2016年12月31日

大晦日&どこで笑うか、何が面白いか④

今日で2016年が終わります。
振り返ってどんな1年でしたか。
私は5月に監査に就任して公式な会議が増えました。
通算32日、監査会が終わってからも読む資料がありますので、
実質はそれ以上になります、これまでの議員生活よりも
多忙ですが身につく知識は比べ物になりません。
その分、問題もあります地域にいない、そのことが人の口に
上ります、あいつはちっとも地元におらん、別にサボっている
わけではありません。
懸命に与えられた責任を果たそうとしているだけです、開き直る
気持ちはありませんが、これまでの生き方を変える気はありません、
というよりこれしかできない自分がいます。
与えられた場所で仕事をする、それを是とするか非とするかは、
私の力の及ばぬところかもしれません。

夢は、ホッとするおっちゃんと四国遍路です。
毎日歩いて歩いて足の豆をつぶして札所で不乱にお願いと懺悔、
そして、おいしく食事をいただき熟睡。
何も、野心はなく生きている自分、歩いている自分、何で生きて
るんやろ、何で歩いてるんやろ。
そんな自問を繰り返して前へ前へ、疲れて眠る、それの繰り返し、
何が見えるか、何を感じるか、そんなことは予想もつきませんし、
期待もしていません。

棺桶の蓋が閉じられるときに、言葉ではなくフッーと吐き出す息と
似合わない微笑で締めくくれたらそう願っています。

今年の終わりにどうぞ笑ってください。
笑いはいろんなものを中和しますし、案外、笑うことが苦手な日本人です。

「負け惜しみ」

小助の家に、友だちの平六がやって来ました。
「おお寒いな。こう寒くっちゃあ、やりきれねえな」
「本当にな、寒くてかなわねぇ。どうだい、今夜あたりふぐでも食いに行くか」
小助が誘うと、平六は顔をしかめて言いました。
「いやいや、ふぐはやめよう」
「なんだお前、ふぐにあたるのが、そんなに怖いのか?」
「いや、怖くはない。ただ、魚が嫌いなのさ。
その代わり四本足なら、何でも食っちまうぜ。
犬でも、ネコでも、キツネでも、タヌキでも、ウマでも、ウシでも、
それにサルでも、四本足なら何でもござれだ」
すると小助が、意地悪く言いました。
「ほほう。四本足なら何でもか。・・・それなら、
このこたつも四本足だ、これも食うのか?」
「ああ、こいつも食って食えない事はないが、
しかしこたつはあたる物だろう。あたる物と知っては、どうも食いにくい」

「話半分」

京都へ商売に行く江戸の男に、物知りの男が注意をしました。
「京へ商いに行くそうだが、くれぐれも油断するなよ。
京の商人はみんな曲者で、とんでもない値段をふっかけてくるからな。
だから京では、何でも値切ったほうが良いぞ。
例えば二両の値段なら、本当は一両の品だと思え」
「おお、では、その通りにしよう」
男は喜んで、京都へ出かけて行きました。
さて京都に着くと、やっぱり教えられた通り、
何でもかんでも、とんでもなく高い値段です。
「なるほど、言われた通り、ここは恐ろしいところだ。
でもこれはみな、半分ずつに聞いておけばよいのだな」
それからしばらく立つと、男にも京都の友だちが出来ました。
「お前さんの名前は、何と申す」
江戸の男が聞くと、京の男は、
「六兵衛と、言いまする」
それを聞いた男は、こう思いました。
(さてさて、京の人は、かけ値をするから、これはさしづめ三兵衛だろう)
「して、お家は、どのぐらいの広さでございます?」
「五間の間口の家でございます」
(よしよし、ならば本当は、二間半の間口の家だな)
「して、何人で暮らしておいでですかな?」
「ただいまは、わたし一人でございます」
(よしよし、これも半分か。・・・おや?)
江戸の男は、京の男をじろじろながめまわしました。
(はて、どう見ても半分には見えぬが)
江戸の男は、思わず首を傾げて尋ねました。
「して、もう半分は、どなたでございます?」


