2013年12月31日
いよいよ大晦日
平成25年も今日限りになりました。
振り返ると今年もいろんなことがありました。
議員として、人間として少しは高みに行けたのか、
知識先行の薄っぺらい人間になっていないか。
情に流され浪花節人間になっていないか。
理だけ振り回す冷血漢になっていないか。
出たとこ勝負のお調子者になっていないか。
反省すべきことばかりです、歩きながら、動きながらの
反省は目先のことにとらわれて、正しい判断ができない
事があります、人は流水に鑑みず、止水に鑑みる。
歩く姿をショーウインドに映しても自分の側面と
顔が映っているだけです。
背中は凛としているか、心は病んでいないか。
鏡には映りません「諦める」仏教では思いを断ち切るのではなく
明らかにするという意味があるそうです。
ぎゅっと握った拳の指を一本ずつ解きほぐし、しっかり握っているものは
何かを明らかにしなくてはいけません。
大切なものは両手でしっかりつかむ。
片手間では大切なものをつかめないということかもしれません。
あと半日、ボーとしながら今年を振り返りたいと思います。
振り返ると今年もいろんなことがありました。
議員として、人間として少しは高みに行けたのか、
知識先行の薄っぺらい人間になっていないか。
情に流され浪花節人間になっていないか。
理だけ振り回す冷血漢になっていないか。
出たとこ勝負のお調子者になっていないか。
反省すべきことばかりです、歩きながら、動きながらの
反省は目先のことにとらわれて、正しい判断ができない
事があります、人は流水に鑑みず、止水に鑑みる。
歩く姿をショーウインドに映しても自分の側面と
顔が映っているだけです。
背中は凛としているか、心は病んでいないか。
鏡には映りません「諦める」仏教では思いを断ち切るのではなく
明らかにするという意味があるそうです。
ぎゅっと握った拳の指を一本ずつ解きほぐし、しっかり握っているものは
何かを明らかにしなくてはいけません。
大切なものは両手でしっかりつかむ。
片手間では大切なものをつかめないということかもしれません。
あと半日、ボーとしながら今年を振り返りたいと思います。
Posted by いとう茂 at
12:50
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2013年12月30日
久々の大きい犬
5月10日に大きい犬が亡くなって7か月余り、
長年使って少し傾いていた大きい犬の小屋を
壊しました、長い釘で頑丈に作ったつもりでしたが
案外、簡単に小屋は板の積み重ねになりました。
小屋の後は周囲と色も変わっていて大きい犬の
毛も残っています、今頃どこにいるんやろ、
捜してもいるはずはありません、いるのは私の心の中。
人間にはずっと覚えていたいから思い出や物を
すべて断ち切る、捨ててしまうという行動もあります。
そうすることで記憶は確かに薄くなりますが、
ある時に、ふっと思い出した時の心の疼きは
強く突き上げるものがありますし、忘れたことに
対する自戒の念も出てきます、行きつ戻りつ忘れる
こともありますが、大きい犬はいつもここに心を縛り付ける。
人間の特性に物を忘れるということがあるそうですが、
思い出すという特性もあると思います。
何を思い出したかが重要ではなく、
何故忘れていたということが、自分を責めるように思います。
忘れて雑事に呆けていた自分を責める、その時は懸命に生きていたという
事実など断じて認めない、そんな自分と対峙することがあります。
もしかするとそういう気持ちは私だけのものかもしれませんが
人の心の中を覗くことはできませんので、一般論のように
言ってしまいました、私が間違っていたらゴメンナサイです。
年が替わって辛いことや悲しいことを忘れられたらと思いますが、
それほど人間単純じゃありません。
犬小屋を壊したのはお前の権利やけど、ずっと俺のことを
