2017年06月29日

やっぱり効果があるようです

普段は自覚症状もないので気にせずにいる血圧ですが、
時々測ると思わぬ数値が出ることがあります、そうなると
毎日、測定をするようになります。
3月24日から4月10日までの平均が上が143でしたが95、
特別気にすることもないと思うのですが、上が150を超えたり
下が100を超える日もあり、4月10日から再び霊芝のお世話
になっています。
朝晩の2回、忘れる日もかなりありますが、飲み続けて6月8日から
昨日までの平均が上が123で下が78と低下の効果があります。

霊芝は高いものという認識でしたが、道の駅で1000円で販売
されているのを見て効能も知らずに購入したのがきっかけでした。
これをご縁だと思っています。
二袋で消費税込みで2160円、これで3・4か月飲めます。
冷蔵庫で保管していますので2リットルの容器が4つくらいになり
かさばるのと、煎じるために1回に1時間余りを要し、
都合4回で5時間ほどかかるのが難点です。

中国で人工栽培の霊芝、農薬等のことも気になりますし、それを
煎じて飲むのですから血圧を下げるのには効果があっても、
ほかの部分は・・・・・・・。

いよいよ明日で6月通常会議も閉会です、そして会派要望の
締め切りも明日、とりまとめは政調会の仕事です。
もちろん政調会長は初めての経験ですが、頭も時間も使うことが
多く見ている時とは大違いです。
2期目の1年目は施設常任委員会の委員長、2年目は監査委員、
そして3年目は会派の政調会長、それなりに用事も多く、責任を
実感しています。
明日の本会議では請願に対しての討論を行いますので、出番が
あります、おそらく残り3回の通常会議においても討論の機会が
あると思いますので、賛否の検討を含めて知恵を巡らせる時間が
増えると覚悟しています。

  
Posted by いとう茂 at 13:16Comments(0)

2017年06月28日

豆腐

荻原井泉水の言葉に次のようなものがあります。
読んでいて、なるほどと頷くところも多いので紹介しておきます。
井泉水は種田山頭火の師匠ともいわれており山頭火の自由律俳句に
大きな影響を与えています。
この文章を読んで昔に豆腐のほかに、適切な食材はないかと
考えたことがありました。
すぐに浮かんだのが大根でしたが、大根役者の語源が気になり
却下、代わってレンコンが浮かびレンコンの特性を考えて
荻原井泉水風に文章を考えたことがありました。
残念ながた当時はフロッピーでの保存で、探せばあると
思うのですが再生するパソコンが・・・・・・。
記憶をたどって近いうちに復元できたらと思っています。
今日は特別委員会が開催されました。
30日の閉会日まで今日を入れて3日、これが最後の公式の委員会に
なります、30日に議会運営委員会が開催されますが、
こちらは全議員が対象ではありませんので、所管事務調査は
今日で終わりになります。

豆腐
 豆腐ほど好く出来た漢はあるまい。  
彼は一見、佛頂面をしてゐるけれども決してカンカン頭の木念人ではなく、
軟かさの点では申し分がない。
しかも、身を崩さぬだけのしまりはもってゐる。
煮ても焼いても食えぬ奴と云ふ言葉とは反対に、煮てもよろしく、
焼いてもよろしく、汁にしても、あんをかけても、又は沸きたぎる油で揚げても、
寒天の空に凍らしても、それぞれの味を出すのだから面白い。  
又、豆腐ほど相手を嫌ばぬ者はない。
チリの鍋に入っては鯛と同座して恥ぢない。
スキの鍋に入っては鶏と相交って相和する。
ノッペイ汁としては大根や芋と好き友人であり、
更におでんにおいては蒟蒻や竹輪と強調を保つ。
されば正月の重詰めの中にも顔を出すし、
佛事のお皿にも一役を承らずには居ない。  
彼は実に融通がきく、自然に凡てに順応する。蓋(けだ)し、彼が
偏執的なる小我を持たずして、いはば無我の境地に到り得て居るからである。
金剛経に「應無所住而生其心」(おうむ しょじゅう に しょうごしん)
=應(まさ)に住する所無くして而も其の心を生ずべし(金剛般若經)とある。
これが自分の境地だと腰を据ゑておさまる心がなくして、
与えられたる所に従って生き、しかあるがままの時に即して振舞ふ。  
此の自然にして自由なるものの姿、これが豆腐なのである。

