2023年09月30日

移動えこステ

明日は移動えこステです。
毎月膳所市民センターで開催していましたが、
今回は初めてひきこもり家族のお宅で開催します。
子どもがひきこもっていて、訪れる人もほとんどなく
家の空気が固まっている、これからは大勢の人が訪ねてくる家にしたいと、
親から申し出があり実現しました。
一番遠い相談者ですので、参加者が減るのかと心配していましたが、
いつもと変わらない参加者で開催できそうです。
田んぼが広がり周りには大きな建物もなく、
1キロほど先の高速道路が見えます。
出前えこーでお邪魔していますので道は分かっていますが、
他の参加者は初めてですのでナビが頼りです。
毎月1回会っているとは言っても、
同じ苦しみや悩みを持つ人同士ですので、
家に上がられても抵抗がないのだと考えています。
思い出した話があります、ラクダを初めて見た人は怖くて逃げだしました。
二度目に見た時には近づくことができました、そして、
三度目に見た時には轡(くつわ)を固定するひもを頭からかけたと言います。
人間とラクダを一緒にするのは失礼ですが、
大勢のラクダがやってくる一度目は
怖くて2階から下りてくることが出ないかも知れません。
2度目の時は下りてきてトイレに行けるかな、
そして3度目の時は挨拶くらいは・・・
そんなに簡単なものではないと覚悟していますが、
えこステの人たちは怖い人ではないと、当事者が感じてくれれば、
この先、安心してくれるだろうと確信しています。
11月にも違う家族から自宅を開放するので、
移動えこステを開催してほしいという申し出があります。
ひきこもり当事者を家族以外の人間に慣れさせたい、そんな親心です。
大津市で初めての家族会が、
大津市を飛び出して違う市で開催できるまでになりました。
子どもと同じようにじっとして動けなかった親が動き出します。
このことは子どもにもきっと好影響を与えると信じています。
  
Posted by いとう茂 at 10:59Comments(0)

2023年09月29日

おやじ

誕生日まで1週間、親父の年を超えます。
生きた日数は超えているのですが、自分の中に、
おやじの年齢を超えることを認めたくない気持ちがありますので、
年齢で超すまで待つことにしていました。
まだまだ歩くだけなら若い人にも負けない、そんな気持ちがありますが、
健康だから長生きするとは限りませんし、病弱だから短命とも限りません。
病院に行ってないからとか薬を飲んでいないからも、
命の長さには関係がないのかも知れません。
命、寿命の不思議だと感じています。
ただ、私の年でおやじが亡くなったという事実があります。
入院はしていましたが、自分のことは自分でできたおやじです。
ここにも命、寿命の不思議があります、
人工呼吸器をつけて何年も生きる人もいれば、
身の回りのことができても命が尽きる。
身の回りのことができても、病魔が巣食っていて命を蝕んでいた。
蝕む速度も人それぞれ、
無常の風が吹いて誰の命の灯を消してしまうかは、誰にも分かりません。
どこで決めているのか、誰が決めているのか、それも分かりません。
あと1週間でおやじの年齢を超えて、どれだけ寿命があるか分かりませんが、
1日でも長く生きることが親孝行になるのか、
親不孝なことかは私の生きざま次第です。
幸いなことに、ボランティア活動には理解があったほうなので、
今やっているえこーの活動などは、
遠い所から暖かく見守っていてくれると感じています。
しかし、四代続いた商売は私で途絶えますし、
伊藤家先祖代々の墓も娘二人で先々どうなるか分かりません。
そのことも元気なうちに目途をつけておかなければと考えています。
何も持って行く事は出来ませんが、
いつの日かおやじにあの世でいい報告ができれば・・・・。
  
Posted by いとう茂 at 15:02Comments(0)