覚えている義務からは解放されないことを心に刻んでおいてくれ。
大きい犬が話せたらそういうかもしれません。
長年使って少し傾いていた大きい犬の小屋を
壊しました、長い釘で頑丈に作ったつもりでしたが
案外、簡単に小屋は板の積み重ねになりました。
小屋の後は周囲と色も変わっていて大きい犬の
毛も残っています、今頃どこにいるんやろ、
捜してもいるはずはありません、いるのは私の心の中。
人間にはずっと覚えていたいから思い出や物を
すべて断ち切る、捨ててしまうという行動もあります。
そうすることで記憶は確かに薄くなりますが、
ある時に、ふっと思い出した時の心の疼きは
強く突き上げるものがありますし、忘れたことに
対する自戒の念も出てきます、行きつ戻りつ忘れる
こともありますが、大きい犬はいつもここに心を縛り付ける。
人間の特性に物を忘れるということがあるそうですが、
思い出すという特性もあると思います。
何を思い出したかが重要ではなく、
何故忘れていたということが、自分を責めるように思います。
忘れて雑事に呆けていた自分を責める、その時は懸命に生きていたという
事実など断じて認めない、そんな自分と対峙することがあります。
もしかするとそういう気持ちは私だけのものかもしれませんが
人の心の中を覗くことはできませんので、一般論のように
言ってしまいました、私が間違っていたらゴメンナサイです。
年が替わって辛いことや悲しいことを忘れられたらと思いますが、
それほど人間単純じゃありません。
犬小屋を壊したのはお前の権利やけど、ずっと俺のことを
覚えている義務からは解放されないことを心に刻んでおいてくれ。
大きい犬が話せたらそういうかもしれません。
Posted by いとう茂 at
12:47
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2013年12月29日
0といえば・・・
0といえば「永遠の0」が大ヒットのようですが、
吉永小百合さん主演の「北の零年」がこの前、
BSで放送されていましたので録画しておきました。
かれこれ10年になるでしょうか映画館で観た映画です。
基本的には小百合さんのリピーターですので出演映画は複数回観ますが、
ご縁がなかったのか観る機会がありませんでした。
おそらくこの映画の前作の「千年の恋」が予想外だったのもあると思います。
その前の「長崎ぶらぶら節」がよかったせいもありますが・・・・。
その後の「母べえ」「もぼろしの邪馬台国」「おとうと」「北のカナリアたち」は
いつもの小百合さんでした。
話がそれました北の零年ですが、ストーリーを書くと長くなりますので
割愛しますが小百合さんの役は志乃という武士の妻、主人は渡辺謙、
北海道に渡り妻と娘を捨てる役で終盤に役人として再登場します。
豊川悦司は会津藩の生き残りでアイヌ人に扮して北海道に
開拓に来た小百合さん一行を助ける役で、最後には捕まってしまいます。
生死不明のまま5年が経った頃に渡辺謙が志乃が飼う馬を軍馬として
使うために志乃の前に現れます。
「あなたの手きれいですね 私の手 ごつごつして もう女の手ではない
あなたには恥ずかしくて見せられません」
共に開拓の作業をしている頃は渡辺謙もごつごつの手でした。
「馬を持っていきなさい、それがあなたの役目なんでしょう
お役目を果たして、あなたを待っているご家族のもとに帰りなさい
私と同じ思いを、もう誰にもさせたくない」
渡辺謙と別れを決心した志乃の言葉です。
豊川悦司をかばい手を撃たれたときに
「死なないで 生きて 生きてください」
逮捕される豊川にしっかりした口調で語ります。
その裏には、いつまでも帰りを待っています。
その心が見えるようです。
石橋蓮司扮する、開拓団の頭が志乃に
「何の役にも立たず申し訳ない」
それにを受けて志乃は噛みしめるように
