2021年05月31日

誰かに出す手紙

ショッピングセンターやどこかに買い物に行って文具屋があると
ついつい引き寄せられてしまいます。
特別、欲しいものがあるわけではないのに立ち寄ってしまう。
見るものと言えば万年筆などの筆記用具とノートや便せん類、
万年筆もお気に入りのが3本ありますので、これ以上は買う
こともありませんし、ノートや便せん類も使っていないものが
手持ちであります。
何かを書きたい、誰かに手紙でも書こうか、そんな気持ちが
潜在的にあるのかもしれません。

行方が分からなくなった知人、友人も何人かいます。
そんな人のことを時々思い出しては当時をしのぶこともあります。
おそらくどうでもいいことを記憶していて大切な部分は
抜け落ちているのでしょうが、そのどうでもいい部分が懐かしく
その人を思い出させるように思います。
そんな友人、知人と行方が分かっていても疎遠になっている
友人、知人に手紙を書くとしたら・・・・・。
忘れてはいけないのが詫び状です、当時は照れや意地があって
言えなかった「ごめんなさい」も文字にしないと・・・・。

ほろ苦い恋の思い出をいっぱいかけたらいいのですが、そちらの
方の思い出はほとんどなく・・・・残念です。
草の根分けてでも探してやるぅ。

昔のことを言い出すと年をとった証拠と言われます、大津では
まだですが、隣の草津などでは前期高齢者にもコロナの
予防接種の申請書が届いていると言います、大津はまだやわ、
そんな会話の主ですから年をとったことも認めて受け入れないと
いけないのかと考えています。
ただ・・・・年はとっても弱ってはいない、そのことだけは
はっきりしとかないと、高齢者=弱っている人になって
しまいます。
はてさて、誰から書いていこうか・・・・・。
  
Posted by いとう茂 at 11:53Comments(0)

2021年05月29日

換え時

日常使っているものの換え時について、そろそろかなから
始まって、まだいけるかに変化し、もうダメだで交換になるものが
あると思えば、ずっとまだいけるかで換え時が分からないものも
あります。
鉛筆なんかは、短くなってくるとそろそろからの図式になり、キャップを
つけて使い続けて、もう削れないやんで交換です。
5Bとか6Bの濃い鉛筆の方が書き味が柔らかいので、そちらの選択に
なりますが、柔らかいだけに減るのも早くちびった鉛筆が、そこらに
転がっています。

歯ブラシも換え時が分からないもので、昔は歯ブラシの毛がべたっと
広がるまで使っていましたが、最近はそれはなくなりましたが
換え時については毎日眺めながら考えさせてくれる一品です。
歯磨きのあとは髭剃りです、以前はブラウンのシェーバーを使用して
いましたが、部品提供がなくなり替え刃が手に入らなくなり、いわゆる
T型の髭剃りに替えました。
毎朝シェービングクリームをつけて髭を剃っていますが、替え刃も
大きさから考えればそれなりの価格、ついつい換え時を過ぎても
使い続けているように思います。

剃り残しや滑らかな剃り味がなくなれば交換になりますが、剃り残しが
あってももう一度剃れば髭がなくなるとこちらもついつい使い続けて
ひりひり感が出てくる・・・・・年をとって面の皮も厚くなったので・・・・・。
冗談を言ってられませんので・・・・・髭剃りのホルダーは何本かありますので
交換しようと決めたホルダーの刃を捨てずに、そのまま残して置き
違うホルダーに新しい替え刃をつけて使い始めて、そろそろかなと
感じた時に剃り味を比較してみる・・・・・まだいけるやん。
そんなことで換え時を決めていますが、サンプルになっているホルダーの刃が
交換時期になっているかは分かりません。
自分が作った基準で交換です。

これが好みで、そろそろ飽きてきたから違うデザインにしょうと言うのなら
換え時は不定期になりますが、そうではないので最後まで使い切ろうと
なってしまいます。
他にも換え時が難しいものが身の回りにはたくさんあるのでしょうが、
それを手にしたのも何かのご縁、使えるのなら最後の最後まで使うのが
物とはいえ、それに対する敬意のように感じてしまうのはおかしいのかなぁ。
  
Posted by いとう茂 at 23:43Comments(0)

2021年05月27日

思い出し遍路82

88も札所があると好みの札所とあまり何も
感じない札所が出てきます。
それは札所そのものの印象であったり、納経所や売店の人の
印象が影響してきます。
また、あまりお参りの人が多いと好印象を受けないこともありました。
そんな札所に2回目に訪れると、人が少なくて好印象に変わる、
そんなこともありました。
1番の霊山寺は歩きでも車でもツアーでも多くの人が最初にお参りを
する札所ですし、88を打ち終えた後にお礼参りにも行きましたが、
人が多く境内での般若心経も、他の人の読経とかぶって声が
かき消されてしまいました。
納経帳を見ると霊山寺には5回お参りしていますので、出発の
札所とはいえ、この先の印象は変わらないと思います。

お参りだけでなく観光客が多い札所と言えば、徳島県なら
21番の太龍寺はロープウェイがあるので、そこそこ多いと思います。
それでもこの札所は落ち着いた雰囲気で好みの札所の一つです。
納経所の対応も親切だった記憶があります。
山の上ということもあるのでしょうか。
心配したことが・・・・・。
ここの住職が飲み会で下りて、酔っぱらったら帰りはどうするの。
ロープウェイは運行していないし、街からは相当距離があるので
飲み会の費用よりもタクシー代の方が高くなるぅ・・・・どうでもいいことか。