「水、お望み次第」

江戸時代には、色々と変わった商売がありましたが、
そんな江戸の人たちも首を傾げる様な看板が、ある店にかけてありました。
《水、お望み次第》
それを見た一人の男が、店の中に入っていきました。
「ご亭主、『水お望み次第』とあるが、それはどう言う意味だ?」
「はい。甘い水でも、辛い水でも、お客さまのご注文の水を、何でもご用意いたします」
「何でも? 本当に何でも出来るのか?」
「はい。さようで」
すると男は、意地悪そうに言いました。
「では、丸い水が欲しい。丸い水を持ってきてくれ」
「はい、すぐに」
やがて亭主は、きれいな茶わんに、水をいっぱいくんで持って来ました。
「これ亭主、これが丸い水か?」
「はい」
「これのどこが、丸いのだ?」
「はい、澄みきっております」
「何、何じゃと?」
「澄みきった水。すなわち、すみを切った、丸い水でございます」

「さぞおりこうで」

ある日の事、旦那が小僧に言いました。
「いいか、人と言う物は変わる物で、子どもの頃はりこう者でも、
大人になって馬鹿者になる奴がいる。
その反対に、子どもの頃はお前の様な大馬鹿者でも、
大人になるとりこう者になったりするんだ。
だからお前もあきらめず、りこう者の大人になるんだぞ」
すると小僧は、感心した様にこう言いました。
「なるほど。それなら旦那さまが小さい頃は、
さぞかしりこうなお子でございましたのでしょうね」
「・・・・・・」

「女中の脈」

江戸のあるお店で働いている女中は、とても控えめで、
何かにつけて謙遜するのでした。

ある日の事、奥さんが風邪を引いたので、かかりつけの
お医者さまに来てもらいました。
その時に奥さんは、ついでに女中を呼んで言いました。
「確かお前も、気分が悪いと言っていたわね。ついでだから、
お医者さまに脈をみてもらいなさいな」
すると女中は、慌てて言いました。
「いえいえ、めっそうもない。わたしの様な女に、
脈なんてたいそうなものがあるものですか」


  
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2016年12月30日

ネコのおけさ節

テレビは年末の特番ばかり、だからというわけでは
ないのですが、雑用があってテレビ桟敷に陣取る時間があまり
ありません。
番組の合間のCMを見ていての気づきは、出ている女優や
タレントからCMの商品等がイメージできるものは、最後に
女優やタレントのアップが出て次のCMに移りますが、
知名度がない女優やタレントで商品等がイメージできないものは、
最後まで商品等のお知らせか、顔が映っても小さくしか映りません。
当然と言えば当然なのですが、私たちの身の回りでも使えそうな
手法だと感じた次第です。