「そんなことはありません、皆さんの心がこの北の地で
一つになった、我らの土地です、ここから始めたのです」
そして開拓団が荒れ地を耕すラストシーンでは
「生きている限り 夢見る力がある限り 何かが私たちを助けてくれる」
久しぶりに見ましたが初回より感動するものがありました。
小百合さんのファンだから仕方ないのですが・・・・・。
新年まで3日あるのに、メデタイ人間です。
0からのスタートならまだいかもしれません、人生の中では
マイナスからのスタートが多くあるように思います。
借金の返済も就職先がないのも正規、非正規の社員たちの人生も
考えようによってはマイナスからです。
ただ、いつも基準は自分でも比較している他人がいるからで、
比較さえしなければこんなものとひたむきに生きられるのでしょうが、
比較するのが人間の悲しい性であり比較するから人間なのかもしれません。
吉永小百合さん主演の「北の零年」がこの前、
BSで放送されていましたので録画しておきました。
かれこれ10年になるでしょうか映画館で観た映画です。
基本的には小百合さんのリピーターですので出演映画は複数回観ますが、
ご縁がなかったのか観る機会がありませんでした。
おそらくこの映画の前作の「千年の恋」が予想外だったのもあると思います。
その前の「長崎ぶらぶら節」がよかったせいもありますが・・・・。
その後の「母べえ」「もぼろしの邪馬台国」「おとうと」「北のカナリアたち」は
いつもの小百合さんでした。
話がそれました北の零年ですが、ストーリーを書くと長くなりますので
割愛しますが小百合さんの役は志乃という武士の妻、主人は渡辺謙、
北海道に渡り妻と娘を捨てる役で終盤に役人として再登場します。
豊川悦司は会津藩の生き残りでアイヌ人に扮して北海道に
開拓に来た小百合さん一行を助ける役で、最後には捕まってしまいます。
生死不明のまま5年が経った頃に渡辺謙が志乃が飼う馬を軍馬として
使うために志乃の前に現れます。
「あなたの手きれいですね 私の手 ごつごつして もう女の手ではない
あなたには恥ずかしくて見せられません」
共に開拓の作業をしている頃は渡辺謙もごつごつの手でした。
「馬を持っていきなさい、それがあなたの役目なんでしょう
お役目を果たして、あなたを待っているご家族のもとに帰りなさい
私と同じ思いを、もう誰にもさせたくない」
渡辺謙と別れを決心した志乃の言葉です。
豊川悦司をかばい手を撃たれたときに
「死なないで 生きて 生きてください」
逮捕される豊川にしっかりした口調で語ります。
その裏には、いつまでも帰りを待っています。
その心が見えるようです。
石橋蓮司扮する、開拓団の頭が志乃に
「何の役にも立たず申し訳ない」
それにを受けて志乃は噛みしめるように
「そんなことはありません、皆さんの心がこの北の地で
一つになった、我らの土地です、ここから始めたのです」
そして開拓団が荒れ地を耕すラストシーンでは
「生きている限り 夢見る力がある限り 何かが私たちを助けてくれる」
久しぶりに見ましたが初回より感動するものがありました。
小百合さんのファンだから仕方ないのですが・・・・・。
新年まで3日あるのに、メデタイ人間です。
0からのスタートならまだいかもしれません、人生の中では
マイナスからのスタートが多くあるように思います。
借金の返済も就職先がないのも正規、非正規の社員たちの人生も
考えようによってはマイナスからです。
ただ、いつも基準は自分でも比較している他人がいるからで、
比較さえしなければこんなものとひたむきに生きられるのでしょうが、
比較するのが人間の悲しい性であり比較するから人間なのかもしれません。
Posted by いとう茂 at
13:40
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2013年12月28日
私の思い2013