  
Posted by いとう茂 at 22:12Comments(0)

2017年06月27日

朝の風景②

今日から木曜日までの3日間、緑のお爺さんの相棒が
お休みで一人で交差点に立っています。
黄色い旗を出して車を止めて歩行者が安全に渡れるように
誘導するのと朝の声掛けが主な仕事ですが、子どもたちは
「もう一人のおっちゃんは?」不思議そうで少し心配そうな
顔で尋ねます。
詳しい話をしている余裕はありませんので、「うん、今日はお休み」
「行ってらっしゃい」そんな返事しかできませんが、いつも二人で
立っているのに一人しかいないことを心配してくれることが
嬉しくなりました。
私も早朝から出かけることもあり、そんなときは同じようなことを
尋ねてくれているのでしょう。

何でもないことかもしれませんが、いつも二人なのに今日は一人、
二人で一人分かもしれませんが、子どもたちに認められている。
そのことの裏返しが「もう一人のおっちゃんは?」だと思います。
人という生き物は自分の存在を認められることが喜びになり
励みになります。
批判ばかりされて生きていると人を信用しなくなり、物事を
裏や斜めから見ることが増えてしまいます。

褒められて生きて生きていると、図に乗るところや傲慢な
部分は出てくるかもしれませんが、総じて素直で前向きに
育つように感じます。
短い時間でしたがそんなことを一人で考えていました。

いつも遅い時間に学校に行く子どもが時々、早い時間に
通ることがありますし、車が接近していて横断を止めることは
よくありますが、そんなときにこちらの言うことを聞いてくれる
子どももいれば、知らん顔の子ど思います。
挨拶が返ってこない子どももいますし、友だちとの話に
夢中になり、こちらの声を聞いていない子どももいます。

遅い子どもが早く行くときは「今日は早いなぁ、偉いなぁ
早起きしたんや」そういうとちょっとテレ顔になりますが、
心持ち胸を張って歩いている気がします。
これからは、当たり前のことができたらほめてあげよう、
そんな気持ちになりました。
挨拶ができないのは子どもだけでなく大人も同様ですし、
止まってくださいを無視する大人もいれば、左右の確認もせずに
横断する大人もいます。

子どもは大人を映す鏡、大人がそうするから見習っている
部分もあります、いいことばかりを見せることは難しいこと
ですが、子どもという鏡を大人が見て自分の行動に
気づいてくれたら、そして、その大人を見て子どもが真似を
してくれたら、緑のお爺さんもいらなくなる日が来るかも
知れません。

一人だと二人分忙しく余裕もなくなりがちですが、何も考えて
いないわけではありません、横断歩道を渡るのに3・4秒、
そのわずかな時間にでも心をこめることはできます。
なるべく元気で大きな声を出そうと心がけていますが、
明日からは、褒めることも心がけよう、一人だからの
気づきです。
  
Posted by いとう茂 at 22:28Comments(0)

2017年06月26日

いよいよ大詰めを迎えました

6月5日に開会した6月通常会議も残す会期は
あと4日、6月30日に閉会です。
今日は予算常任委員会の全体会が開催され、補正予算について
全議員承認でした。
あくまで常任委員会ですので最終日の採決を待たないといけませんが、
補正予算は可決の見通しで他の条例改正等の議案も30日に採決が行われます。
30日までの公式日程は28日の特別委員会と30日の午前中の
議会運営委員会だけになりました。

