2022年02月28日
3回目のワクチン接種
3回目のワクチン接種に行ってきました。
これで終わりなのか、4回目や毎年接種になるのか分かりませんし、
どこまで免疫力が向上するのかも自分では分かりません。
オミクロン株は重症化が少なく死者も少ない・・・感染が拡大を始めた当初は
そう言われていましたが、70歳以上が大半とはいえ
毎日3桁の死者数が報告されています。
大津市の感染者総数は11000人を超えています。
およそ30人に1人の感染者で、この数はまだ増加の勢いですし、
3回目のワクチン接種でどこまで感染防止になるのか分かりません。
3回目のワクチン接種が日本で90%以上になった頃に、
どこかの国で変異種が発見されたという報道があるようで、
3回目の接種が黄門様の印籠ではないような気がします。
国は経済優先にかじを切りましたが、少し前に、世界の大富豪10人の
資産が、コロナの感染拡大前は70兆円だったのが、
感染拡大後は倍以上の150兆円を超えているというニュースがありました。
多くの国民が収入は減少か横ばいと答えているのに、
経済を止めずに回すことは、大富豪の資産をより増やすことになるのでは・・・。
そんなことを考えています。
時間は戻りませんが、最初の感染拡大の時、豪華客船で
感染があった頃に、完全鎖国をしていれば、海外の日本人も現地で
隔離体制をとって帰国を認めない、輸入品についても十分な消毒の実施、
沖縄をはじめ米軍基地関係者についても休業手当を支給して
基地への立ち入りをやめさせ、米軍兵や関係者も基地からの外出を認めない。
それが、物理的、政治的また人道的に可能かどうかは
別にしてそうした政策をとり続けていれば国内は安全だったのか・・・・。
物事を決める時に、誰かの独断で決めるとリスクが大きいことがあります、
しかし、大勢の意見を聞いて決める折衷案も中途半端で
独断よりも大きなリスクが生まれることがあります。
どこかの国で戦争が始まりましたが、誰かの独断なのでしょうか、
国の代表が大勢集まり議論して決めたことも反故にされる、
こうした情勢の中では、戦争を止める手段はあるのでしょうか。
あちこちに思いを巡らせていると・・・・ワクチンが体の中で戦争を始めそうで
明日は、発熱休業かな。
これで終わりなのか、4回目や毎年接種になるのか分かりませんし、
どこまで免疫力が向上するのかも自分では分かりません。
オミクロン株は重症化が少なく死者も少ない・・・感染が拡大を始めた当初は
そう言われていましたが、70歳以上が大半とはいえ
毎日3桁の死者数が報告されています。
大津市の感染者総数は11000人を超えています。
およそ30人に1人の感染者で、この数はまだ増加の勢いですし、
3回目のワクチン接種でどこまで感染防止になるのか分かりません。
3回目のワクチン接種が日本で90%以上になった頃に、
どこかの国で変異種が発見されたという報道があるようで、
3回目の接種が黄門様の印籠ではないような気がします。
国は経済優先にかじを切りましたが、少し前に、世界の大富豪10人の
資産が、コロナの感染拡大前は70兆円だったのが、
感染拡大後は倍以上の150兆円を超えているというニュースがありました。
多くの国民が収入は減少か横ばいと答えているのに、
経済を止めずに回すことは、大富豪の資産をより増やすことになるのでは・・・。
そんなことを考えています。
時間は戻りませんが、最初の感染拡大の時、豪華客船で
感染があった頃に、完全鎖国をしていれば、海外の日本人も現地で
隔離体制をとって帰国を認めない、輸入品についても十分な消毒の実施、
沖縄をはじめ米軍基地関係者についても休業手当を支給して
基地への立ち入りをやめさせ、米軍兵や関係者も基地からの外出を認めない。
それが、物理的、政治的また人道的に可能かどうかは
別にしてそうした政策をとり続けていれば国内は安全だったのか・・・・。
物事を決める時に、誰かの独断で決めるとリスクが大きいことがあります、
しかし、大勢の意見を聞いて決める折衷案も中途半端で
独断よりも大きなリスクが生まれることがあります。
どこかの国で戦争が始まりましたが、誰かの独断なのでしょうか、
国の代表が大勢集まり議論して決めたことも反故にされる、
こうした情勢の中では、戦争を止める手段はあるのでしょうか。
あちこちに思いを巡らせていると・・・・ワクチンが体の中で戦争を始めそうで
明日は、発熱休業かな。
Posted by いとう茂 at
18:22
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2022年02月27日
どうでもいい話
玄関の戸を外から見れば入り口で、中から見れば出口・・・・
分かりきったあたり前の話です。
新築にせよ中古にせよ、人は家に入ることから始め、用事があると出ていく。
そして入った回数と出た回数は入った方が1回多いか同数で、
出た回数は入った回数を超えることはありません。
これは階段も同じです、屋根から飛び降りたりしない限り、二階へ上がる、
二階から下りる、この回数は二階に上がってそのままずっと二階にいない限り
同じ回数のはずです。
電気のスイッチも入ると切る、つけっぱなしなら入るが1回だけ多くなりますが、
基本は同数のはずです。
車の乗り降りも同じです。
お風呂も同じ、入る回数と出た回数・・・それがどうした・・・・。
