2014年08月31日

アー疲れた

昨日は膳所の夏祭りでした、心配された天候も
雨に降られることもなく、朝からフリーマーケットや模擬店で買い物を
する人でにぎわい午後からの部では、石鹿太鼓のOB会である
石鹿っ鼓の演奏から始まりました。

私も演奏しましたが練習不足は隠せません。
3曲の演奏でしたが2曲目でほぼ息が上がり酸欠状態で
太鼓の移動がありますのでその間を話でつなぐのですが、
ハーハーが先に出て言葉になりませんでした。

それでも何とか3曲を演奏し無事に持ち場を果たせました。
みんな一線を退いて10年ほどたちますが、体がリズムを覚えているようで
右でたたくところを左でカバーしたりと曲を間違えることは
余りありませんでした、次は来年の琵琶湖開きの日に開催される
膳所火まつり、4月の膳所さくらまつりが目標になりそうです。

式典の後ヨシたいまつに点火されると、揺れる炎が幻想的な世界を
演出し、いよいよ花火の始まりです。
これまで模擬店を手伝っていましたので花火をまともに見た
経験がほとんどなくいつもテントの中で音だけ聞いていましたが、
昨夜はステージの上でゆっくり鑑賞しました。

スケールでは大津の花火大会の足元にも及びませんが、
最初、ぽつぽつ上がる花火は見逃すまいと目を凝らして集中できますし、
ゆったりした空間で見ていると自分のために上がっていると錯覚してしまいそうです。
クライマックスの連発花火が上がると会場から拍手が起こりました。

これでいいのかもしれない、これで満足。
そんな思いがわいてきました。
足るを知るということではありませんが、資金集めから準備まで
かかわっていますので舞台裏の事情も知っています。
みんなボランティアで1日つぶしての本番、そんな苦労が
観客の拍手で報れます。

来年もその次の年も身の丈にあった手作りの夏まつりが
開催できることを祈っています。
願わくば若い世代が後に続いて引き継いでくれたら・・・・。
  
Posted by いとう茂 at 13:34Comments(0)

2014年08月30日

名残の花火

今日は膳所の夏まつりです、朝からはフリーマーケットや
商店街の模擬店が出店され親子連れでにぎわっていました。
フリーマーケットの結構な賑わいで大きな荷物を抱えて帰る
人も多くいました。

8月の最後の土曜日に開催される夏まつりですが、私が観光協会の
会長を務めているころは8月の第1日曜と決まっていました。
今年度からエアコンが整備された中学校の始業式が大津市でも
2校以外は8月27日からになりました。
2学期に入っているのに夏まつりはいかがなものか、そんな声もあります。
来年以降は開催時期についても変更があるかもしれません。

夜は6時からステージ発表があり、和太鼓の演奏をします、
6時からのトップバッターで出演です。
27日に練習があり最後の詰めをしました、久しぶりに
多くの人の前でたたく太鼓ですので気持ちも高ぶりますが、
普段通りにたたこうと思っています。

お時間のある方はぜひお越しください。
8時からは式典があり8時20分にヨシたいまつの点火、
そしていよいよ名残の花火の始まりです、小さな地域で協賛者を
募り細々と続いている夏のイベントですが、大津の花火大会は
人出も多いので高齢者の方や小さい子供がいる家庭では
出かけにくいこともあり、楽しみにしている方も多くおいでになります。

芭蕉は行く春を近江の人と惜しんだようですが、
行く夏を近江の人と楽しむのも一興です、ふるさとの行事を
ともに楽しむ、それだけですがそうした積み重ねが連帯感になり
絆につながっていく気がします。

これから地域の福祉を考える会の会合です。
高齢者福祉について月1回の会議を持ってきました。
すこやか相談所や社協とは連携していますが、
会独自でも少しずつですが動きも出てきて地に足の着いた
活動がわずかながらでも形になっていくようです。

週があけるといよいよ9月通常会議の幕開けです。
10時から開会で午前中には終了しますが、午後からは
会派で一般質問の読み合わせです。
15人中9人が質問を行い全体では26名になりそうです。
4日間みっちり質問です。

任期中、残り3回の通常会議です、今回は決算もあり
長期の日程ですがしっかり審議したいと思います。
  
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2014年08月29日

送別会

昨夜は先輩の送別会がありました。
私とは2歳違いの先輩で、仕事が多忙になり毎週の
例会に出席できないということである会を辞められました。
他に転勤族の人たちも勤務地が変わると辞められるのですが、
地元の人が辞めるのは珍しいことで、親しい仲間たちが
別れを惜しんでいました。

とは言っても1年に何度か顔を合わしますので個人的には
惜別の念はありません。

行く年来る年ではありませんが、人も時間の経過とともに
往来します、この世とあの世の往来はできませんが、
この世の中での愛別離苦。

こうして送別会をしてもらえる人もいればひっそり去っていく人もいます。
大切なものはなくして初めて気が付くことも多いのですが、
人も去って言って初めてその人の存在に気が付くことがあります。
この世の中の出来事ですから大きな穴にはなりませんが、
これがあの世に行ってしまったということになれば誰もが気づく
大きな穴になるのでしょう。

小さな穴のつぶやきや嘆きを感じることは難しいかもしれませんが、
その小さな積み重ねが感受性というのか優しさというのか
そんなものになっていく気がします。
長い時間の間にそうした積み重ねをした人としていない人では
感性にも差が出て人生の中で感動する回数や深さも違ってくるのでしょう。

どちらがいいのかはわかりません、感性が鋭い人は人の気持ちがわかる分
人に甘くなるかもしれませんし、感性が鈍い人は人の気持ちがわからず
厳しい態度をとるかもしれません。
できるなら、人の気持ちがわかって甘くなっても、小さな穴のつぶやきを
聞くことができる人間でいたいと・・・・・。
そんなことを感じた昨夜でした。
  
