2011年10月31日

覚悟するとは

一般に腹をくくるとか、観念すると言った、
意味でつかわれることが多いのですが、
「覚悟」とは仏教の用語で、
「さとる」という字を漢字で書くと、
覚る、悟ると書く場合が多く、

覚悟とは、物事の先の先、奥の奥まで見通して
真理をさとることと理解する人は少ないでしょう。

「さとる」を二つ重ねて覚悟。
実は、並大抵のことではないのです。

そんな、並大抵でない、
覚悟を決めて大津市長選に出馬を表明された
お二人に、エールを送るとともに、

市会議員として私も覚悟を迫られそうですが、
なにせ、老眼乱視の辛さで、先までは見通せませんが、
覇道ではなく、自分なりに王道を歩もうと思っています。
  
Posted by いとう茂 at 14:32Comments(0)

2011年10月29日

主任研修を傍聴しました

昨日は、市役所の主任研修の発表会に行きました。
30代前半の若い職員が、部局の枠を超えて
グループで大津市の活性化に向けて
自主研修し発表しました。

時間の都合で2グループの発表しか傍聴できませんでしたが、
若い職員の発想の新鮮さに感心しつつ、
政策にできそうなこともたくさんあり、
若手職員と共同で、今後研修できたらと思いました。

コスト意識をもって、いかに予算を使わずに、
最大効果を引き出すかも考え、
しっかりと年次計画を組んでの発表は説得力もあります。

こうした取り組みの継続が明日の大津市をよりよい
ものにしていくのです。

大いに刺激を受けましたし、大津市の未来に明るいものを感じました。


大津市長選挙に、目片現市長と山下前参議院議員が
立候補の名乗りをあげました。
後、民主系と共産系の候補が出そろえば、いよいよ選挙戦が
始まります。

明日の大津市を決める大切な選挙です。
投票日は、来年1月22日です。
しっかりした選択眼でトップリーダーを
選んでいこうと思っています。
  
Posted by いとう茂 at 15:30Comments(0)

2011年10月28日

読書ノススメ

人間が備えなければならない資質とは何でしょう。
孔子が説いたのは、仁、義、礼、智、信。
奥が深すぎて足元にも及びませんが、
徳と才。

このことを、ここ何年か考えています。
場慣れといいますか、年の功といいますか
その場を繕う言葉やテクニックは
いつの間にか身につきました。

しかし、それでは問題の解決にはなりません。

人は経験でしか成長できないものでしょうか。

心に刻む言葉、それを道しるべとして
成長することも可能でしょう。

先人たちの生きざまに感化され
そこから学ぶものはたくさんあるはずです。

ただ、日本人は、経書よりもハウツーものの本が
好きなようで、ベストセラーになるのは
ハウツーものの方がずっと多い気がします。

中国3000年の歴史でも、平安、鎌倉の仏教でも
積み重ねの文化で育まれたエッセンスに
触れることは大切だと考えています。

今年は、例年に比べめっきり読書量が減りました。
その分、より中身の濃い読書をしなくてはと
思うのですが、、、、

生きていくうえで、才は必要ですが
人間としての厚みや深みは徳がなくてはなりません。
徳を積むために、一字、一字。

一歩、一歩です。

昼からは、市役所の若手職員が大津市の
将来像の研究発表会をしているので
傍聴に行ってきます。

これは才か徳か・・・・・。
徳は才の主なり、才は徳の奴なり

いい本に巡り合われることを願っています。
  
Posted by いとう茂 at 12:23Comments(0)

2011年10月27日

今日から秋の高体連

今朝、市役所に向かう途中、皇子山の陸上競技場には
高校生がたくさんいました。
秋の高体連か。
そう思って通り過ぎたのですが、ふっと考えてみると
もう40年が流れていました。

棒高跳び、1年生の秋は5位でした。
3年生から、1年生でお前より上の人間は
何人いるんや。と聞かれ1人ですと答えたのを覚えています。

ただ、秋の高体連は1種目に一つの学校から1人しか
出場できません。
夏の学年別近畿ジュニアの滋賀県予選では3位でした。
私より上の二人のうち甲賀高校の選手は2年生が出ていたので
この種目には出ていませんでした。

実質私は3位です。
この後二人に勝てない試合が続きます。

しっかり練習して、自分の中でも手ごたえがあり、今度は勝つ、
と思って臨んだ試合でしたが、
私が記録を伸ばしただけ二人も記録を伸ばしてきました。

2年の秋の高体連、最後まで残ったのは、
いつもの3人でした。
最初に脱落したのは私、また3位です。

悔しさでいっぱいでした。
二人はまるで私のことを気にもかけていないような素振りで
余計に悔しかったのを覚えています。

秋の高体連が終わると春まで半年近く試合がありません。
そして、春になるといよいよ3年、最終学年です。

その冬は自分でも感心するくらい練習をしました。
ウエイトトレーニングの日は練習が終わると
腕がパンパンで、脇にかばんを挟んでもらって、
定期券を手に持たせてもらい電車に乗りました。