むかしむかし、佐渡島の海辺に、ネコ好きのおばあさんがいました。
若い頃から一人暮らしですが、いつも十数匹のネコを飼っています。
ところが年を取るにつれて貯金もなくなり、その日の食べる物にさえも
不自由するようになりました。
その為に、たくさん飼っていたネコたちも次々と逃げ出して、
ついには古くからいた三毛ネコ一匹しか残りませんでした。
おばあさんはこの三毛ネコを今まで以上に可愛がり、
自分が食べない日はあっても、ネコの食べ物だけは毎日用意しました。
しかし、いつしかその食べ物にも困るようになったので、
ある日おばあさんはネコに言いました。
「ごらんの通りの貧乏暮らしで、お前にエサをやれんようになってしまった。
だからといって家出をしたり、よその家に行って
食べ物を欲しがったりしないでおくれ。
お前は、わたしのたった一つの生きがいなのだから」
ところが次の日、そのネコも姿を消してしまいました。
(ああ、何て事だろう。あれほど可愛がっていたネコに見捨てられるなんて。
貧乏すると人ばかりか、ネコにまで嫌われてしまうのか)
おばあさんは、思わず涙をこぼしました。
誰もいない家の中でボンヤリと座っていたら、
突然、美しい娘が訪ねて来て言いました。
「おばあさん、わたしはおばあさんに可愛がってもらった三毛ネコです。
今まで、何のお役にも立ちませんでしたが、どうぞ恩返しをさせて下さい」
と、言うではありませんか。
おばあさんはビックリして娘を見ましたが、どこから見ても人間の姿で、
とてもネコが化けているとは思えません。
「お前、そんな姿になって、何をしようというのかい? 
わたしの事なら心配しなくても大丈夫だからね」
「いいえ、このままではおばあさんが可愛そうです。
何でも、江戸の方から芸者になる娘を探しに来ているという
噂を聞きました。どうか、江戸の男にわたしを見せて下さい。
きっと、たくさんのお金で買ってくれるでしょう」
娘に化けたネコが、あまりにも熱心に言うので、
「そこまで、わたしの事を心配してくれるとは・・・」
と、おばあさんはネコの申し出を受ける事にしました。
やがて、おばあさんの村へ江戸の男がやって来て、娘を見るなり、
「なんてきれいな娘だ。こりゃ間違いなく、江戸でも指折りの芸者になれるぞ」
と、言って、おばあさんにたくさんの金を渡して、娘を江戸へ連れて行きました。

それから何ヶ月かあと、江戸の深川の料理屋に、
おけさと名乗る芸者が現れました。
そのあでやかな美しさは、まるで名人が描いた絵から抜け出たようです。
しかも、おけさの歌う歌は江戸では珍しいもので、
人々からは『おけさ節』と呼ばれて、たちまち町中の評判になりました。
そんなおけさを一目見たいという客が増えて、
おけさのいる料理屋は毎晩大変な賑わいとなりました。

ある晩の事、その料理屋へ船乗りたちを引き連れた船頭がやって来て、
「金ならいくらでも出すから、おけさを呼んでくれ」
と、言うのです。
「お呼びいただいて、ありがとうございます」
おけさが部屋に行くと、部屋はたちまち花が咲いた様に華やかになり、
とても賑やかな酒盛りが始まりました。
やがて三味線が鳴り、おけさの歌う「おけさ節」が流れます。
「よよっ、いいぞ、いいぞ」
おけさ節に合わせて船乗りたちが踊り、踊っているうちに酒の酔いが回って、
一人、また一人と酔い潰れ、酒盛りが終わった時には、みんな大の字になっていました。
飲み過ぎた船頭は、はうようにして隣の部屋へ行き、布団の中へ潜り込みました。

さて、夜中にふと目を覚ました船頭の耳に、酒盛りをした部屋から、
何かを噛み砕く様な音が聞こえてきました。
(はて、何の音だろう?)
不思議に思った船頭が、しょうじのすきまからそっと中をのぞいてみると、
何と芸者姿の大きなネコがキバをむき、食べ残した魚の頭を
かじっているではありませんか。
その着物はどう見ても、おけさの着ていたものです。
ビックリした船頭は、あわてて床の中へ潜り込みました。
すると、それに気づいたおけさが船頭のそばへ来て、
「今見た事は、誰にも言わないで下さいね。もし人にしゃべったら、
ただではおきませんからね」
と、言ったのです。
「わ、わかった。誰にも言わない」
船頭は、ブルブルと震えながら答えました。

