2024年03月31日

太神楽

太神楽とは、ネットで調べると、獅子を舞わせて悪魔払い,火伏せなどを祈祷する神楽の一種。「大神楽」「代神楽」とも書く。
2人立ちの獅子であるが,1人立ちで舞うことも多く,祈祷のほかに,種々の曲芸や狂言風の掛合芸を次第に演じるようになり人気を呼んだ。
伊勢と尾張には神楽組があり,初春になると諸国に巡回に出た。
その影響を受けて,各地でもこの神楽を演じるようになったが,その一部は大道芸となり,余技であった曲芸のほうに力を注ぎ,江戸の太神楽のように寄席芸となった。
とありました。
太神楽というより、獅子舞いという方が身近な感じがします。
子どもの頃には、この獅子舞いを追いかけて結構遠くまで行きました。
ご祝儀かお礼か分かりませんが、多く出す家の前では獅子の踊りだけでなく、曲芸や笛、太鼓の鳴り物も長く行われ、それが楽しみで走ってついて行きました。
木曜日に我が家にも獅子舞いが来ました、毎年決まった額を渡しているようですが、家の前で獅子舞いと鳴り物、祝詞の奏上で約3分だったと思います。
アルバイトかと思う若い青年も2・3名いて、慣れないのか、何をしていいのか分からない様子でした。
時代の流れとともに獅子舞いの光景も変わっていきます、ついて回る子どももいませんし、歩いている人も足を止めることもなく、奇異なものを見る目つきだったように思います。
昭和生まれの人が少なくなれば、おそらく1軒ずつ回る風習もなくなるのでしょう。
遠い昭和の時代を思い出させてくれるものが消えていき、そのうち昭和そのものも消えていくような寂しさを感じました。
  
Posted by いとう茂 at 07:54Comments(0)

2024年03月30日

家族会

3月のひきこもり・不登校家族会えこちゃんステーションが終わりました。
今月は5組の親が参加しました、最近は参加者が少し減っています。
減ることはいいこと、毎日の苦労が減っているのだと考えています。
家族会で話をした後の心の軽さを知っていますから、家で辛い日々を送っている親なら、何をおいても参加するはずです。
休むということは気持ちにゆとりがあって、他の事に目が向いている証拠です。
それはそれで喜ばしいことですし、家族会に参加している人が話をする時間が増えますので、えこーとしては歓迎です。
毎回、4時間の予定ですが、それでも時間が足りない状態で、参加者の心の中に溜まっているものの多さがうかがえます。
家族会の会計はえこーとは別にしています、参加者は毎回300円の負担で、お茶やコーヒーの購入に充てています。
毎回黒字ですので残金が増えてきます。
それをプールしておいて、少しリッチなお弁当の昼食会を開催します。
毎年は無理ですが、息の長い付き合いの家族会ですから、2年に1度でも大丈夫です。
2年前は焼肉弁当でした、今回は6月か7月の予定で、お弁当の内容については宿題にして4月に決定です。
家族会を立ち上げてから、5月で4年になります。
しかし、4年の間に新たに発足した家族会は大津市にはありません。行政の支援機関も、そのことは承知していますので時々、家族会に参加したいという親がいるが受け入れてもらえるか、という打診があります。
えこーは拒みませんし、もちろん参加している親の方も同じ苦しみを持っていますので、どうぞどうぞです。
大津市に家族会があと3つあれば・・・いつもそんなことを考えます。
南北に細長い大津市ですので、近くにあれば行きたいという親も大勢いると思います。
まだまだ社会では認知されていない家族会ですが、こうした地味な活動を細くても長く続けられたらと願っています。
  
Posted by いとう茂 at 10:44Comments(0)