2023年09月27日

パンク

この前、何十年ぶりかで車のタイヤがパンクしました。
出先でのことで、車が少し傾いている、
そんな気がして近づくと前輪のタイヤがペッタンコ。
あ~あ、パンクしてるわ・・・・。
スペアタイヤ、スペアタイヤ・・・・ない、どこを探してもない。
そう言えば車屋が最近の車にはスペアタイヤがないと言っていたのを思い出しました。
その代わりに、パンク修理剤があるという話でしたが、それも見当たりません。
車の掃除をした時に降ろしてしまったのか・・・・。
帰りは電車でした、家に帰って修理剤を探したのですが、ここでも見つかりません。
捨てたりはしていないのでどこかにあるはず・・・・。
探すのが邪魔くさい、買いに行こうと嫁の車を借りてホームセンターへ、
修理剤は見つかったのですが・・・使い方が分からない。
店員に聞くと・・・分からない、詳しい者が来ますのでベルを押してお待ちください。
有難いと思いベルを鳴らして待っていると別の店員が来ました。
「これの使い方を教えてくれるかな」
「申し訳ありませんが、私では分かりません」
缶の裏に細かい字で説明が書いてあるのですが、老眼には読めません。
これはメーカーが傲慢なのか不親切なのか、
夜間にパンクして修理しようと思っても、
これだけ細かい字を読める人は少ないと思います、是非とも改善していただきたい。
とにかく買って帰って外の明るい所で説明を読んで、
再度、車のところまで行き、刺さっていた錆びたねじくぎを抜いて、
説明書通りにタイヤに残っている空気を抜いて、白いガスをタイヤに注入しました。
この作業が思ったほど時間を要しましたので、ほんまに大丈夫かいな、不安が広がります。
注入が終わり、車を前後に5・6回動かすと空気が少し入ったように見えます。
これで時速30キロほどで5~10キロ走行しろ、
そんなにゆっくり走れる道路がどこにあるの・・・・。
とにかく5キロほどこわごわ走ってスタンドへ、そこで空気を入れると、
あら不思議、元のタイヤに戻り自宅まで帰りました。
本当に穴がふさがったのかと、夜になって見に行くと空気が減っていません、
翌日も、その次の日も大丈夫です。
それでも心配ですので1週間に1度は空気を入れていますが、
ほとんど空気は漏れていません。
こんな便利なもんは、もっと早く発売してほしかった。
  
Posted by いとう茂 at 16:59Comments(0)

2023年09月26日

視座

視座とは、「物事をどの位置から捉えるのか」という
「物事を見る上での立場」のことで、
「視座が高い・視座が低い」といった表現があります。
「視座が高い」とは、物事を客観的に広い視野で見ることができる
状態を指しますので、自分自身の立場や感情にとらわれることなく、
より多角的な視点で物事を判断できる能力を持っているということです。
「視座が低い」はこの逆になります。
似たような言葉に視点がありますが、視点とは、
物事を「どの観点で」見るのかということです。
視座が変わるとこれまでは良いことだと考えていたことが、
そうでもないのかと、違う考え方が見えてきます。
こんな話を聞いたことがあります。
日本には「アリとキリギリス」と言う話で伝わったイソップ物語があります。
勤勉なアリと、夏から秋の間は先のことを考えず、遊んでばかりいたキリギリス。
冬になって食べるものがなくなっても、
アリはため込んだ食糧で冬を越せますが、キリギリスは飢え死にしてしまいます。
原典は「アリとセミ」で、セミは夏の間中鳴いてばかりいて備えをしてこなかった。
セミもキリギリスも同じ役で登場しています。
この話は一般的には、将来に備えてせっせと働くアリを
「貯蓄は美徳」の象徴だと称えたものだと解釈していましたが、
視座を変えるとセミは鳴いてばかりですが、
今を楽しんで生きているとも解釈できます。
お金をためて家を買うことは我々の年代では当然の目標ですが、
今の若い世代では長いローンの返済に苦しむよりは、
自分たちの日々の暮らしを楽しみたいので、
持ち家はいらないという考え方も浸透しています。
どちらがよくて、どちらが悪いという問題ではなく、
視座を考えるとこれまでアリの視点からしか、
物事を見ていなかった自分に気づかされます。
盗人にも三分の理ではありませんが、
何事も断言してしまい人間が傲慢にならないためには、
違う角度から物事を見るのも必要かもしれません。
  
Posted by いとう茂 at 15:46Comments(0)

2023年09月25日

読書の日

視力が落ちて眼鏡のお世話になってから2か月余り、
度数をあまりきつくしなかったので、眼鏡をはずしても大きな差はないのですが、
近くはよく見えるようになりました。
ここ何年も読書とはほぼ無縁でしたが、
この前、元JKの要望でブックオフに行ってきました。
読みたい作家はほとんど亡くなり、新刊本が出ることがありませんので、
新しく馬が合う作家を探さなくてはいけません。
どこか昭和の香りが漂う作家は、もう高齢ですので平成の香りの作家を探すか、
それとも古本でも昭和の香りか・・・・。
読んでみたいと感じている作家はいますが、
かなり前に亡くなっていますので、
アマゾンの古本を探してもあまりたくさんはありません。
この作家の本は読書の習慣がついてから購入を考えています。
眼鏡があるとはいえ、長時間の読書は負担です。
それでも、はまると時間を忘れてしまう癖がありますので、
日曜日を読書の日に決めました。
暑さもこれから和らいできますので、
虫の声でも聴きながら読書三昧の時間になればと考えています。
  
Posted by いとう茂 at 22:12Comments(0)