2019年09月30日

明日から10月

9月も今日で終わり、明日からは10月です、
今年も4分の3が過ぎ去っていきました。
私はと言えば、議員を退任してからすでに5か月、
無職老人も6か月目に入ります。
振り返ると連休前の4月26日に、職員の方たちから退任の
素敵なお花をいただいて、のんびり朝寝坊をしている日々は
夏休みの何日かで、その他は午前、午後を問わずに予定が
入り、そんなに長く無職老人でいたのかと、改めて時間の
流れの速さを感じています。

10月1日と言えば、昔は衣替えの日でした。
学生時代なら、カッターの上から詰襟の学生服を羽織る日で、
秋が来た、そんな印象を受けたのを覚えています。
あれから40年以上たちますが、同じ10月1日の明日は
気温が30度を超えるという予想が出ています。
太陽暦と違う暦が必要になりそうな・・・・・。
確かに6月の終わりから7月初めの気温30度と、10月の
気温30度は、どことなく雰囲気が違うように思いますが、
30度には変わりはありません。
いつのころからか、クールビズも9月30日から10月31日に
延長されて、夏の名残が1か月延長になっています。

夏と言えば、人生でいえば朱夏です、平均寿命が長くなって
延びたのは秋の白秋だと思っていたのですが、季節の方は
夏の時間で、冬の玄冬が同じ長さなら、目覚めの春や実りの秋が
短くなっているのでしょう。
ともあれ、今年も残り3か月、陸上競技でいえば第4コーナーを
回ってホームストレッチを迎えます。
ラストスパートのタイミング、悔いのないように今年のゴールを
迎えたいと思います。
  
Posted by いとう茂 at 21:49Comments(0)

2019年09月29日

学区運動会と定例勉強会

今日は膳所学区の市民運動会と定例勉強会でした。
昨日の天気予報では雨模様で、気持ちは順延でしたが、
目が覚めると・・・・・・天気でした。
そのうち開催を知らせる花火が打ちあがり、開会式の
途中に小学校に行きました。
種目に出場する予定はなく、商店街で種目の賞品を
渡す係ですので、種目が始まる前の開会式はそれほど
関係がありません。

体育館に種目ごとに積まれた賞品を運んで、準備をして、
始まるのを待っていました。
学区のイベントでは、さくらまつり、夏まつりに次いで
多くの人が参加する運動会ですので、運動場は50ほどの
テントが並び子どもから高齢者まで、知った顔もたくさんあり、
賞品を運んでいる時も、多くの方とあいさつを交わしました。

運動会は午前中だけで、午後からは定例の勉強会でした。
本来ですと先週の日曜日に開催の予定だったのですが、
代表の都合で1週遅れとなっています。
今日はそのせいか分かりませんが、4名と少ない出席者で
少し寂しかったのですが、その分、各自が話す時間が
多くあり、違う意味で中身のある勉強会になりました。

代表は昨年度に交代しており、立ち上げから関わっているのは
私ともう一人になっています。
会でも組織でも入れ替えはありますし、歴史のある会なら
世代交代もあります。
新しい人が入ってくると、新しい意見や考え方に触れることが
でき、新しい気付きも出てきます。
長い間、同じメンバーで活動していると、気心が知れて
いい面もありますが、会の運営がマンネリ化して停滞気味に
なるデメリットもあります。
勉強会の方は特別な広報もしていませんので、1年に多くて
2名程度が入会しますが、退会の人もいますので、総数は
10名前後とほとんど変化がないのが実情です。
遠くは今津、醍醐からはるばる来るメンバーもいます、それも
私よりも高齢ですが、そうした人の熱意に刺激を受けて、
私も続けることができているのかと、姿で支えてもらっている、
そのことを実感しています。
私も勉強会で参加者の支えになっているのか、そんなことを
考えさせられる勉強会でした。
  
Posted by いとう茂 at 21:46Comments(0)