今年度は会派の政調会長を拝命していますので、開会前には
請願の署名議員の依頼に市民がおいでになり、内容について
会派で検討して5日にその回答を行いました。
その後、一般質問の会派での読み合わせ、会派要望の準備、
意見書・請願に対する賛否の態度の決定と、討論の作成、
決算資料の請求の準備、他にも用事がありました。
何事も勉強かも知れませんが、昨年度の監査委員に引き続き、
かなりの時間と頭を使いました。
議員個人の活動をより効率的にして多くの相談や提案ができる
時間の捻出にはこうした役回りは不可欠です。

今年度の通常会議はあと3回、同じように請願や意見書の審議、
質問の読み合わせなどの作業がありますが、一度でも経験
しておくと後はこちらの作業も無駄がなくなるように思います。
この通常会議が終わると7・8月は少し時間にゆとりが出てきますが、
議員研修や行政視察も入っています。
気を抜くと時間が知らない間に経ってしまい9月通常会議を
迎えることになりますので、先を見据えて早めの対応を
心がけたいと思います。

  
Posted by いとう茂 at 14:25Comments(0)

2017年06月25日

選択・決断・諦め


生きていく中で私たちは絶えず選択をして物事を
決めて生きています。
決める基準には外的要因と内的要因などがあり、外的要因は
上下関係、人間関係、自分の立場、などがあると思いますし、
内的要因は自分の能力、懐のお金、欲や夢、健康状態などが
あるように感じます。
好き嫌いと損得もこの中に分類できると思います。
そして二つの要因の他に、時間も絡んできて、この程度の
時間ならこのことに使っても大丈夫ということになるのでは
ないかと思います。

具体的にいうと、就職問題を考えて見ると、田舎の家の
一人息子、親は健在ですがいずれは自分が面倒を見ないといけない。
そんな設定で考えて見ると、外的要因は親の老後の問題、長男と
いう立場、内的要因は全国を飛び回りたいという夢、地元の小さい
企業よりも多くの収入がある企業に勤めたい、健康や能力には自信が
あるが、自分ができるかという不安や疑問。
これらのことを考えて選択することになります。

親は自分たちのことはいいから自分がしたいことをしたらいいと、
背中を押してくれるが、田舎なので近所の目も気になるし、転勤で
遠くに行った場合は、緊急時に帰れないことも想定されます。

それでも全国区の企業を選択しました、その後、諦めないといけない
ことは、親元を離れる、当分はマイホームが持てない、子どもも
再々転校がある、ご近所との人間関係が少なくなり長続きしない。
ざっとこんなものでしょうか、これは自分という人間を中心に
考えた場合で、背中を押した両親は、全国を飛び回る息子には、
親の老後の世話について金銭的には可能かも知れませんが、
物理的なもの精神的なものも諦めないといけなくなります、
日々の暮らしの中で買い物や電球が切れた、裏の戸が壊れた
そんな些細なことも頼めませんし、年に1・2度しか孫の顔が見られない
一緒に食事もできない、近頃ですとオレオレ詐偽にあうことも
受け入れないといけないことになります。

同様に奥さんや子どもにも諦めないといけないことが発生します。
やるせない、切ないといえばそれまでですが、受け入れないといけない
現実は淡々と時を刻んでいきます。
人間関係の中で親子や夫婦子どもだけでなく、友人関係でも同様では
ないのでしょうか。
親しかった人と疎遠になるとわかっていても遠い町の大学や企業に
行く選択をしたり、暮らすエリアは変わらなくても役職が増える
ことを選んだり、仕事を変えたりすれば、いつまでも前の通りに
親しくはできません。
もしかすると親しかった人のことが嫌になった、こうした選択もあるので
しょうが、こちらとすればずっと同じところに止まれないでしょう。

自分では親しくしていたいと思っているのに向こうに時間がない、
そう考えるか自分とは違う道を歩くと決めたんだろう、
なるべく邪魔をしないで自分も違う道を見つけよう、
そんな考えもあるでしょう。
親しい友人がうんざりしているのに付きまとうのも選択ですし、
どんな選択をしても、決めたのは自分です。
選択、決断、次は諦める事、何を諦めますか。
  
Posted by いとう茂 at 13:36Comments(0)