滋賀県第16回中学生広場「私の思い2013」の
意見文集が議会のサロンにありました。
読んでいて中学生の視点や気づきに感心しました。
紹介するのはほんの一部ですが関心のある方は
ネットでご覧ください。
最優秀賞に選ばれた草津市の中学生と優秀賞の河瀬中学校の
二人の女子中学生の作品を少し長くなりますが紹介します。
「みお」を通して
「いじめで自殺、またか。バカじゃないの。」「死ぬくらいの勇
気があるのなら、一度でも刃向かえばいいのに。」これは、いじめ
っ子のみおのセリフです。
以前からいじめはだめだと分かっていました。でも『少しくら
いなら我慢できるだろう』と、私も心のどこかで思っていました。
私は所属している生徒会で劇をすることになりました。牛田麻
希著作「問題のない私たち」といういじめを題材にした小説をも
とにつくられた劇でした。私は主役のみおをやらせてもらえるこ
とになりました。みおは、クラスを牛耳るいじめの主犯格で、ク
ラスメイトのまりあをいじめていました。しかし、転校生のまき
に権力を奪われ逆にいじめられる、という役でした。
『セリフも多いし、やりがいがありそうやし、目立てるしいい
な。いじめられるのはちょっとむかつくやろうけど、所詮は劇や
しな。』でも、このような私の軽い想いは、練習を重ねるにつれて
どんどんくずれていきました。
もうすぐいじめられる場面になる、というとき、すごく気持ち
が重くなりました。舞台袖から舞台に出るのにとても勇気がいり
ました。私をいじめている人に声をかけることが、傍観者と目を
あわせることが、とてもこわく、そして辛かったです。
もちろん演技だということは分かっていました。それでも、辛
かったのです。『うそでもこんなに辛いんか。やったら、これがも
し、ほんまやったら…?』考えただけでゾッとしました。『こんな
に辛いことが現実であるんか。こんなに辛い思いをしている人が
いるんか…。』
この時初めて私は、今まで自分がどれほどいじめを他人事とし
てとらえていたかということに気がつきました。
いじめの辛さに気づいたとき、私は自分に腹が立ちました。助
けを求めることもできず、それでも精一杯頑張って、でもだめで、
死ぬことしかできなかった人を私は『どうしてそこまでするの?』
と思っていたのですから。
いじめというものは、小さなものなら私の身近なところにもあ
ります。無視をしたり、仲間はずれをしたり。また逆に、されて
しまったり。いじめがこれほど問題になっていて、みんないじめ
はだめだと知っているのに、まだいじめが起こるのはなぜでしょ
うか。それは、今までの私のようにいじめを他人事として捉えて
いる人が多いからだと思います。自分がやっているのはいじめじ
ゃない。そう思っている人が多いのです。だから、先生や親、大
人に言われてもピンとこず、エスカレートしてしまって、大変な
ことになってしまうのではないでしょうか。
みおは自分がいじめていたまりあに助けられ、いじめられない
ようになります。しかし、今度はかつての友達がいじめられてい
ても見て見ぬふりをするようになってしまいます。でも、それで
はだめだと立ち上がります。その時、みおは言いました。「いじめ
を一番止められる可能性があるのは、先生や親、大人じゃなくて
私たち、いじめを見て見ぬふりをしている人たちなんじゃないか
な。」と。みおのこのセリフのように大人に頼ってばかりいないで、
自分たちから声をかけなければいけないと思います。
「少ししかない可能性を実行すれば成功するかもしれない。逆
に、大きな可能性があっても実行に移さなければ意味がない。」と。
私がいじめのつらさを周りに伝えていくことはとても小さなこ
とかもしれません。でもその一言で誰かの、何かが、どこかで変
わるかもしれません。だから私は諦めずに言い続けたいです。そ
して自分から、自分の周りから、いじめに繋がるようなことはし