次の朝、船頭と船乗りたちは料理屋を出て浜に向かいました。
海は静かで空には雲一つなく、船旅には絶好の日よりです。
「それっ!」
船頭のかけ声とともに、船はゆっくりと動き始めました。
やがて船乗りたちが、一か所に集まってゆうべの話を始めます。
「いやあ、ゆうべは楽しかったな。それにしても、芸者のおけさのきれいな事」
「そうよ。さすがは江戸だ。おら、あんなにきれいで歌のうまい芸者は見た事がない」
そこへ船頭もやって来て、つい口を滑らせたのです。
「お前たち、あの芸者の正体を知っているのか?」
「正体だって?」
「実はな、あの芸者はネコが化けたものだ」
と、ゆうべの出来事を、詳しく話して聞かせました。
「まさかそんな。とても信じられない」
「まだ、酒に酔っているのと違うか?」
船乗りたちが首をかしげていると、今まで晴れていた空に突然黒雲がわき出し、
見る見るうちに船へと近づいてきます。
「大変だ、嵐が来るぞ!」
船乗りたちがそれぞれの持ち場へ行こうとした時、
黒雲の上から大きなネコが現れて、いきなり船頭を引きずり上げると、
そのまま雲の中へ消えてしまったのです。
同時に海は激しい嵐となり、船は木の葉のようにゆれて、
船乗りたちは生きた心地がしません。
「どうか、どうかお助けを。今の事は決してしゃべりませんから!」
船乗りたちが船にしがみつきながら必死で叫ぶと、やがて嵐が治まりました。
しかし船頭は空へ引きずりあげられたまま、二度と戻っては来なかったそうです。
  
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2016年12月29日

ライオンとキツネとシカ他

どこに行っても車の長い列が続いていました。
買い物でしょうか、暮れのご挨拶でしょうか、他府県ナンバーが
この時期は帰省で多くなりますので観光客と見分けがつきません。
食料品も急いで買わなくても年明け早々からスーパーは営業を
始めますし、出かける予定がないのにガソリンも別に満タンにしなくても
いいようなものですが、洗車とセットでスタンドも長い列です。
かく言う私もスタンドにも行ってきました、散髪にも行きました、
昔人間のでしょう、節目にはこうしないといけない、そんな
固定観念があるようです。

固定観念の是非については語る気はありません、不易と流行、
消えるものは消えますし残るものは残る、年末年始の儀式によらず、
1年の歳時記の中で消えていくのは、手間がかかることが多いように
思います、手間がかかるかかからないか、その基準だけで存続が
決まるのが気にかかります。
長年受け継がれてきた慣習は、それなりに意味があることが多く、
消す前にもう一度見直す時間をとれたらと思います。


ライオンが病気になって、洞穴の中で寝ていました。
このライオンは、一匹のキツネと仲良しでした。
お見舞いに来てくれたキツネに、ライオンは頼みました。
「ぼくの病気を治したいと思うのなら、森にいるシカをだまして
ここに連れてきてくれないか。
ぼくはシカの腹わたと心臓が食べたくてたまらないんだ」
キツネは、シカを探しに行きました。
間もなく、森の中ではね回っているシカが見つかりました。
キツネは、シカに近づくと、「あなたにいい話があります。
われわれの王さまであるライオンくんが、いま病気で
死にそうなんです。
それでライオンくんは、自分が死んだ後の王さまを
誰にするか考えました。
イノシシは頭が悪いし、クマはのろまだ。
ヒョウは怒りっぽいし、トラはすぐにいばる。
そこで、シカくんなら背が高くて立派だし、長生きするし、
堂々とした角はあるしで。
と、ここまで言えばわかるでしょう。
ライオンくんは次の王さまに、あなたを選びました。
シカくん、王さまになりたいのなら、早くライオンくんの
ところへ行って下さい」
キツネの話を聞いて、シカはすっかり得意になりました。
そして、キツネについて行って、ライオンの洞穴に入りました。
たちまち、待ち構えていたライオンがシカに飛びかかりましたが、

しくじって、シカの耳を引き裂いただけでした。
シカはいちもくさんに、森に逃げ帰りました。

「お願いだ。もう一度、何とかして、あのシカを連れて来てくれよ」
「うーん、やっかいで、難しい事を頼むなあ。まあいい。
何とかやってあげるよ」
そしてキツネは、まるで猟犬の様にシカの足跡をつけていきながら、
どうやってだまそうかと頭をひねりました。

