2016年06月30日

成長とは

よその子どもは、たまにしか見ないので出会うたびに大きくなり、
その成長が確認できます。
私の子どもは体が大きくなる年ではありませんので、出会っても
顔色とか雰囲気で最近の様子を感じ取るだけです、この前、
寝る前に本を読んでいて「成長とは大きくなることではなく、
小さな幸せを感じられるようになること」こんな言葉に出会いました。

なるほどと思い、そこで目が留まりしばらく考えていました。

身の丈を知る、足るを知る。
ここ何年か、ことあるごとに帰ってくる場所が知足です。
自分の身分や資産・財産が多い少ないとかいう話ではなく、
地に足をつけて生きていくことができる考え方、
時には欲と夢をごっちゃにして考えがちですが、
欲や煩悩を現実と考えないということです。

昔、長寿のおばあさんの朝、目が覚めた時に「あー生きてる」
そのことに感謝しながら日々を送っているというコメントを
読んだことがありますが、究極の幸せはそのことかも
知れないと思います、そして案外気が付かないのも
このことかも知れません。
たとえ、数えきれない苦や身動きできない借金があっても
生きていることを喜べる、そこまで悟りを開くのは凡人では
難しいことかも知れませんが、そうありたいと思うのも事実です。

お釈迦さまの教えでは四苦の中に生も入っていますが、
今は私の生への執着が強いのか、苦よりも楽と考えたいと
感じています。

今日は朝から監査がありました、2時30分過ぎに終わりましたが
多くの意見を出し合って議論をしました。
次回の監査につながる意見も多く出し合いましたので、
満足のいくものでしたが、活字が小さく目がショボショボで
3時からの議員研修会では、限界に近い感じでした。
肩がこるのは目のせいかと思いますが、この苦も生きているから
味わえるものと、肩こりを楽しんでみたいと思います。

  
Posted by いとう茂 at 23:12Comments(0)

2016年06月29日

今週のことば

議会のサロンの壁に毎週月曜日に今週の言葉を
張っています。
掲示したものは全部残してありますので、気が向いたときに
引き出しから出して読み返しています。
誰に読んでほしいというものではなく、自分への戒め、
そんな意味での掲示です。
継続が力かどうかわかりませんが、150枚は超えて
いると思います、盆と年末年始の休みがありますので、
3年余りになるでしょうか。

文字を目で追っているだけよりも、書くことでさらに頭に
残るのは学生時代の一夜漬けで検証済みです。
考えてみれば本当に一夜漬けでした、教科書の単語や用語を
カッコにして、それを埋めていくだけの試験勉強でしたが、
一晩でボールペンが1本なくなるのが嬉しくて、卒業まで
この方法は続きました。
朝方に眠ると記憶が薄れますので、試験が終わって帰ってから
仮眠でしたが、若いということはいいことです。
体力もあったのでしょう、多少の疲労感はありましたが、
押し通しても平気でしたし試験が終わった日は午後から
クラブに行って走り回っていました。
ただ、記憶力は落ちます、やはり十分な睡眠が必要だと
いうことをその時、身をもって感じました。

横にそれました、今週のことばは読んでいる本からの引用で
確か最初は山本周五郎の言葉が続いたと思います。
今日は、そのいくつかを紹介したいと思います。
結構な数になりますので、分割して紹介したいと思います。
最初は、山本周五郎からにしたいと思いますが、これも数が
多いので……。

「人間というものは、自分でこれが正しい、と思うことを
固執するときには、その眼が狂い耳も聞こえなくなるものだ。
なぜなら、或る信念にとらわれると、その心にも偏向が
生じるからだ。」

「温床でならどんな芽も育つ。
氷の中でも、芽を育てる情熱があってこそ、
しんじつ生きがいがあるのではないか」

「自分が傷つかぬ限り、
人間は他の痛みを感じない。
自分が飢えるまでは、
他人の飢えには無関心な人間が多いのです」

「虫のついた樹はいちど、根から伐るがいい。
そうすれば、ひこ生えの出ることもあるし、
そうでなくても、
立ち腐れにしておくよりはさっぱりするだろう。」



  
Posted by いとう茂 at 12:16Comments(0)

2016年06月28日

念ずれば通ず

四国を歩いていると札所に坂村真民さんの「念ずれば通ず」の
石碑がいくつかあります、晩年を松山で過ごされ多くの詩を
作られた真民ファンは今も多くいます。
私もその一人に加えていただけるか疑問ですが、本棚には
何冊かの詩集があります。
覚悟を決めて読むというスタンスではなく、ちょっと時間が
あるときに、パラパラめくって読み始めるということが多く、
どこまでとかどこからという読み方はあまりしていません。

生きていれば絶望や悲嘆の底であえぐ時があるものです。
どこにも光が見えず暗闇で怯えながら、じっと今が通り過ぎる時を
待つしかありません。
どうぞ、道が見つかりますように・・・・・。
そのことだけを念じ続け、重圧に押しつぶされそうになりながら、
心の置き場を探す、腹の底から寒さがこみあげてくるのがわかります。

念ずれば通ず、折れてしまいそうな気持をようやくつないでいるのは
信じるという行為、信じたい、信じなければ、揺れながらも念じ続ける、
その繰り返し、自分のことならどんなに辛くても、痛くても、負けるものか
そう言い聞かせて立ち向かうこともできますが、自分以外のことなら
言葉も届かず、手を差し伸べることもできず、ただ念じるだけで
自分の無力さを嘆く日々が永遠に続きそうな気持ちになります。

励まされている、力をもらっている、それも錯覚かもしれませんし、
そう思わないと、と自分を偽り思い込ませることもあります。
おのが身は滅びても、そこまで自分を捨てきっても事態は好転
するわけもないのに、そう思わずにはいられない時もしばしば
あります。