たくないです。私が自分のことを好きになるためにも。
劇の最後、いじめをするのでもなく、じっと耐えているのでも
なく、見て見ぬふりをするのでもなく、いじめをやめさせようと
立ち上がり、勇気を出して「ねぇ、やめなよ!」と言ったみおの
ように。
寺村石油店の心
去年の冬、父が営んでいたガソリンスタンドが閉店した。祖父
が創業し、父が後を継いで親子二代でやってきた店だった。「い
らっしゃいませ。」と大きな声で言いながら表へ走って行く姿は、
今でも鮮明に覚えている。私も真似をして「いらっしゃいませ。」
と言うと、那歩ちゃんは看板娘やなあと言われて嬉しかった。毎
日、接客、配達、集金などたくさんの業務を家族で協力してこな
していた。だが、消防法の改正で続けていくにはとてもお金がか
かってしまうことや、もう八十の祖母や祖父にゆっくりしてほし
いという父の願いから年末に閉店することになったのだ。
閉店することを聞かされたときは、驚いたが理由を聞いて納得
した。そこまで動揺もしなかったし、閉店後の生活がどのように
変わるんだろうとか想像していただけだった。家族も思ったより
普通にしていたし、しょうがないからと笑っていた。
年末に近づくにつれ、店はどんどん忙しくなっていった。父は
百軒以上のある常連さんのお宅を一軒一軒回ってあいさつをして
いた。今まで注文を承っていたお客さんが、これから注文を頼む
ガソリンスタンドを探したりもしていて、お客さんひとりひとり
を大切にしているのが私にもわかった。その頃祖父はもうあまり
店にでてこなくなっていたが、祖父に対する感謝の気持ちを綴っ
た手紙や電話が後を絶たなかった。父も祖父も疲れているはずな
のに、最後の仕事と言わんばかりに気張って働いていて、体が大
丈夫なんだろうかと心配になるくらいだった。
ある日家に帰ってみると、店の事務所いっぱいにたくさんの花
束がおかれていて、びっくりした。祖母は「お客さんから頂いた
んやで。」と笑っていた。「寺村石油様」と書かれたたくさんの花
束を見て、私はなぜか涙がでそうになった。
その日の夜、たまたま祖母が昔の写真を見て泣いているのを見
つけた。「大丈夫?」と聞くと、祖母は「ちょっと泣けてきたわ。」
と言った。
「お父さんは悩んで悩み抜かったけれど、しょうがない、しょう
がないから。」
祖母は自分に言い聞かせているようだった。祖母は私が生まれ
る前からずっと寺村石油店を支えてきた。父も祖父も、みんなで
守ってきた店だ。私が育った場所だ。このときになって、ああな
くなってしまうんだと肌で感じて、なんともいえない寂しさに襲
われた。
それからすぐに地下からタンクを取り出す工事が始まって、店
はいよいよ忙しくなった。祖母も祖父も、店の写真を眺めては涙
ぐんでいたが、それは寂しそうでもありまた清々しくも見えた。
あいさつをすること。敬語を使うこと。ひとりひとりを大切に
すること。感謝の気持ちを忘れないこと。この店で私が家族から
学んだことは、一生の宝物だ。店がなくなっても、きっと私の中
にはいつまでも在り続ける。私は寺村石油が大好きだ。
父は、「将来のことは心配するな。好きなように生きたらいい。
この土地を守ろうとか、重くしょいこむ必要ないぞ。」と言った
が、私はこの先どんなことがあっても、この場所を手放すことは
ないのだろうなと思う。祖父が始めて、祖母が支えて、父が守っ
た寺村石油店の心 を、私は一生受け継いでいく。それは決
して重荷などではなくて、とても誇らしいものだ。人として
大切なものを教えてくれた寺村石油店に、祖父に、祖母に、
父に、今改めてありがとう。
意見文集が議会のサロンにありました。
読んでいて中学生の視点や気づきに感心しました。
紹介するのはほんの一部ですが関心のある方は
ネットでご覧ください。
最優秀賞に選ばれた草津市の中学生と優秀賞の河瀬中学校の
二人の女子中学生の作品を少し長くなりますが紹介します。