途中、ヒツジ飼いたちに会ったので、キツネは、
「血まみれになったシカを、見かけませんでしたか?」
と、尋ねました。

「ああ、あそこの林の中のねぐらにいるよ」
教えられたキツネは、休んでいるシカのところへ行って、
すました顔であいさつをしました。
シカはカンカンに怒って、毛を逆立てて言いました。
「けがわらしいキツネめ!
もう、だまされないぞ!
そばに来たら命はないと思え!
お前がどんな悪者か、知らない奴をだましに行くがいい。
王さまにしてやると言って、おだててやれ」
すると、キツネは、

「あんたは、それほど腰抜けの卑怯者なのかい?
そんな風に、わたしたちをうたぐるなんて。
ライオンくんがあんたの耳を捕まえたのは、
王さまになった時の心構えを教えようとしたんだよ。
それなのにあんたは、病気のライオンくんがちょっと
引っ掻いたのも我慢出来ないなんて。
あんたのふがいなさに怒ったライオンくんは、
今度はオオカミを王さまにすると言っているよ。
困るなあ。
乱暴者のオオカミが王さまになっては。
だからさ、わたしと一緒に来てくれよ。
ライオンくんが、あんたに害を加えるはずがない。
わたしが保証するから」
こんな風に、キツネはシカを言いくるめて、
もう一度ライオンのところへ連れて行きました。
シカが洞穴に入るとライオンは、
「今度はごちそうを逃さないぞ!」
と、ばかり、骨からはらわたまで、ガツガツと食べてしまいました。
キツネは、そばでながめていました。
その足元に、シカの心臓がこぼれ落ちました。

キツネはそれをさっと拾って、さんざん働かされた埋め合わせにと、
ぺろりと食べてしまいました。
ライオンは、はらわたを端から食べましたが、心臓だけが見つかりません。
「心臓は、どうしたのだろう?」
と、しきりに探しています。
それを見てキツネは、ライオンの手の届かないところまで逃げてから言いました。

「このシカには、元々心臓がなかったから、探しても無駄だよ。
だって、普通の心臓を持っている動物なら、ライオンの住みかへ2度も、
のこのこやって来るはずがないだろう」

このお話しは、偉くなっていばりたいという気持ちがあんまり強いと、
物事を見極める事が出来なくなり、危険がさしせまっているのにも
気がつかないと言う事を教えています。

「ブタとイヌ」
どちらが子どもをよけい産むかで、ケンカするブタとイヌ 、
ブタとイヌが、めいめい自分の方がたくさん子どもを産むと言い張って、
ケンカをしていました。
イヌが、「わたしは四つ足動物の中で、一番短い日数で子どもを
産む事が出来るのよ」と、言うと、ブタは、
「いくら早く、たくさん産んだって、あなたの赤ん坊は、
みんなまだ目が開いてないじゃないの」

仕事は、早ければ良いとはかぎりません。
ちゃんと、出来上がっていなければいけないのです。


「オオカミと馬」
オオカミが畑を通りかかって、ムギを見つけました。
しかし、ムギではエサにならないので、そのまま通り過ぎました。

間もなく、オオカミは馬に会いました。
オオカミは、さっきの畑に馬を連れて行って、

「ほら、ぼくはこのムギを見つけたけれど、自分で食べてしまわないで、
きみの為にとっておいたんだ。
何しろぼくは、きみがむしゃむしゃ食べる音を聞くのが大好きだから」
と、言いました。
すると馬は、「へっへっへ。 もし、ムギがオオカミのエサになるのなら、
あんたが胃袋よりも耳を大事にするはずは、絶対にないだろうねえ」

このお話しは、悪い人がたまに良い人ぶって見せても、ち
っとも信用してもらえないという事をたとえています。

「キツネとツル」
キツネが平たいお皿にマメのスープを入れて、ツルにすすめました。
「・・・・・・」
ツルが困っているのを見て、キツネは笑いました。
スープが水っぽくて、ツルの細い口には入らないからです。
ところが今度はツルがキツネを食事に呼んで、
細長いくびのびんにごちそうを入れて出しました。

