2024年04月22日

時代に流れか・・・

テレビで高野山の福智院の映像が流れていました。
福智院は高野山に50余りある宿坊の一つで、2005年に泊まりました。
2003年から四国を歩き始めて、88番の大窪寺を打ち終えて無事に結願し、翌日は暗いうちから徳島に向いて山下り、20キロ近く歩いて10番の切幡寺の参道横に出ました。
これで四国4県が輪になりつながりました。
そこからタクシーで1番の霊山寺にお礼参りをして、重い足を引きずって鳴門西のサービスエリアまで歩いて、高速バスで難波まで移動です。
難波からは南海電車で高野山、着いたときは5時を回っていました。
泊りは福智院です、ここは宿坊で唯一温泉があり2食付きで14000円を超えていたと思います。
四国の民宿の2倍以上でしたが、歩き切ったご褒美に大奮発しました。
宿坊の中には立派な庭がありましたが、疲れていたのと暗かったのでゆっくり見ているゆとりはありませんでした。
トイレは共同で部屋には鍵がかかりませんし、仕切りはふすまか薄い壁です。
そこから翌日は金剛峯寺と奥の院にお礼参りをして、四国遍路の1巡目が終わりました。
その福智院が大変身していました、ベッドのある部屋は当時の倍近く、特別室は控室もありさらに倍以上の価格になっています。
酸素カプセルにサウナと設備は充実していますが、ここにお遍路は泊まれないなぁ、素直な感想です。
外国人の観光客が増加して、宿坊も大きな変化をしているようです。
福智院よりももっと高い価格設定の宿坊もあるようで、真言宗の聖地は観光地の色彩が強くなっています。
これですと、遍路が終わってお礼参りに行くのには、いったん帰ってから改めて出直すか、郊外のビジネスホテルに泊まってからになりそうです。
時代の流れか、それとも宗教も観光振興の道具にならないと生き残れないのか、世の中から特別な空間がどんどん減っていくように感じました。

Posted by いとう茂 at 18:57│Comments(0)
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