「みお」を通して
「いじめで自殺、またか。バカじゃないの。」「死ぬくらいの勇
気があるのなら、一度でも刃向かえばいいのに。」これは、いじめ
っ子のみおのセリフです。
以前からいじめはだめだと分かっていました。でも『少しくら
いなら我慢できるだろう』と、私も心のどこかで思っていました。
私は所属している生徒会で劇をすることになりました。牛田麻
希著作「問題のない私たち」といういじめを題材にした小説をも
とにつくられた劇でした。私は主役のみおをやらせてもらえるこ
とになりました。みおは、クラスを牛耳るいじめの主犯格で、ク
ラスメイトのまりあをいじめていました。しかし、転校生のまき
に権力を奪われ逆にいじめられる、という役でした。
『セリフも多いし、やりがいがありそうやし、目立てるしいい
な。いじめられるのはちょっとむかつくやろうけど、所詮は劇や
しな。』でも、このような私の軽い想いは、練習を重ねるにつれて
どんどんくずれていきました。
もうすぐいじめられる場面になる、というとき、すごく気持ち
が重くなりました。舞台袖から舞台に出るのにとても勇気がいり
ました。私をいじめている人に声をかけることが、傍観者と目を
あわせることが、とてもこわく、そして辛かったです。
もちろん演技だということは分かっていました。それでも、辛
かったのです。『うそでもこんなに辛いんか。やったら、これがも
し、ほんまやったら…?』考えただけでゾッとしました。『こんな
に辛いことが現実であるんか。こんなに辛い思いをしている人が
いるんか…。』
この時初めて私は、今まで自分がどれほどいじめを他人事とし
てとらえていたかということに気がつきました。
いじめの辛さに気づいたとき、私は自分に腹が立ちました。助
けを求めることもできず、それでも精一杯頑張って、でもだめで、
死ぬことしかできなかった人を私は『どうしてそこまでするの?』
と思っていたのですから。
いじめというものは、小さなものなら私の身近なところにもあ
ります。無視をしたり、仲間はずれをしたり。また逆に、されて
しまったり。いじめがこれほど問題になっていて、みんないじめ
はだめだと知っているのに、まだいじめが起こるのはなぜでしょ
うか。それは、今までの私のようにいじめを他人事として捉えて
いる人が多いからだと思います。自分がやっているのはいじめじ
ゃない。そう思っている人が多いのです。だから、先生や親、大
人に言われてもピンとこず、エスカレートしてしまって、大変な
ことになってしまうのではないでしょうか。
みおは自分がいじめていたまりあに助けられ、いじめられない
ようになります。しかし、今度はかつての友達がいじめられてい
ても見て見ぬふりをするようになってしまいます。でも、それで
はだめだと立ち上がります。その時、みおは言いました。「いじめ
を一番止められる可能性があるのは、先生や親、大人じゃなくて
私たち、いじめを見て見ぬふりをしている人たちなんじゃないか
な。」と。みおのこのセリフのように大人に頼ってばかりいないで、
自分たちから声をかけなければいけないと思います。
「少ししかない可能性を実行すれば成功するかもしれない。逆
に、大きな可能性があっても実行に移さなければ意味がない。」と。
私がいじめのつらさを周りに伝えていくことはとても小さなこ
とかもしれません。でもその一言で誰かの、何かが、どこかで変
わるかもしれません。だから私は諦めずに言い続けたいです。そ
して自分から、自分の周りから、いじめに繋がるようなことはし
たくないです。私が自分のことを好きになるためにも。
劇の最後、いじめをするのでもなく、じっと耐えているのでも
なく、見て見ぬふりをするのでもなく、いじめをやめさせようと
立ち上がり、勇気を出して「ねぇ、やめなよ!」と言ったみおの
ように。
寺村石油店の心