ツルは楽に口を突っ込んで食べましたが、キツネの口は
細長いくびのびんには入らない為、どうしても食べる事が出来ません。
キツネに仕返しをしたツルは、困っているキツネを見て笑いました。

食事は気の合った仲間と、楽しく食べたいですね。
  
Posted by いとう茂 at 17:24Comments(0)

2016年12月28日

泉のほとりのシカとライオン 他

昨夜の強風に続き、今朝は目を覚ますと庭が
雪化粧、屋根や車のフロントガラスにうっすら積もっていました。
今日は役所も御用納め、サラリーマンをしていた若いころは
大みそかまで仕事がありました、午前中は仕事で午後からは
会社の大掃除、今ではその会社もありません。
可愛がってもらった社長ももう、お亡くなりになり在籍当時に
建て替えられた社屋は別会社になっています。
会社はなくなりましたが記憶には事務所や倉庫が残っています。

大きなトラックからフォークリフトで荷物を下ろしたことや
手押し車で品出しをしたこと、石炭ストーブの前で同僚と
コーヒーを飲んでいたことなど、あまり意味のない日常の
風景を覚えています。
人は時々、昔はよかったと懐かしんだり、あの時はこうだったと
話が盛り上がることがあります。
ないものを数えず、あるものを数えて生きていく、曽野綾子さんの
小説のタイトル名ですが、この言葉が好きです。

ともすると、昔にタイムスリップしたままセピア色の世界で時間を
忘れて遊んでしまう弱い人間ですので、戒めにもなります。
そんな戒めも今朝の淡雪のように太陽が顔を出すと、あっという間に
溶けてしまう・・・・・・この繰り返しで1年が終わっていく、
そんな気がしないでもありません。


喉の渇いたシカが、泉のほとりへやってきました。
水を飲んだ後、ふと見ると、自分の影が水にうつっています。
大きくて、いくつもの枝に分かれた角は、我ながらうっとりするほど立派です。
シカは、すっかり得意になりました。
ところが足を見ると、ヒョロヒョロして頼りない感じなので、
がっかりしてしまいました。

「せっかく、これほど立派な角を持っているのに、この足ではなさけない」
シカが水にうつった自分の姿をながめて考え込んでいるところへ、
突然ライオンが現れました。
シカは、急いで逃げました。

ライオンは追いかけましたが、シカは足の速い動物ですから、
いくら強いライオンでも追いつけません。
それどころか、シカはずんずんとライオンを引き離してしまいました。
野原が続いている間は、シカはライオンのずっと先を
逃げて行く事が出来ました。
そのうちに、シカは森にさしかかりました。

すると、大きな角が木の枝に引っかかって、うまく走れなくなりました。
そうして、ぐずぐずしているうちに、ライオンに
追いつかれて捕まってしまいました。

ライオンのえじきになったシカは、死ぬ前に心の中で言いました。
「なさけない事だ。わたしに憎まれていた足がわたしを
助けてくれたのに、わたしが自慢していた角の為に、
こうして死ななければならないとは」

このシカと同じように危ない目にあった時、
普段はあまり信用していなかった友だちがわたしたちを助けてくれ、
反対にいつも信じていた友だちがわたしたちを見捨てる事があるものです。

「アシとオリーブの木」
アシとオリーブの木が、口論していました。
どちらがしんぼう強くて、力があって、しっかりしているかで、
言い争っているのです。
オリーブの木は、アシに向かってこう言いました。
「お前なんか、へなへなで、てんで意気地なしさ。
ちょっと風が吹けばすぐにおじぎをして、まいったと言うじゃないか」
「・・・」
アシはだまったきり、何も言い返しません。
そこへ、まもなく強い風が吹いてきました。
ビュー、ビュー
と、吹きまくる風の中、アシはさんざんにゆさぶられ、
おじぎをさせられましたが、無事に切り抜けました。
ところがオリーブの木は、風に刃向かって頑張っているうちに、
ポキリ!
と、折れてしまいました。