トイレも同じ・・・・まだ言うか・・・・。
で、何が言いたいねん。
今日は昨夜の午前0時から今夜の23時59分59秒まで。
そんなん子どもでも知ってるわい。
今夜の午前0時を過ぎると今日が昨日になり、明日が今日になる。
それも誰でも知ってる話やな。
しかし、人の一生の中では、昨日、今日、明日のうちいつになっても今日だけが1日多い。
昨日も明日も今日に追いついてこない・・・なんでやろ。
・・・・・・・。
どうでもいい話でした。
Posted by いとう茂 at
12:09
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2022年02月26日
50年前は何をしていましたか
この前、ぼんやりと「人生100年かぁ」・・・そんなことを考えていて、
およそ10年ごとに過去を振り返っていました。
10年前は前職に就いて1年目で、毎日が勉強の日々でした。
唐崎にある総務省の研修施設で毎月1・2回は泊まり込みの研修にも
行っていたのを懐かしく思い出します。
20年前は2003年に大津市で開催した日本女性会議の総務部長として、
大会の予算を決めたり、いくつかある部会との話し合いで
市役所に通っていました。
商工会議所の青年部を卒業したのもこのあたりで、気のおけない友人から
「暇になったやろ、ちょっと手伝って欲しい」そんなことを頼まれたのが
事の始まりで、ちょっとどころか全面的に大会の開催を手伝う羽目になりました。
四国遍路を始めたのもこの時期でした。
まだ大津にパルコがあった頃で、紀伊国屋書店で気がつくと
お遍路の手記を手にしていた・・・・。
これが四国とのご縁の始まりです。
30年前は、商店街の理事長として忙しく動き回っていました。
幸いにも、商店の2世も多く青年部を立ち上げて、毎晩ほど集まり
「あれやろう」「これもやろう」と議論していた頃で、
今とは比較にならないほど活気がありましたし、考え方がすべて
前向きでした。商工会議所の青年部もこの時期に立ち上がりましたし、
和太鼓の石鹿太鼓の立ち上げも平成3年でした。
40年前、この時期の記憶が一番不鮮明で、下の娘が生まれた
ことぐらいしか残っていません。
そして50年前、高校2年生の時になります。
陸上で滋賀県で万年3位、どうしても勝てない選手が二人いて、
一時はクラブをやめようかとも考えましたが、気を取り直してこれでもかと
春の大会に向けて自分を鍛えた記憶があります。
この時期は冬季練習ですので、クラブが終わって着替えをするにも
腕がパンパンに張ってカッターのボタンがはめられない、
家に帰っても箸が握れずスプーンで晩ご飯を食べていました。
そんな努力をしたのですが、春の県大会は・・・・定位置の3位・・・・。
この半年後、練習の成果か神様のいたずらか、
高校最後の試合で勝てない選手に勝って滋賀県チャンピオン、
優勝メダルを胸にして陸上を卒業しました。
前の年の暮れからおよそ3年間は、これまで生きてきた中で
一番多くの手紙を書きました。
文通とかペンフレンドと言った言葉よりも、もっと重い気持ちが
自分の中にありました。
少し書く角度を変えていれば、違った形のご縁があったかもしれませんが、
新幹線も高速道路も未整備で携帯電話も普及していない時代、
メールやラインなど及びもつきませんでしたし、ちょっと日曜日に出かける、
そんな距離でもなく17歳の人間には、生きるとか生活に対する
知識も現実的な思考もなく、とにかく自分の中にある思いを
書き連ねることしかできませんでした。
ともあれ、違う形ですが今もご縁が続いていることに感謝です。
Posted by いとう茂 at
23:28
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2022年02月25日
プレッシャー
「子の心親知らず 親の心子知らず」の冊子が今年も発行できます。
さらっと書かれた重い気持ち、何の飾りもない直球です。
昨年寄稿いただいた方の何人かは今年も原稿を届けてくださいましたし、
今年新たに寄稿いただいた方もおいでになります。
そうした方の原稿もパソコンで打ち直し、読み合わせも終わりました。
この時点で残っているのは冒頭の「発行にあたり」と「あとがき」に
なっていましたが、あとがきができたと今日報告がありました。
発行にあたりは代表理事の私の担当、3行ほどしか書けていません。
加えて、昨年も寄稿いただいた当事者から追加の原稿が届いています。
発行は年度が替わってからと考えていますが、残っているのは・・・私の分だけ。
尻に火がついた状態ですが、焦ると余計に文章になりません。
昨年に思いの丈を書きましたので、ほとんど書き尽くしましたが・・・
同じ文章は書けません。
それが大きなプレッシャーになっています。
パソコンに向かって何を打とうか考えているうちに、パソコンが
スリープ状態、その繰り返しです。
冒頭の挨拶文とはいえ、重要なのは子と親の原稿です、
誰も挨拶文なんかまともに読んでいない・・・そのことはわかっていますが、
それでも大きなプレッシャーを感じています。
子と親がどんな気持ちで原稿用紙に向かい、ようやくペンをとって
1字1字を絞り出すように書いてくれた原稿、そのことを思うと
いい加減な文章は書けません。
何とか今月中に書き上げたい、28日は3回目のコロナのワクチン接種、