家に帰っても、箸が持てません。
スプーンを握って食事です。

若さとはすばらしいことで、そんな状態でも
次の日には体のどこも痛くない。

走り込みも十分行いました。
自信をもって迎えた3年の春季県体、
結果はまた3位。

勝てへんのや、あいつらには。
3人がともに自己新の大会でした。
あんなに練習したのに3位。
それでも手ごたえはありました、棒高跳びは、
どれだけ硬いポールを使えるかで記録が違ってきます。
それまで3人の中で一番軟らかいポールを使っていたですが、
3月から一番硬いポールに変えて練習していました。

ただ、そんなに簡単に新しいポールに慣れることはありません。
だから、春の大会は今までの軟らかいポールを使ったのです。

握っている位置より高いバーを飛ぶことを「抜き」といいます。
同じ位置でも抜きが多いほど記録がいいわけです。
それまで、抜きでは3人のうちで私が一番多かったので
あきらめてはいませんでした。

次の大会はインターハイの近畿予選です、近畿で6位に入れば
インターハイに出られる。

好事魔多し。
バランスを崩し、上から落ちて足首を捻挫してしまいました。
大会まで1か月ぐらいだったと思います。
練習は2週間ほど歩行からジョギングしかできません。

硬いポールを使いこなす時間はありません。
軟らかいポールでは結果は見えています。
まともに走れない状態での近畿予選。
予想通りでした。

もうやめよう。
顧問の先生にそう告げに行きました。
先生は何も言いませんでした。
もうやめた。

なのに、授業が終わると自然と部室に足が向きます。
これには自分でも苦笑をしてしまいました。
残る大会は夏の県体だけです。

夏休みに入っても思い切り走れません、マネージャーが
医者に行けと言います。医者は生まれつき嫌いです。
医者に行くと思ったより重傷だったようで、
固まっているけれど、筋肉が足首におかしな巻き方をしている
と言われました。それからリハビリです。

県体まであと少し、手ごたえも自信もありません。
そんな中迎えた県体開会日、体育部長だった私は
前年度総合優勝校の代表として優勝旗の返還に行ってきました。

いよいよ、大会日。
人間万事塞翁が馬。
雨でした。雨は棒高跳びにとって大敵です。
グリップが滑るからです。
最終まで硬いポールが使いこなせなかった私にとって、
軟らかいポールはグリップが滑る心配がありません。

最終残ったのはまたも3人でした。
これ飛んだもんが優勝やろな。同じことを考えていたはずです。
試技の順は私が1番でした。
最初に飛んだら二人にプレッシャーがかけられる。

1回目の試技は3人とも失敗。
一人がその高さをパスしました。2人にプレッシャーがかかります。
2回目、私からです。フォームも何も覚えていませんがとにかく
クリアしました。

もう一人は失敗、3回目も失敗し2位以上が確定しました。
バーが上がります、私は2回失敗、相手は最後の試技です。
落とせば私の優勝、飛べば状況から相手の優勝だったでしょう。

そのバーは雨のマットに落ちていきました。

私の優勝です。
残る試技は1回、飛べばバーをあげられる。
そんなことを考えていると今バーを落とした彼が
「伊藤君に初めて負けたね、おめでとう、傘かぶしたるわ」
そう言って雨をしのいでくれました。

「ありがとう」しか言えなかったと思います。

その高さは飛べませんでしたが、満足でした。
最後に勝ったのはこれだけではありません、
中学校の時も3年の最後の試合で優勝しました。
6年間で優勝はこの2回だけです。

運がいいということではなく
努力するものは報われる
そして、報恩感謝です。

皇子山の選手の中にもそんな高校生がいることを祈ります。
  
Posted by いとう茂 at 23:35Comments(0)

2011年10月27日

保護司研修会の続き

県立国児学園の中でもいじめ問題が
あるとの報告でした。

発達障害を持った児童に対するものや
健常者同士のいじめですが、放置しておくと
どんどんエスカレートしていくそうです。

かといって、それだけにかかっていられないのも
現実で、いじめからは目を離すことなく、
ほかの諸問題にも対処しなければならない。
このことが大変だと言っておられました。

この学園では男女が共に生活しています。
近年、非行も性がらみのものが多く、男女の宿舎は
当然別々ですが、昼間の授業や、体験学習では
一緒になるので苦労も多いと感じました。

耳に残った言葉がありました。
「足の裏の哲学」という言葉です。

調べてみると、「足の裏に影はあるのか?ないか?」
という本を入不二基義さんという方が書いています。
どうもこの本に関係がありそうで、

光の当たらない足の裏。
言い換えれば、こうした施設に入所している子供たち、
しかし、非行に走った子どもも人間である。
すべての子どもが等しく生きられる。
子どものみならず、すべての人間が人間らしく扱われ、
生きられる社会の実現のために、
不良と嫌われている少年の心の中の
人間味を引き出した教護院時代の愛護指導の新方式で、
現在もこの方式が受け継がれています。

歴史は繰り返される。
大正11年京都の岡崎で、水平社宣言がありました。
「すべての人に光あれ」印象的な結びです。
金子みすゞさんの詩に「星とたんぽぽ」というのがあります。
見えぬけれどもあるんだよ 見えぬものでもあるんだよ
結びのこの言葉が好きです。

議員だけでなく、私たちは、人間として、言葉にならない思いを
声にならない叫びを心で受け止める努力をしなければならない。

一歩ずつ、一歩ずつ。
  
Posted by いとう茂 at 11:35Comments(0)