Posted by いとう茂 at 13:32Comments(0)

2014年08月28日

郡市別政調会

午前中は今年度の郡市別政調会があり、国、県に
来年度の当初予算に対して要望を行いました。
特別要望については平成36年の国体開催に向けて、
プール、体育館の新設と現在の県立体育館の存続と改装、
琵琶湖漕艇場の施設の建て替え、アイスアリーナの整備を行い、
最重点要望として豪雨被害に伴う災害復旧関連事業の
早期完成と予防措置、いじめ対策の推進、県庁周辺県有地の利活用の推進、
の3点を要望し、そのほかに重点要望16をお願いしました。

市長以下の執行部も同席して、県条例の制定や国道の整備促進など
活発な意見交換、質疑応答を行いました。

県においても児童相談所の新設なども考えておられ、現在は彦根市
だけにしかありませんが大津市にも施設ができれば子どもの健全育成に
向けて迅速な対応が可能になります。
規模的には50万人に1施設という説もありますので、将来的には
滋賀県に3カ所の施設ができるかもしれません。

中核市の大津市は単独で設置することも可能ですが、維持費用を考えると
市単独では維持が困難で全国の中核市でも単独で持っているところは
大変なようで、県が率先して設置に向け動いてくれることはいいことです。

なくてはならない施設ですがなくなってほしい施設でもあります。
そういった平穏な世の中になることを望んでいます。

午後からは一般質問の仕上げにかかります、1日が会派の締め切りで
読み合わせがあります、ほぼ完成していますが、読み返してみると
自分の思いが今回は薄いように感じますので、そのあたりをもう少し
盛り込んでいこうと考えています。

過去最高になりそうな質問者で予備日も使って時間いっぱい
フルの一般質問になりそうです。
今回、副市長と教育委員の人事案件はでないと市長から
説明がありました、副市長はともかく、教育委員については
教育長がほぼ半年不在になりますので市長の任命責任を
問う質問が多くありそうな気がします。

いずれにしても任期中の定例会議は9月を入れてあと3回になりました、
各議員ともそろそろ4年間の仕上げに入る時期です、
私も新しい質問と過去の検証を行う質問を交えて、しっかり質問しようと思います。
お時間のある方は傍聴、ネット中継をご覧ください。

  
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2014年08月27日

時々思い出す言葉

もう30年近く前に読んだ本ですが「石橋を叩けば渡れない」と
いう本があります、著者は西堀栄三郎さんで、生まれは
お隣の京都です。
滋賀県にもゆかりがあり竜王か八日市のあたりに
記念館もあります、行ったことがないのでちょっと大雑把です。
そして、第一次南極越冬隊の隊長を務めた方です。

そんな経歴はまったく知らずにタイトルが面白かったので
本を購入したのですが、短い文章で結構読みやすかったのを
覚えています、まだ本棚にあるか捜すと、ありました。
表紙も汚れていますが確かにありました。

昭和47年の初版で手元にあるのは昭和59年38版です。
60年が1985年ですから30年になります。
何度か読み返した記憶がありますがほかの部分は
頭の中の引き出しの奥深くか、忘却の彼方か・・・・・・。

正確にお伝えしたいので掲載します、ただ活字が・・・・小さい。

「保守と革新の組み合わせ」

「いまどきの若いやつはどうもけしからん」というような言葉が、
年寄りの間から絶えず出てきます。
そして、断絶という言葉が流行しています。

私に言わせれば、断絶なんていうのは、何も今に始まったことではなくて、
私たちの若い時分からずっと、断絶、断絶が続いて今日まで来ているのです。
物事というものは、決してそうスッスッと行くものじゃなくて、常に断絶の世の中なのです。

世の中の発展というのは、常にスッスッと進んでいくような
発展の仕方というものはありえようはずはありません。
つまり水平な部分と垂直な部分とがある。
ある期間は保守的なものをそのまま維持していく。
これは水平な部分です。
そしてある時期が来ると、何か今までやっていたことではない事柄が行われる。
あるいは起こっている。
これはしいて言えば革新的なもの、垂直な部分です。
この二つが組み合わさって発展ということが行われるのだと私は考えています。

日本がここまで発展してくるためには、大なり小なりそういったものであったに違いない。
革新というとすぐゲバ棒を持ってワッショワッショやったり、
あるいは暴力革命的なことを考える人たちがあるかもしれないけれど、
私はそういう暴力的なものは一切否定します。

ことに、まず古いものを壊してから新しいものを作ろう。
という考え方をする人がいますが、私はそうではなしに、
新しいものを作ったら、自然と古いものはなくなっていく、という考え方を持っています。

たとえば、今まであるものをガンガンつぶしてしまって、
そこにテレビというものが現れてきたのではなくて、
テレビというものが現れてきたから、
ほかのものがなくなってきた、という考え方です。
技術の発展というか、科学的な考え方というのは、
まず古いものをガンと破壊して、
そこから新しいものをこしらえようなんて、そんなことは考えていないのです。

以上ですが、テレビの出現に伴いラジオの衰退、ワープロ、パソコン、タブレット、
ガソリン車、ハイブリッド、電気自動車、科学の進歩は目覚ましく
次々と新しい機能をもった製品が開発されていますが、
主役の座を降りてもそれなりに居場所を確保しているのも現実です。

「露骨な行動は露骨な反発を生む」物言わぬ製品の方が
人間よりそのことをよく知っているような気がします。
  
Posted by いとう茂 at 12:36Comments(0)