去年の冬、父が営んでいたガソリンスタンドが閉店した。祖父
が創業し、父が後を継いで親子二代でやってきた店だった。「い
らっしゃいませ。」と大きな声で言いながら表へ走って行く姿は、
今でも鮮明に覚えている。私も真似をして「いらっしゃいませ。」
と言うと、那歩ちゃんは看板娘やなあと言われて嬉しかった。毎
日、接客、配達、集金などたくさんの業務を家族で協力してこな
していた。だが、消防法の改正で続けていくにはとてもお金がか
かってしまうことや、もう八十の祖母や祖父にゆっくりしてほし
いという父の願いから年末に閉店することになったのだ。
閉店することを聞かされたときは、驚いたが理由を聞いて納得
した。そこまで動揺もしなかったし、閉店後の生活がどのように
変わるんだろうとか想像していただけだった。家族も思ったより
普通にしていたし、しょうがないからと笑っていた。
年末に近づくにつれ、店はどんどん忙しくなっていった。父は
百軒以上のある常連さんのお宅を一軒一軒回ってあいさつをして
いた。今まで注文を承っていたお客さんが、これから注文を頼む
ガソリンスタンドを探したりもしていて、お客さんひとりひとり
を大切にしているのが私にもわかった。その頃祖父はもうあまり
店にでてこなくなっていたが、祖父に対する感謝の気持ちを綴っ
た手紙や電話が後を絶たなかった。父も祖父も疲れているはずな
のに、最後の仕事と言わんばかりに気張って働いていて、体が大
丈夫なんだろうかと心配になるくらいだった。
ある日家に帰ってみると、店の事務所いっぱいにたくさんの花
束がおかれていて、びっくりした。祖母は「お客さんから頂いた
んやで。」と笑っていた。「寺村石油様」と書かれたたくさんの花
束を見て、私はなぜか涙がでそうになった。
その日の夜、たまたま祖母が昔の写真を見て泣いているのを見
つけた。「大丈夫?」と聞くと、祖母は「ちょっと泣けてきたわ。」
と言った。
「お父さんは悩んで悩み抜かったけれど、しょうがない、しょう
がないから。」
祖母は自分に言い聞かせているようだった。祖母は私が生まれ
る前からずっと寺村石油店を支えてきた。父も祖父も、みんなで
守ってきた店だ。私が育った場所だ。このときになって、ああな
くなってしまうんだと肌で感じて、なんともいえない寂しさに襲
われた。
それからすぐに地下からタンクを取り出す工事が始まって、店
はいよいよ忙しくなった。祖母も祖父も、店の写真を眺めては涙
ぐんでいたが、それは寂しそうでもありまた清々しくも見えた。
あいさつをすること。敬語を使うこと。ひとりひとりを大切に
すること。感謝の気持ちを忘れないこと。この店で私が家族から
学んだことは、一生の宝物だ。店がなくなっても、きっと私の中
にはいつまでも在り続ける。私は寺村石油が大好きだ。
父は、「将来のことは心配するな。好きなように生きたらいい。
この土地を守ろうとか、重くしょいこむ必要ないぞ。」と言った
が、私はこの先どんなことがあっても、この場所を手放すことは
ないのだろうなと思う。祖父が始めて、祖母が支えて、父が守っ
た寺村石油店の心 を、私は一生受け継いでいく。それは決
して重荷などではなくて、とても誇らしいものだ。人として
大切なものを教えてくれた寺村石油店に、祖父に、祖母に、
父に、今改めてありがとう。
Posted by いとう茂 at
12:25
│Comments(0)
2013年12月27日
御用納め
今年の御用納めは12月27日、例年より1日早く
仕事始めは1月6日、例年より2日遅い。
9連休が明日から始まります。
近江大橋も無料になり行きかう車も増加しています。
お正月と言っても元旦や2日から営業するスーパーもあり、
買いだめをしなくてもよく、いつの頃からかおせち料理は
どこかで買うものになり、それぞれの家庭の味が消えていくようで・・・・。
比叡山に登ると大津の街の灯りが見えます。
小さな星をちりばめたように・・・・・。