自分より強い者に負けまいとして頑張る人よりも、
事のなりゆきに逆らわずにうまく立ち回る人の方が
得をするという事を、このお話しは教えています。


「デマデスの演説」
むかしギリシャに、デマデスという演説の上手な人がいました。
ある日、デマデスはアテネの市民たちを前にして、演説をしていました。
一生懸命に話しているのに、みんなはガヤガヤ騒いで、
ちっとも真面目に聞いてくれません。
そこでデマデスは、
「みなさん、わたしはここでひとつ、イソップのお話しを
したいのですが、いいですか?」
と、大きな声で尋ねました。

「いいぞ」
と、みんなは喜んで叫びました。
デマデスは、話しを始めました。

「農業の守り神デメテールとツバメとウナギが、一緒に旅に出ました。
しばらく行くと、橋がかかっていない川がありました。
ツバメは空に舞い上がって、向こう岸に着きました。
ウナギは川に飛び込んで、泳いで行きました」
 ここまで話して、デマデスは話を止めました。

「・・・で、デメテールはどうした?! デメテールは?!」
みんなは口々に叫びました。
「デメテールは、あなた方に腹を立てました。
政治の大事な話しは聞こうとしないで、イソップの
作り話しだけを面白がるのは、いけない事だと」

この様に、大切な事はほったらかして、
面白おかしい事ばかりやりたがる人は、困りものです。
  
Posted by いとう茂 at 15:28Comments(0)

2016年12月27日

感謝・反省・謙虚&世界一美しい物

いよいよ今年も今日を入れて5日になりました、
役所や多くの会社も明日で御用納めで1年を締めくくります。
私も今日の監査と夜の11時からの年末特別警戒で公務は
一応終わりになります。
明日は共同作業所の餅つきと市役所での年末のあいさつです。

御用納めや大みそかといった節目は人生にメリハリをつけるために
必要ですが、人はそれぞれ大切なもののために生きています。
家族であったり、これから新しく未来を共に歩む人であったり、
多くの従業員であったり、様々だと思います。
節目にはそんな大切なものを本当に大切にして生きてきたか、
そんな検証も必要ではないでしょうか。

たった一つの大切を大切にして生きてきた1年だったか。
大切にして生きていけるこの先か、自問をすることは大切なものの
価値を再認識する機会になりますし、そこから生まれてくる感謝と反省、
導き出されるのは謙虚さでしょうか。
次の物語の主人公に足りなかったものは、感謝と反省、そして、
謙虚さのような気がします。

むかし、オランダの港町に、とても大金持ちの若い奥さんがいました。
住んでいる家は町で一番大きくて立派で、家のかべにはすばらしい絵が
たくさんかかっています。
床はすべて高価なじゅうたんで、食事の時は金と銀のお皿で食べるのです。

ある日の事、奥さんがやとっている船長をよんで言いました。
「あなたは、これから世界中をまわってきてください。
わたしのたくさんの船を、みんなつれて。
そしてあなたが世界一美しいと思った物、世界一とうとい思った物を
持ってきてください。
期限は、一年間です。
一年たったら、かならず帰ってきてください」
そこで船長は、すぐに世界一周の旅に出ました。
町の人々はみんな、
「あの船長は、どんな宝物を持ってくるだろう?」
と、そればかり話し合っていました。