熱が出れば別人になってペンが走るか・・・そんなことも考えています。
寄せられた原稿を読み返すと、あとがきと重なる部分が出てきますので、
視点を変えて書かなければ・・・。
遅れているプレッシャーに加えて自分でもプレッシャーをかけて、
さらに追い込んでいる状態です。
神も仏も降臨の気配はありません、ドラえもんもいません。
ここはやはり、重い気持ちで原稿を書いてくれた子と親の気持ちに寄り添い、
その気持ちを後押しするような文章・・・またまた自分にプレッシャーです。
般若心経でも唱えて・・・心を静めてみます。
Posted by いとう茂 at
15:36
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2022年02月24日
理解して認めて受け入れる
日曜日も面談でした。
その前の週にズームで社協と会議をした家族が続いての面談で、当事者は、
ほぼ最初から親と一緒にえこーに来ています。
自分が考えていることを約2時間話してくれました、最後の方は
苦しそうな表情になり、スタッフが今日は打ち切りと言って面談が終了しました。
「最近は家で話をすることがほとんどない」そこから話が始まり、
今やっている就労体験の日報に自分の思いを全部書くと、
先方が気を悪くしないか、そんな話も出ました。
えこーの意見は、全然気を悪くしないから感じたことや
思っていることを全部書けばいい、というものです。
次に続く人のために先方にとっては参考になるし、一つの作業が
どれくらい時間がかかるか、毎日一定の時間、
作業をすることが簡単でないことや、疲れたら回復にどの程度の時間を
要するのか、知らなかったことを知る貴重な資料になるから、
包み隠さずありのままを書いたらいい、
隠すからかえってストレスが溜まって疲れてしまう。
そんなアドバイスをしました。
疲れていたのと様々な生きづらさも抱えた当事者に、
どれだけこちらの話が伝わったのか分かりませんが、
腑に落ちた顔ではなかったように感じました。
人の話を受け入れる、そこに行くまでにはプロセスがあると思います。
中には、とにかく受け入れないといつまでもぐずぐず言われ続ける、
それが嫌で反論をせずに受け入れるという場合もあるかも知れません・・・・。
まず人の話を聞いて内容を理解する、理解した内容を相手に確認する、
自分と考え方や価値観が異なる話だと反論するかもしれません。
この段階で話の内容は理解しても自分としては認められない、
と対立することもあるでしょうし、人それぞれ価値観や考え方が
違って当然だし、この人の意見はこれなんだと認めることもあると思います。
自分がそう考えるかは別として、認めることが出来なければ
受け入れることはできないように感じます。
この前の面談でのえこーのアドバイスを当事者は理解してくれたのか、
認めてくれたのか、そして受け入れてくれたのか・・・・。
面談に行っているのだから受け入れないと・・・
それだけはしないで欲しいと願います。
その前の週にズームで社協と会議をした家族が続いての面談で、当事者は、
ほぼ最初から親と一緒にえこーに来ています。
自分が考えていることを約2時間話してくれました、最後の方は
苦しそうな表情になり、スタッフが今日は打ち切りと言って面談が終了しました。
「最近は家で話をすることがほとんどない」そこから話が始まり、
今やっている就労体験の日報に自分の思いを全部書くと、
先方が気を悪くしないか、そんな話も出ました。
えこーの意見は、全然気を悪くしないから感じたことや
思っていることを全部書けばいい、というものです。
次に続く人のために先方にとっては参考になるし、一つの作業が
どれくらい時間がかかるか、毎日一定の時間、
作業をすることが簡単でないことや、疲れたら回復にどの程度の時間を
要するのか、知らなかったことを知る貴重な資料になるから、
包み隠さずありのままを書いたらいい、
隠すからかえってストレスが溜まって疲れてしまう。
そんなアドバイスをしました。
疲れていたのと様々な生きづらさも抱えた当事者に、
どれだけこちらの話が伝わったのか分かりませんが、
腑に落ちた顔ではなかったように感じました。
人の話を受け入れる、そこに行くまでにはプロセスがあると思います。
中には、とにかく受け入れないといつまでもぐずぐず言われ続ける、
それが嫌で反論をせずに受け入れるという場合もあるかも知れません・・・・。
まず人の話を聞いて内容を理解する、理解した内容を相手に確認する、
自分と考え方や価値観が異なる話だと反論するかもしれません。
この段階で話の内容は理解しても自分としては認められない、
と対立することもあるでしょうし、人それぞれ価値観や考え方が
違って当然だし、この人の意見はこれなんだと認めることもあると思います。
自分がそう考えるかは別として、認めることが出来なければ
受け入れることはできないように感じます。
この前の面談でのえこーのアドバイスを当事者は理解してくれたのか、
認めてくれたのか、そして受け入れてくれたのか・・・・。
面談に行っているのだから受け入れないと・・・
それだけはしないで欲しいと願います。
Posted by いとう茂 at
11:37
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