2019年09月28日

桐一葉落ちて天下の秋を知る

正確には、頭の「桐」がない表現の方が多いようですが、
一般的には、桐一葉落ちて天下の秋を知る、という言葉を
耳にする方が多いように思います。
解釈は、落葉が早い青桐の葉が1枚落ちるのを見て、
秋の来たことを知る。
転じて、わずかな前触れから将来の大きな動きを予知できる
ことのたとえ。
が、この言葉の意味です。

あと1週間で、私も前期高齢者の仲間入りです。
自分では、そうした認識は全くないのですが・・・・・。
2・3日前に、台所の机の上に小さな紙片が置いてありました、
暗かったので、その紙片に印刷されている文字のうち、「保険証」と
言う部分だけが目に入りました。

この時期に保険証が来るのか・・・・・・、あれっ、保険証って小さい
カードのはずだし、今年の分は財布に入っているはず、様式が
変わったのかな、そう思いながら手に取ると・・・・・・。
「介護保険証」と印刷されています。
驚きと滑稽な気持ちが入り混じった、これまでに経験したことのない
思いで3つ折りの保険証を眺めていました。
選挙の投票用紙もそうですが、選挙権が得られたら、国から
ちゃんと送られてきます、日本は法整備も進み、国民に対しても
ほとんど遅延なく、お知らせが届く制度が整備されています。

ここ5年で、健康保険のお世話になったのは、歯科と整形外科に
行ったくらいで、内科関係の医療機関とは、ご縁がなく献血にも
協力できますので、自分では健康体だと思っていました、健康体で
あることと一定年齢になって、介護保険証が送られてくることは
無関係なのですが、夕焼けから夜に変わるのも気が付かないで
遊んでいる子どものように、自分の目は自分に向いていなかった
事に気づきました。
世間では、それなりの年配に見えるのに、自分では・・・・・・。
こうしたギャップは、外部からの指摘がないとわからないことが
多いものでしょうが、本人にしてみれば、余計なお世話、そんな気持ちも
ありますし、気弱になる原因にもなります。
とは言っても、このこともしっかり受け入れないと、この先、
保険証のお世話になることを考えると、老人が半ズボンとランニング姿で
走り回って、思わぬ醜態をさらしてしまう事にもなりかねません。
と、頭ではわかっていても・・・・・・・。
  
Posted by いとう茂 at 12:40Comments(1)

2019年09月27日

これって・・・・・

石川洋さんの本で、かとうみちこさんと出会い、
アマゾンの古本を検索して詩集を含めて3冊を購入しました。
本代は3冊で500円とちょっと、送料が3冊で本代の倍以上、
これって・・・・・・、もしかしたら無駄遣い。
定価で買うと、およそ3倍しますし廃版になっている本も
ありますので、それに・・・ブックオフや書店を回っても欲しい本が
必ず手に入るというわけでもありません、そう考えると時間と
ガソリン代の節約にも・なります・・・・・これで自分を納得させています。

昭和の時代に発行された本もあり、平成の時代を経て令和に
私の手元にやってきた、ページも赤茶けています、でも、これがこの本の
歴史ですし、生き延びてきた証で、これもご縁かも知れません。
人の感性や考え方、そこから出てくる生き方に影響を与えるのは、
家族関係、友人関係と言った周囲の人間関係もありますが、
自然などの環境、耳からや目から入ってくる情報もあります。
目から入る情報は、こんな時代ですからパソコン、スマホが
ほとんどの世代から、新聞の端から端まで読む世代、本の虫と
言われる人と様々なのでしょう。
この3冊の本からも、何らかの発信があり、自分でも学びや
気づきがあるのだと思います。