高知県なら室戸岬の先にある24番の最御崎寺と足摺岬の先の
38番金剛福寺は観光客が多い札所です。
どちらも新年を迎える除夜の鐘の映像が流れたり、展望台も
それほど離れていませんので、展望台からの人も多いのでしょう。
愛媛県なら道後温泉に隣接と言ってもいいほど近い51番の
石手寺だと思います。
ここの納経所のお婆さんはずいぶんご高齢でしたが、今もお元気に
されているのか・・・・・。

香川県ならやはり75番の善通寺だと思います。
広い駐車場には職員の方が何人もいて車の誘導をしていますし、
売店も大きく土産物も多数販売されています。
この善通寺も好みの札所です、本堂と大師堂は道路を隔てて
分かれていますし、どちらの敷地も広く人は多いのですが敷地の広さが
吸収している感じです。
で、一番のお好みの札所は・・・・・テレビならここでCMです。
ブログも次回・・・・です。
  
Posted by いとう茂 at 15:15Comments(0)

2021年05月26日

飴玉

口が寂しくなると飴玉をなめています。
飴玉をなめている人間にも季節感があり味覚があることを
この年になって知りました。
寒い冬場は濃いめのミルク味とかが美味しいと感じていましたが、
気温が上がり暑くなってくると柑橘系やミント味に変わります。
これから気温はもっと上がりますので、更に酸っぱいレモンとかライムに
変わっていくのでしょうか。

季節感とか味覚の話でなく、この前、飴玉をなめていて感じたことで、
いつものようにどうでもいい話です。
何味をなめていたのかまでは記憶していませんが、飴玉をなめて
しばらくすると味が口いっぱいに広がります。
「今のこの口の中の味はなめてる飴玉がとけてるから味がするのか、
これまでなめてたのが蓄積した味やろか」
そもそもの疑問はここからでした・・・・・どうでもいい話。

ありがたいことに多くの友人知人に恵まれています。
・・・・・と、これも自己満足なのか・・・そもそもが発展しました。
最近は結構疎遠になっている友人知人も多く、飴玉が口の中に
ない状態です。
それでも何とか続いているのはこれまでなめた飴玉の味が
残ってるからと違うのか・・・・・。
せっかくできた人間関係を続けていくのには・・・・何かせんとあかんよね。
年賀状とか、ライン(ガラケーでは無理)、手紙、電話・・・・・。
ということは新しい大きな飴玉でなくても、袋の隅っこにある欠けた
小さな飴をなめてないといけないいんじゃないのかな。
年齢を重ねるごとに友人知人の数は減っていく、外に出る機会も減るし、
人に会う機会も減る、特に去年からのコロナの影響でどちらの機会も減っている。

冬場に濃い味の飴玉が欲しくなるのと同じかどうか・・・・、
若いころはあれだけ頻繁に会っては一緒に飲んでたのに、
最近はコーヒーも一緒に飲んでいない。
これでは疎遠になるのも仕方ないよね、なめてもなめても小さくならない
飴玉も困ったものだが、口の中に何もないのも困る。
口が寂しいから何でもいいとは思わない、好みの飴玉をボチボチのペースで
今日はこれ、明日はあれと、なめ続けられたら口の中の余韻も
もっと手ごたえのあるものになるのに・・・・・。
どうでもいい話でした。
  
Posted by いとう茂 at 16:26Comments(0)

2021年05月24日

湯は外にかけ

どこで聞いた言葉かは忘れました。
何かを読んで覚えているのか、テレビの番組だったかも記憶が
ありません。
ぬるいお風呂に浸かっていて、沸かす時に沸いてきた湯を自分の
方ではなく外にかきだす、複数で入っていても外にかきだす。
そうすることで、湯がこちらにかえってきて全身が暖かくなる。
そんな意味です。
取り込むことで体の一部は暖かくなりますが、全身には暖かい
湯が回らないので、さらにかいて自分の方に取り込まなくては
いけません。

これって生活の知恵・・・・・それとも・・・・利他の精神・・・・・。
利他の精神は夢の実現に力を貸すと思います、周囲の協力や
支援も期待できますが、利己の精神は我欲、強欲につながり
夢とは違う欲になってしまい、周囲から疎まれ誰も協力して
くれず、孤立無援になってしまう。

利他の精神は思いやりとかやさしさと言った顔も持っているように
思います。
テレビのCMではありませんが、横断歩道で車を止めて歩行者を
渡らせる、お婆さんが階段の下で荷物をもって難儀していたら
荷物を持ってあげて一緒に上る。
周りから見れば優しい人だと映るのでしょう。
優しさは先回りの自己防衛、自分が不快な思いをしないために
優しくする、それは計算されたものではなくても、結果的に
そうなるというものだと思います。
お婆さんが荷物を持って階段を上っている傍らを、さっと抜き去っていく
次の瞬間にお婆さんが足をくじいてこけてしまうことも考えられます。
そんな時に、こんなことなら荷物を持ってあげればよかった・・・・・。
先回りの自己防衛をしなかったことに気づく時かもしれません。

今月の満月はスーパームーンと言うらしいのですが、もう1週間も
しないうちに満月の日がやってきます。
満ちた月に願いを託す・・・・・・。
託す願いは利他でしょうか、それとも利己でしょうか・・・・・。
  
Posted by いとう茂 at 15:44Comments(0)