一年後、見張りの者がさけびました。
「船が、帰って来たぞー!」
すると町中の人々が、船つき場に集まりました。
若い奥さんも、船を出迎えました。
船長がどんな宝物を持って来たか、はやく見たくてたまらなかったのです。
船をおりた船長は、奥さんの前にすすみ出ました。
「奥さま、ただいまもどりました」
「あいさつはいいわ。それであなたは、何を見つけてきてくれましたか?」
「はい。わたくしは長い間世界中を旅して、色々な宝物を見ました。
人の背丈よりも大きな水晶や、黄金で出来た船もありました。
しかしどれも、世界一美しい物、世界一とうとい物とは思えませんでした。
わたくしはもう少しで、あきらめてしまうところでした。
ところが、バルト海のある港に入った時の事でございます。
そこは穀物畑が見渡すかぎり、どこまでもどこまでも広がっておりました。
ムギの穂は風をうけて、波のようにゆれていました。
太陽は出ると、あたり一面がこがね色に光り輝きました。
わたくしはこれを見たとたん、穀物こそが、毎日のパンをつくる穀物こそが
世界一美しい物、世界一とうとい物だと思いました。
こでわたくしは、船いっぱいに小麦をつんでまいりました」
「何ですって!!」
奥さんは、顔をまっ赤にして怒りました。
「お前は、わざわざ世界を回って穀物を持ってきたのかい!
この、バカ! トンマ! マヌケ!」
船長は、しずかに答えました。
「わたくしは一年かかって、ようやく世界で一番大切な物は、
穀物であることに気がつきました。
神さまがお与え下された、あのこがね色に光り輝く穀物です。
あれがなくては、わたくしたちが毎日食べるパンもつくれません」
しかし奥さんは、その説明になっとくしません。
「ええい。そんな物は、海にすてておしまい!
船長、お前は首にします。
お前の顔なんか、もう二度と見たくなありません!」
「・・・・・・」
船長はだまって、どこかへ行ってしまいました。
「さあはやく、穀物なんかすててしまいなさい!」
奥さんの命令で、船乗りたちは穀物を海にすてはじめました。
すると見かけないおじいさんがやって来て、奥さんに言いました。
「なんと、もったいない事を。
よく、考えてみなさい。
世の中にはひとかけらのパンもなく、うえて死ぬ人が大勢いるのです。
神さまから与えられたとうといおくり物をすてたりすれば、
神さまのバチがあたってあなたは貧乏になりますよ」
それを聞いた奥さんは、カラカラと笑いました。
「あははははははっ。神のバチがあたる? そしてこのわたしが、
貧乏になるですって? はん、ばかばかしい」
奥さんは自分の指から世にもすばらしい宝石のついた指輪を抜き取ると、
それをいきなり海の中に投げこんでしまいました。
「もし、わたしにバチをあてる力が神にあるというのなら、
海に命じてあの指輪をわたしに返してごらんなさい!
あの指輪には船が何せきも買える価値がありますが、
あんな指輪が一つや二つなくなっても、わたしは貧乏になりません。
わたしは決して、貧乏にはなりません! 」
奥さんはさけぶと、胸をそらせて帰っていきました。

数日後、奥さんはパーティーを開きました。
町のお金持ちたちが、のこらず集まってきました。
みんなは飲んだり食べたりと、とても大さわぎをはじめました。
その時、一人のめし使いが、大きなお皿をはこんできました。
お皿には、大きな大きなさかなの丸あげが乗せてあります。
さかなが大好きな奥さんが、さっそくさかなのお腹を切りました。
するとナイフに、何かかたい物が『カチン』とあたりました。
「なんでしょう?」
奥さんは、さかなのお腹に入っていた物を取り出してびっくりしました。
「あっ!」
その声に、みんながお皿のまわりに集まってきました。
みんなも、さかなのお腹から出てきた物を見てびっくりです。
なんとさかなのお腹から出てきたのは、しばらく前に奥さんが海の中に
投げ込んだ、あの指輪だったのです。
神さまが海に命じて、指輪を奥さんに返したのです。
「ふん、ばかばかしい。ただのぐうぜんです」
奥さんはその指輪を、ゴミ箱に投げすてました。

あくる朝、大変な知らせが届きました。
奥さんの船があらしにあって、みんな沈んでしまったというのです。
でも、これはほんのはじまりで、不幸なことがそれから次々と続きました。
飼っていたウシやブタが全て病気で死んでしまったり、家が火事になったりと。

こうして一年後、奥さんはこじきになって、一切れのパンも
食べられなくなったのです。
  
Posted by いとう茂 at 21:32Comments(0)