念ずる者より辛い思いをしている人がいる、そのことが一層念ずる
心を強くしますが、闇は晴れません。
中島みゆきに励まされたことは何度もあります。
自分の立ち位置を確保するためでしょうか、自分が生きていたい
からでしょうか。
自分では保身など考えてもいないのに、結果、保身になっている
生き様に気づき、さらに深い闇に入っていく。

目の前に壁などないのに心の壁が乗り越えられずに、逡巡と
彷徨の繰り返し。
中島みゆきの「小さき負傷者たちのために」はファイトや
命の別名とは違う形の私の応援歌です。

声もなき 小さき者たちは
見開いた瞳も乾(かわ)いて
力なき 小さき者たちは
ひれ伏して 爪まで縮(ちぢ)めて
愛のある人間と 愛のない人間の
微笑(ほほえ)みの違いなど 読みわけるすべもなく
疑わず まっすぐに付いてゆく
言葉持たない命よりも
言葉しかない命どもが
そんなに偉いか 確かに偉いか 本当に偉いか 遥かに偉いか
卑怯(ひきょう)と闘う同志でありたい
小さき小さき負傷者たちの為に

仕方なく 小さき者たちは
己(おの)が身を 比べることなく
傷ついて 小さき者たちは
己(おの)が身の 落度かと詫(わ)びる
心ある人間と 心ない人間の
さしのべるその腕を 選びとるすべもなく
助け無(な)く 運命に耳を澄(す)ます
言葉持たない命よりも
言葉しかない命どもが
そんなに偉いか 確かに偉いか 本当に偉いか 遥かに偉いか
卑怯(ひきょう)と闘う同志でありたい
小さき小さき負傷者たちの為に

言葉持たない命よりも
言葉しかない命どもが
そんなに偉いか 確かに偉いか 本当に偉いか 遥かに偉いか
卑怯(ひきょう)と闘う同志でありたい
小さき小さき負傷者たちの為に
卑怯(ひきょう)と闘う同志でありたい
小さき小さき負傷者たちの為に


  
Posted by いとう茂 at 14:15Comments(0)

2016年06月27日

2巡目結願

先日アップした万歩計での四国遍路の2巡目が結願しました。
特別な意味があるわけではありません、万歩計の設定は
1巡が1200キロになっています、およそ22か月で2400キロ、
1か月100キロの計算になります。
1日3キロ余りの歩行ですから特別多いわけではありません。

実際に歩くと45日から50日かかります、50日とすれば1日24キロで
万歩計の8日分です。
1時間に4キロペースで6時間、札所もありますし食事もします、
休憩も取りますので7時間から8時間の行程ですが、45日で
回ろうと思うと、あと3キロほど毎日多めに歩くことになります。

たかが3キロと思われる方もあるでしょうが、実際に歩いてみると
これが結構きついことが分かっていただけると思います。
回っているときは先を急ぎがちで、一つでも多く札所を回ろうと
思いますが、終わりに近づいたころから、なんでこんなに急いで
回ってきたんやろ、そんな後悔の念がわいてきます。

車で回ると余計急いで回るように思います、まるでスタンプラリーの
ように、納経帳や掛け軸に御朱印が増えていきますが、札所の
風景や道中の景色は頭に残っていません。
何が正しくて何が間違っているかは、誰にもわからないことですが、
いつでも気が向けば行ける距離ではありませんし、それなりに
費用も掛かります。

病気が治った、願いがかなった、志望校に合格した、お参りの目的は
果たせたかもしれませんが、先へ先へと急いで回って、満ち足りた
気持よりも物足りなさのほうが多く残る人もあるでしょう。

ここから導き出せる教訓は、調子に乗るな。
結果も大切だが満足が行く過程の積み重ねが満足な結果になる。
明日がある、その気持ちが命取り、今日を満足に生きずして
どんな明日がある。
人生一度きり、自分に言い訳しない生き方を。

どれも似たような意味になります、万歩計はある意味、仮想体験です。
3巡目の残りの札所を回るときは、時間にゆとりをもって結願の喜びを
かみしめたいと思います。


  
Posted by いとう茂 at 21:49Comments(0)

2016年06月26日

進水式

昨日は所属するクラブから障害者のボート競技団体の
びわ湖ローイングCLUBに贈呈した、二人乗りの競技ボートの
進水式を行いました。
天候が心配でしたが11時からの進水式の前には雨も上がり、
無事に式を済ませることができました。
今年5月に海外であったリオパラリンピックの最終選考会を
兼ねた世界選手権にも出場していますし、4年後の東京
パラリンピックに向けて夢が動き出す進水式になりました。

ルールがシンプルですし補助具がついていますので重度の
障害者も競技を楽しむことができます。
目の前にある日本一の琵琶湖ですが、日ごろ湖岸から
眺めることはあっても湖上で何かをしようという気持ちには
なりませんが、こうして琵琶湖の恩恵に浴している人たちを
見ると、何かできないかという気持ちになります。

クラブの関係者は競技をする人と、その家族がほとんどで、
ボランティアは大学生が2名でした。
今後、この輪に所属するクラブも関わっていけたらと思います。
これで私が委員長を務める委員会のすべての事業が終わり、
全体でも1年の活動が終わりました。
来年は年報を作成する委員会への配属が決まっています。
入会して10年ほどですが、これでこの委員会は4回目、
100名余りの会員ですが、4回という人はいない気がします。

人を相手にするよりも活字を相手にしているほうが、
気楽ですし、校正もそれほど苦になりません、というより
性に合っている気がします。


  
Posted by いとう茂 at 21:48Comments(0)