2024年03月29日

和太鼓

桜まつり前の最後の練習が終わりました。
天気予報では31日は天気ですが、肝心の桜はまだ開いていません。
昨年は1週間遅く開催して・・・葉桜。
その轍を踏まないようにと、今年は1週間前倒し・・・早すぎたぁ。
天候だけでなく桜の状態も考えて予定を組みますが、自然相手のイベントの難しさです。
桜が咲いていようとなかろうと、ステージの発表は天気ならあります。
最後の練習は時間を計測して行いました。毎年ステージのトリは石鹿太鼓ですので、ほとんど時間に制限はありませんが、メンバーに緊張感を持ってもらうためです。
ないものねだりをしているのか、すっきりと揃った演奏にはなりませんでした。
メンバーのキャリアも違いますし、昔に比べると平均年齢も20歳以上上がっています。
このメンバーにピリッとした演奏を、と望んでも無理なことは承知しているつもりですが、やはり人前での演奏ですので聞く人には満足して帰ってもらいたい。
そんな気持ちがありますし、私自身も太鼓を叩ける限界が近くなっています、あと2・3回のイベントを最後と考えていますので、満足のいく演奏をついつい求めてしまいます。
人は大切なものがみな違う、価値観の多様化。
そう言えば聞こえはいいのですが、やはり真剣さが足りないと感じてしまいます。
本番前でも練習を休む、本番の日も出演ギリギリの時間しか来ることが出ない、そんな人たちと一緒に太鼓を叩きたくない・・・・。
これも本音かもしれません。
  
Posted by いとう茂 at 15:30Comments(0)

2024年03月28日

「原爆の図」より⑪

丸木位里さんと丸木俊さんの作品の説明文の紹介の続きです
とうろう流し 十二部
八月六日、広島の七つの川はとうろうであふれます。
父の、母の、妹の名をしるして流すのです。
流れ終わらぬうちに潮は逆流し、あげ潮にのって、とうろうはもどってきます。
火はすでに消え、折り重なって暗い流れにただよいます。
それは三十八年前、屍に満ちて流れた川と同じ川なのです。

米兵捕虜の死 第十三部
あなたの落とした原爆でわたしたち日本人は三十数万死にました。
けれどあなたの原爆であなたのお国の若者も二十三人死んだのです。
ひろしまに原爆が投下される前に日本爆撃に来たB29から落下傘で降下した米兵を捕虜にしてあった。
女の捕虜もいたという。
米兵捕虜の最後の姿は、どんな着物だっただろう、どんな靴であっただろう。
ひろしまを訪ねて驚きました。
爆心地近くの地下壕にいれられていた米兵捕虜たちはやがて死ぬかもしれません。
いや、或いは生きたかもしれないのです。
けれどその前に日本人が虐殺しているということを知りました。
わたしたちは震えながら米兵捕虜の死を描きました。
  
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2024年03月27日

ケース会議

25日はケース会議でした。
各支援機関が集まって、当事者の情報を共有し今後の支援について話し合う場です。
これまで何回もケース会議に参加してきましたが、今回ほど支援機関が多かったことはありません。
大津市だけでも5つの機関がありましたし、福祉施設を入れて全部で10の機関が関わっています。
これでもまだ抜けていると感じています。
ひきこもりかと言えば、その定義からは外れていると思います。
当事者が支援機関に出向くという珍しいケースで、関係のない機関にも行くためにケース会議の参加者が増えたのですが、多い時には1日に5回同じ支援機関に行くということもあります。
支援の方向性は決まっていますが、当事者が話を拒み続けますので止まったままです。
それをどうすれば進むかですが、明確な方法はありません。
親にも途中から参加してもらいましたが、こちらも期待できず前には進みませんでした。
情報共有はできたものの、この先支援機関が多いだけに一つの支援機関の責任が軽くなります。
「別にうちがしなくてもいいだろう、どこか違う機関が面倒を見てくれる」そんな空気が生まれそうな気もしますし、異動になれば関わらずに済む、そんな考えも出てきそうです。
行政の支援機関はずっとありますが、中の職員は定期的に異動があります、人が変われば対応も違ってきます。
支援は最後は人の問題だと考えています、冷たいとは言いませんが担当する人によって温度差があるのは事実です。
えこーは相談窓口です、アドバイスはできても大きな権限はありません、支援についても言葉や寄り添いの支援はできますが、生活の助けになる実用的な制度は持っていません。
それらは、行政の力に頼るしかありません。
今回のケース会議のもう一つの目的が、手を離さずに今後も支援を継続して行きましょう、そこにあればと願っています。
  
Posted by いとう茂 at 16:39Comments(0)