その灯りの中にはそれぞれ違う世界があります。
笑い声が絶えない世界、赤ちゃんが主役の世界、
難しい顔をしてオヤジが新聞を読む世界、
若い二人が囁く世界、何とか今年も越せそうと安堵する世界・・・・。
いくつもドラマがあり泣き笑いが繰り広げられています。
そして、そのドラマは誰にも代わってもらえない、
筋書き通りにいかない、というより筋書きのない
自分だけのオリジナルです。
今年も今日を入れてあと5日、1年間の心の垢と家の
大掃除もしなくてはいけません。
いいことも悪いこともすべて来年の糧にできたらと願います。
今夜は消防団の年末特別警戒の巡視があります。
大津市を4つに分けて執行部と正副議長、総務常任委員会の
正副委員長らが各分団の激励に訪れます。
8時過ぎに出発して各分団を回り終わる頃には日付が変わっています。
膳所分団には11時前の予定です、例年、自治連合会、
社会福祉協議会をはじめ各種団体と議員も参加します。
見えない所で市民の財産と生命を守ってくれる人たちが
いることを確認するたびに日本の国に生まれてよかったと実感します。
御用納めは今日ですが年末年始のあいさつも残っています。
2日には孫と新春マラソンで3キロを走る予定です。
孫とお酒が飲める日はまだまだ先ですが、一緒に走ることで
孫の心に何かが残ればジイジの存在した責任も少しは果たせそうな気がします。
いつまで走れるか分かりませんが普段は何もしていないけれど、
孫と走らなければというプレッシャーが日常生活で節制を
多少なりとも心がけるのは確かで、自己満足とジジ馬鹿を
演じる事に歓びもあります。
仕事始めは1月6日、例年より2日遅い。
9連休が明日から始まります。
近江大橋も無料になり行きかう車も増加しています。
お正月と言っても元旦や2日から営業するスーパーもあり、
買いだめをしなくてもよく、いつの頃からかおせち料理は
どこかで買うものになり、それぞれの家庭の味が消えていくようで・・・・。
比叡山に登ると大津の街の灯りが見えます。
小さな星をちりばめたように・・・・・。
その灯りの中にはそれぞれ違う世界があります。
笑い声が絶えない世界、赤ちゃんが主役の世界、
難しい顔をしてオヤジが新聞を読む世界、
若い二人が囁く世界、何とか今年も越せそうと安堵する世界・・・・。
いくつもドラマがあり泣き笑いが繰り広げられています。
そして、そのドラマは誰にも代わってもらえない、
筋書き通りにいかない、というより筋書きのない
自分だけのオリジナルです。
今年も今日を入れてあと5日、1年間の心の垢と家の
大掃除もしなくてはいけません。
いいことも悪いこともすべて来年の糧にできたらと願います。
今夜は消防団の年末特別警戒の巡視があります。
大津市を4つに分けて執行部と正副議長、総務常任委員会の
正副委員長らが各分団の激励に訪れます。
8時過ぎに出発して各分団を回り終わる頃には日付が変わっています。
膳所分団には11時前の予定です、例年、自治連合会、
社会福祉協議会をはじめ各種団体と議員も参加します。
見えない所で市民の財産と生命を守ってくれる人たちが
いることを確認するたびに日本の国に生まれてよかったと実感します。
御用納めは今日ですが年末年始のあいさつも残っています。
2日には孫と新春マラソンで3キロを走る予定です。
孫とお酒が飲める日はまだまだ先ですが、一緒に走ることで
孫の心に何かが残ればジイジの存在した責任も少しは果たせそうな気がします。
いつまで走れるか分かりませんが普段は何もしていないけれど、
孫と走らなければというプレッシャーが日常生活で節制を
多少なりとも心がけるのは確かで、自己満足とジジ馬鹿を
演じる事に歓びもあります。
Posted by いとう茂 at
12:50
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