今は無職老人ですので読書の時間は十分とれます、忙しい中での
読書か、フリータイムに近い状態の読書か、どちらが強い印象が
残るのかは分かりませんが、しっかり読みたいと思っています。
枕元には、まだ読んでいない本の壁があります、ブックオフにも
結構通いましたので・・・・・・。
それでも議員を退任してから、30冊近い本は読みました、
歩留まりの悪さは相変わらずですが・・・・・・。
そんな頭ですが、思わぬ時に読んだ本のフレーズが出てきて
自分でも驚くことがあります・・・・・・ただの自己弁護。

かとうみちこさんと実際にお出会いしたこともなく、病気を
患っておられるので現在元気かどうかも分かりません。
それでも、この人の生き様や考えには触れることができます、
時間の壁を超えて、自分以外の人と触れ合うことができる
読書は自分のペースで多くのことを知る機会で、耳からの
話は、その人の話をその場で聞いていないと体験できない
ことです。
まして、寝転んで読書をするのが常ですから、話を聞くときに
そんな態度では、とてもとても無理です。
自分のペースで自分の好みのスタイルで、頂いたご縁を
どう生かせるか、そう考えて違う意味で読書のありがたさを
噛みしめたいと思います。
  
Posted by いとう茂 at 20:56Comments(0)

2019年09月26日

生活困窮者支援の取り組み

昨日、資料作りに長時間を要した研修会を、
今日の午後から開催しました。
大津市社会福祉協議会の自立支援グループの支援員の
方に、生活困窮者支援の取り組みについて講演していただき、
その後に質疑の時間を設けました。
生活保護の一歩手前の生活困窮家庭への支援は、大津市の
政策は、親よりも子どもに重点が置かれて、学区社協が
夏休み等の長期の休みに「寺子屋」事業として、映画会や
ものづくり、昔遊び、流しそうめん、食事会などの支援を
したり、塾に行くお金がない世帯を支援する中3学習会などの
事業が行われています。

県が支援していた子ども食堂もそうですが、子どもの居場所
づくりの支援で、ほとんどがボランティアで運営されいます。
こうした取り組みは継続が大きな力になりますので、月1回が
週1回、毎日と、密度も求められると思いますが、予算や人手、
あるいは会場の都合でそこまで行っていないのが実情で、
同じ学区でそれぞれ違う日に違うボランティアが開催して、
1週間切れ目のない支援を行うところまでは現状では見通しが
立たない学区がほとんどです。

大津市以外では、生活困窮家庭の支援を子どもからではなく、
親から入った自治体も多数あります。
厚生労働省では任意事業の位置づけですが、入ってくるお金が
一定なら、出ていくお金の無駄をなくそう、そうして滞納などの
解消に努めて、差し押さえなど親の心理的な不安もなくして
いこうという事業もあります。

買い物のレシートを相談員が分析して、間食やアルコールの
金額が多いと徐々に減らすようにし指導して、余ったお金を
滞納の税金や公共料金の支払いに回して、家計の正常化を
図って社会的な自立を目指し健全家庭に戻す取り組みで、
議員時代に一般質問で取り上げたこともありましたが、実現
しませんでした。

貧困問題は親の自己責任論も根強く、お金がないのに子どもを
産んだのは貧困を承知の上であるので、支援の必要はない、
これは極論ですが、これに近い意見は多くあります。
自分たちは寝る間も惜しんで仕事をして、今の地位を築いた、
なのに・・・・・・という考え方です。

個人的な考え方ですが、福祉は掘り下げて行って、あそこまで
そう思ってそこまで行くと、さらに深い所で苦しむ人が見えてきます、
そして、あの人にも救いの手を・・・そう思ってその人に救いの手を
差し出すと、さらに深い所で救いを求めている人が見えてくる。
だからといって、ここまでと線を引くこともできない。
困っている人同様に福祉の奥は無限にある、そう思っています。

ただ、すべての人が笑顔で暮らし続けることが、どれだけ
幸せなことであるか、あたりまえの事ですが、その当たり前の
社会が実現することを願います。
  
Posted by いとう茂 at 21:05Comments(0)