歩きは標準で、夏場ですと5時前から7時ころまで
14時間の歩きもありました。

宇和島では居酒屋でビールと地元の魚を堪能しました。
その土地の珍しい食べ物が食べられるというのも歩きの
特権かも知れません。
ただ、外食の場合はもう歩くのが嫌ですので、300メートル以内と
言った制限はありますが・・・・・・。

その次の日は41番の龍光寺から佛木寺、43番の明石寺(めいせき)
をお参りして宿泊です。
1・2日目に比べると歩く距離は短くなっていますが、札所と
宿泊の場所の関係で無理したり、ちょっと楽したりの歩きです。
足腰の疲労もありますし、足の裏には豆の下に豆ができたり、
短い距離は嬉しいのですが、宿毛から宇和島のあたりは大津から
一番遠いところですし、交通の便も悪くなるべく1度ですませたい
気持ちがありますので、トータルするとそれなりの距離を無理して
歩きました。
帰る場所も重要なポイントで、次に来るときになるべく歩き出すまでに
移動時間がかからないことを考えておかなくてはいけません。

龍光寺と佛木寺は3キロ余りでそれほど歩くことなくお参りが
すみますが、次の明石寺までは歯長峠というちょっとした上りがあり、
下ってから休憩しましたが、途中に奥行きが長く段差もある階段があり、
滑りやすくて慎重に降りたのを覚えています。
この辺りまで来ると札所で歩き遍路と出会うことはありますが、
道中で追いついたり追い抜いかれたりはほとんどなくなります。
遠くに見える遍路の背中は時々見ましたが、さらに遠くなったり
ほとんど変わらない距離でした。
明石寺の手前にどんぶり館という飲食店がありここで遅めの
昼食でした。

歩いていると疲労もあり札所によっては印象が薄く境内や本堂が
あまり記憶に残っていない札所があります。
明石寺もその一つで、高校か中学校が近くにあり、山門までは
ぐるっと回って歩いた印象があるのですが・・・・・それだけです。
泊まったのは明石寺から2・3キロ歩いたビジネスホテルで、
若い建設作業員が大勢泊まっていましたが、何を食べたのか
こちらも薄くなっています。
次の日は大津に帰る日で、重い足取りで朝早くから伊予大洲駅を
目指しての歩きになります。
  
Posted by いとう茂 at 15:39Comments(0)